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  • 執筆者の写真サエグササエル

バッファロー吾郎・竹若元博、後輩に慕われる先輩になる方法は

バッファロー吾郎の竹若元博氏が、2021年5月27日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。コンビ決死から吉本印天然素材時代、そして大喜利イベント『ダイナマイト関西』の人気の秘訣について語った。



現在、お笑いコンビ・バッファロー吾郎としてのネタ出番はほとんどなく、別々に活動していることが多いという。というのも、バッファロー吾郎A氏が吉本興業とエージェント契約を選択したため、コンビの仕事が決めづらいという。

現在、バッファロー吾郎A氏は松竹芸能で『松竹印人工素材 2期生』のインタレスティングプロデューサーを務めている。


人気グループ『吉本印天然素材』の裏話



バッファロー吾郎と言えば若手時代、『吉本印天然素材』のメンバーだった。

前日の5月26日放送のテレビ朝日『お笑い実力刃』にお笑いコンビ・FUJIWARAが出演。当時人気を博した吉本印天然素材の事を語っていた。

藤本敏史曰く、「ダンスのできるお笑い集団を作りたい」という吉本側の希望があって作られたといい、「めちゃくちゃ人気があった」と原西孝幸と声を合わせた。

そして人気は、ナインティナイン・雨上がり決死隊・チュパチャップス(宮川大輔・星田英利)が1軍、FUJIWARA・バッファロー吾郎・へびいちごが2軍と分かれていた。


大阪から新幹線で上京し、そのまま東京駅から中央線で水道橋駅に降りると、収録を行う後楽園ホールまでファンで埋め尽くされていたという。

そんな中、バッファロー吾郎は当時、後楽園ホールで収録が行われる中、水道橋駅から後楽園ホールに劇場入りするまで、ファンと出くわすが、2軍チームはすんなり楽屋入りし、弁当を食べていると、大量のプレゼントを抱えた1軍チームが楽屋入りしてきたと振り返っていた。


また、『お笑い実力刃』には、NSC9期生でナイナイ・チュパチャップス・へびいちごと同期の矢野・兵動も出演。当時、吉本印天然素材の番組は東京ローカルだったので関西では放送されず、人気のほどがわかっていなかったが、吉本印天然素材がNGKでイベントを行うので、舞台袖で見学すると、観客が全員女性客で、オープニングがダンスからスタートするや観客が熱狂し、そしてネタや合同コントを含めて、恐れ入ったという。


しかし、当時一番人気とダンスの実力があったナインティナインの岡村隆史が最もやりたがらず、お笑いをやりたいという思いから、ダンスの先生とよく衝突していたと説明。


竹若はそんな吉本印天然素材の内情について、「お笑いをやるつもりで入って、オーディションがあって受かったらダンスやお芝居に」という葛藤があったと語る。だが先生たちのレッスンは、舞台を少人数で大きく見せる方法などのメソッドが組み込まれた、勉強になるもので、当時はそれに気付けなかったと振り返った。


一方、竹若はダンス未経験だったが、運動神経が良かったため、ダンス指導をするコレオグラファーの夏まゆみ先生には「竹若は背がある程度もうちょっとあったら、本職に出来るよね」と評価されていたと語る。


その理由について竹若は、「小学校の頃からジャッキー・チェン世代なんで」と、休み時間にはバク転の練習をし、学校から家までの150mを帰宅する時もずっとバク転で帰ったこともあったと語った。

小柄で眼鏡を掛けているため、あまり運動が出来るように思われないが、吉本印天然素材のロケで行われたウェイクボードや空中ブランコも1発で成功させた運動神経の持ち主。

学生時代は、体操の大会に出場したこともあるが、大会ではダイナミックさと技の種類の豊富さを審査ポイントに加点されるため、同じ技を何度も繰り返したかった竹若は不向きと感じたと振り返った。


後輩に慕われる理由



ファン人気の薄かった天然素材の2軍チームだったが、男人気は強く、特にバッファロー吾郎は袖で仲間に見てもらえたり、ケンドーコバヤシなどから憧れられていた。


そんな後輩に慕われているというイメージに対し竹若は、

「慕ってくるというよりも、僕らが寄っていってるというかね、僕らやっぱりその、全然ヒマな時はすぐに劇場に行って、いろんな後輩とかのネタを見るのが好きやったんで。(出番)無くても見に行って、キャッキャキャッキャいうてて、まあそこで喋りに行ったりとか、今度イベント一緒に出てよ、みたいなことをやってたんで、慕われてるというよりかは、いつも来てはる人、声かけてきたな、みたいな感じで」と後輩への寄り添いがあった事を明かした。


第1回キングオブコント優勝者のバッファロー吾郎。ふざけているようなネタが多いイメージだが、ネタ見せは怒られなかったのかというと、ほとんどが「バッファローの世界やな~」といなされてきたという。

それに対し竹若は、「もうちょっとこう言われてた方が、いろいろ意識して方向転換とかも出来たのかなと思うんですけど」と語った。


コンビ結成のきっかけはチャーハン



バッファロー吾郎の2人はNSCにそれぞれ入学。当時は今宮えびすコンクールに出場できるので、最初からコンビで入ってきた人以外は、大会までに「コンビを組め」、と言われて急造する風潮だったという。

しかしいざ出ると、やはり違うと感じて解散する者も多く、竹若もその1人で、その後授業を経て仲良くなっていく中で、A先生を相方に狙うように。

そんな中、A先生が当時組んで同居していた相方がA先生の作ったチャーハンの味に文句を言ってケンカ別れし、組むようになったという。

(2021年6月10日放送の『ナイツ ザ・ラジオショー』にて、バッファロー吾郎A氏がゲストで来た際に、「チャーハン」ではなく「スパゲッティー」であったと訂正した。)


最初に作ったネタは毒舌漫才!?



当初は東京への憧れから、ビートたけしを意識した毒舌漫才をやっていた。だが互いの性格に合わず、3ヵ月で方向転換。設定を軸に「好きに動いてみようぜ」としだしたところから、ネタ中にプロレスをするようになったりしたという。


設定を考えるのに凄い時間はかかるが、作りやすい、ググっときた設定になるとネタがあっという間にできるそうで、コンビお互いに設定を出し合うのが好きだと語った。


お笑いをやるベースにあるのはダウンタウンで、当時もダウンタウンの人気が凄く、「ダウンタウンになりたい」というのが周りの全員にあった。しかし打ちのめされて、新たに自分のスタイルを見つけるというのがバッファロー吾郎含め周りの芸人ほとんどの課題だったという。


そのため、ダウンタウンと共演すると何も喋れないくらい緊張し、観られるだけで幸せと感じるという。なので今の第7世代がダウンタウンに対してフレンドリーに接するところを見ると、考えられないという(嫉妬もある)。


一方で、同期に対してライバル心は無かった。

それはダウンタウンが過去のスタイルを切り崩して新しいものを次々と生み出していったので、自分達はそこに憧れを感じ、芸人みんなが新しい笑いに対する貪欲さを持ち、方向性が散逸し、互いに刺激し合う仲になったという。


そして舞台やイベント出演が多いバッファロー吾郎は、テレビに対する憧れもあったが、仕事はほとんど劇場しかなかったので、いざテレビに出ると劇場サイズの15分ネタが短くなるテレビサイズに落とし込みにくく、劇場で好きに15分尺でネタができる喜びの方が勝っていった。


『ダイナマイト関西』が長く続く理由



バッファロー吾郎が主催する大喜利イベント『ダイナマイト関西』は、ダウンタウンがやっていた大喜利スタイルが大好きだったが、そんな番組が無くなってしまい、ならば自分たちでやろうとイベントを企画。よりディープにと、自分たちの好きなプロレスの雰囲気を掛け合わせていった。


そしてケンドーコバヤシ、ハリウッドザコシショウらに声をかけやってみたが、客の反応が悪く、2回目は無いかと思っていた。

だが、出場者全員から「もう一回やりましょう」と声をかけられ、イベントを続けることにすると、人気が出ていった。

お客さんの雰囲気も最初はザワザワしていたが、雰囲気を理解しているお客さんが他のお客さんをいなす雰囲気を出し、客が客を育てていったという。



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