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  • 執筆者の写真サエグササエル

とんねるず石橋貴明、モハメド・アリとの4度のニアミスを語る!

とんねるず・石橋貴明が、2021年12月13~17日放送のTBSラジオ『赤江珠緒たまむすび』内で放送される『GIFT ~未来への贈り物~』にゲスト出演。

14日の放送からは、『人生で影響を受けた作品』というテーマから、石橋が選んだスポーツ選手の名言、中でも「自分が大好きで、会った事がある選手の名言」に絞って紹介した。



『不可能とは、自分の力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ。不可能とは、現状に甘んじるための言い訳に過ぎない。不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。不可能とは、誰かに決めつけられることではない。不可能は通過点だ。不可能は可能性だ。不可能なんて、有り得ない』モハメド・アリ


石橋は、この言葉の最後の部分『impossible is nothing』が数年前にアディダスでコピーに採用されたことにも触れながら、ほとんどの不可能を覆してきたアリを紹介。

モハメド・アリは、ベトナム戦争への徴兵を拒否してライセンスを取り上げられ、3年7カ月後に復帰したが、ブランクでチャンピオンは絶望的と言われていた。だが1974年10月30日に行われた、王者ジョージ・フォアマンとの対戦をキンシャサの奇跡でタイトルを奪取し復活を遂げた。石橋が小学生の頃だった。


石橋はアリを「人種、宗教、いろんなものを覆してきた、最高のアスリートだと思ってるんですけども」と語る。


石橋が小学4年生の時に、アリがノンタイトル戦で来日。土曜日に池袋の東武デパートの屋上でサイン会があり、石橋少年は学校終わりに整理券をもらいに電車で向かったが既にSOLDOUTで、サイン会には参加できなかった。だが一目見ようと階段で、前の日に一生懸命描いたアリの似顔絵を差し出したところ、「センキュー」と言って受け取ってくれたと振り返った。


アリとは何度か対面する事があったそうで、1998年公開の映画『Godzilla』試写会がニューヨークのマディソンスクエアガーデンであり、招待された石橋の前をアリが歩いていた。


また、1996年の第69回アカデミー賞に石橋が招待された時にも、『モハメド・アリ かけがえのない日々』がドキュメンタリー長編賞を受賞したおかげで、モハメド・アリが同じ会場にいたと重ねる。


そしてたまたまロサンゼルスにいた時、ラスベガスにK-1の取材に来ていた友人のフジテレビ社員から、K-1のゲストでモハメド・アリが来ていると知らされ、すぐさま飛行機で駆け付けた。かなりの至近距離まで近付いたそうで、その時に先述のフジテレビ社員から、写真を撮りましょうと申し出されたが、「いい、いい、いい。見るだけで充分」と遠慮したと明かした。


締めくくりに石橋は、「時代は不安定で、みんな不安な気持ちになっているでしょ? ポジティブになれるように、これからも“不可能なんてありえない”と、清く生きたいと思います」と誓った。



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