樹木希林、一人何役もこなした子育て法
- サエグササエル
- 2022年11月30日
- 読了時間: 3分
内田也哉子が、2021年9月5日放送のTOKYOFM『空想メディア』にゲスト出演。パーソナリティーの放送作家・高須光聖と樹木希林についてトークを繰り広げた。
高須はCMディレクターの箭内道彦と知り合いという縁で、2011年に結婚情報誌『ゼクシィ』のCMに出演。同CMには内田裕也・樹木希林夫妻も出演しており、内田とは縁があった。
だが内田から、自身もナレーションで参加していた事を知ると高須は驚いた。
母・樹木希林
亡くなって3年になる樹木希林を回顧。内田は「明治の女」と評するくらい樹木は厳しかった、怖かったと語るが、あらためて思い返すと、その怖さの裏には「必死に生きてた」と感じる部分があった。
事実上のシングルマザーで、女手一つで家事も全て自分でこなし、子育てもして、「どうしても厳しさが見えちゃったんですね」と思い返した。
内田は1976年2月生まれ。74年にはドラマ『寺内貫太郎一家』、78年には『ムー一族』と一番忙しく、また30歳前後で老け役を演じ、由利徹ら錚々たる喜劇人を相手に喜劇出身でもなくコメディーをやるのはかなりの労力だったろうと高須は慮った。
これに対し内田は、「だから殺気立ってました」と同調。
そんな仕事環境の中での子育てはどうだったのかというと、「しっかり食べ物だけ食べさせておけば子は育つ」という考え方で、当時70年代はオーガニックの走りで、玄米菜食などにこだわって鉄の釜でご飯を炊き、質素ながら食事はちゃんと用意してくれていた。そんな樹木を見て、「修行僧」のように思ったという。
また、樹木は「一度言ったことは二度と言わないから」と頑固親父のような態度で接し、内田は子供ながらに自身の方から察するようになったという。そして一人っ子だったため、大人びるのも早かった。
父親が家にいない分、樹木は男親代わりでもあり、時には頂き物に対して、「好きなの選びなさい」ではなく、「私はこれ!」と先に選び、競争させる兄弟のような役割も見せた。
ただ、極端すぎて、おもちゃを1つも買ってもらえず、洋服も中学に上がって初めて買ってもらえるようになり、それまでは役者仲間のお下がりで、Tシャツですら肩上げして着させられたというほど。
そのため内田は子供の頃、「貧しい家庭で育ったんです。貧しいと思っていて」と樹木に収入があるとは思っていなかった。
その一方、父・内田裕也がロックコンサートを行うために数千万円が必要だとなれば、「コツコツ貯めたお金をスッと差し出して…」用立てる献身さ、豪気さも持っていた。
「自分の中のポリシーっていうか、美しいこととそうでないことをハッキリ持った人でしたね」。
内田から見て、両親2人に共通しているのは「まわりにどう思われても気にしない」という部分。
内田が緊張して縮こまっていると樹木から、「あんたも浅いわね~。自分をよく見せようとするからそうやって緊張したり、何言ったらいいかわからないってモジモジしてんのよ。自分をよく見せようと思わなければ思ったことをストンと言うだけでしょ?」と言われたが、実現はなかなか難しいものだった。
そんな自我の強い両親を内田は「言い過ぎた両親でしたね。たくさんの人を傷つけただろうなあっていうのは思うんですけど。まあそれでもどこか、面白みの部分を見てる方が汲み取ってくださってなんとか続いたんだろうなあって思います」と語った。
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