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  • 執筆者の写真サエグササエル

佐久間宣行×高須光聖、深夜のテレビマン対談(1)

2021年8月22日放送のTOKYOFM『空想メディア』に元テレビ東京のテレビプロデューサー・佐久間宣行氏(45)がゲスト出演。業界の先輩であるパーソナリティー・高須光聖氏(57)に、テレビマンになるまで、そしてテレビマンの仕事について語った。



メインパーソナリティーの放送作家・高須光聖氏と佐久間氏は既に面識があり、と言っても、かつてテレビ東京が吉本興業と深夜の年越し特番(『今年も生だよ!4時間笑いっぱなし伝説』シリーズ)をしていた頃に制作会社での会議で顔を合わせた程度。佐久間氏は吉本興業とタッグを組んでいたテレビ東京の伊藤隆行プロデューサーのお手伝いでアシスタントプロデューサー(AP)的な役割で参加した程度。


その後、2016年3月25日に行われたイベントライブ『6人のテレビ局員と1人の千原ジュニア』に佐久間氏が参加し、その際に劇場で顔を合わせた。

しかし佐久間氏はそれ以前に、2006年2月25日に行われたイベントライブ『6人の放送作家と1人の千原ジュニア』も現場で鑑賞。高須氏がそれに参加しており、そこでも少し顔を合わせた。


『6人の放送作家と1人の千原ジュニア』



高須氏によると、『6人の放送作家と1人の千原ジュニア』は高須氏と板尾創路氏が出演するCS放送の『ヨシモトファンダンゴTV』のDVDを語る番組『御影のツボ(第3のツボ)』を番組収録していた際、まだブレイク前の千原ジュニア氏にゲストで来てもらい、その際にイベントの話を持ちかけられたが、「高須さんはもう決まってるんです。後は誰が良いですか?」と訊かれ、参加は決定事項だった。高須氏も自分の番組に出てもらったという恩があるため、引き受けざるを得なかった。

その時、千原ジュニア氏に「他にどなたが良いですかね?」と訊かれた高須氏は、鈴木おさむ氏やそーたに氏の名前を挙げ、ジュニアは「わかりました。総当たりします」と決めたという。


『6人のテレビ局員と1人の千原ジュニア』



その公演やDVDを観た佐久間氏は企画力の高さにおののいていたが、10年後に「6人のテレビ局員~」をやることになり、その話が自分に来てしまい、また千原ジュニア氏の訊き方が、「(テレビ朝日の)加地(倫三)さんはOKしてるんですけど…佐久間さんやりますか?」と自分より業界の先輩の名前を出され、断れなかったという。

しかし後に吉本興業と加地氏に訊いたところ、ほぼ同時期に「佐久間さんはOKしてるんですけど…」と同じ訊き方をされていたと語った。


そして当日、『6人のテレビ局員~』の会場のお客さんはお笑いマニアばかりで雰囲気は「激重」で、更に後列の席には民放テレビ局5局の上の方の業界関係者ばかりでとてもやりづらかった。


また、企画は各局のカラーが出ていたが、中でもTBSの藤井健太郎氏は異常で、高須氏も「アイツ、おかしいな…」と思い、その時のことを藤井氏に訊いたら、「あそこに呼ばれたらもう、勝つしかない」という気持ちだったそうで、どんだけの苦労もいとわず、「レギュラー捨ててでもやるしかないと思った」と言われたと明かし、佐久間氏も作家伝いで、藤井氏が3カ月も前からVTRを作り始めていると聞いて、驚いたという。


●『6人のテレビ局員と1人の千原ジュニア』レポート


●TBS藤井健太郎氏インタビュー『6人のテレビ局員と1人の千原ジュニア』


『ゴッドタン』の存在



テレビ東京時代はおぎやはぎ、劇団ひとり、バナナマンといった東京芸人と主に仕事をしており、関西系吉本で冠番組をやったのはキングコングと千鳥のみの佐久間氏の代表作が現在も続く深夜バラエティ番組『ゴッドタン』。

高須氏も「東京芸人の遊び場」という感じがして、出ている芸人が活き活きと見える、と評価し、『ゴッドタン』は佐久間氏曰く、今田耕司、東野幸治以降の関西芸人には既にフォーメーション(関係性と決まったやり取り)が出来ており、その輪に入れなかった東京芸人たちの反省会と、東京03角田の歌のようなおもしろコンテンツの“商品紹介”が目的で、それが出来たことが大きかったと語った。


『ゴッドタン』が始まったきっかけは、東京芸人の合同ネタ見せ『東京コンベンション』があり、民放各局がお笑い特番を持ち回りで開催していた頃、入社2年目で初めてテレビ東京に回ってきた際、上司から「佐久間、2年目だけどお笑い好きだから、ネタ見せやっていいよ」と言われ、その時におぎやはぎ、劇団ひとりと出会った。劇団ひとりはピンになって最初のネタだった。

当時は『はねるのトびら』(フジ)が始まったばかりで、「えっ、20代半ばから30代前後に、全く無名なのにこんなにおもしれえ奴らいるんだ!」という衝撃があった。

その後佐久間氏が20代後半の時にお笑い番組の企画書を何度か提出し、ようやく通って実現したという。


番組のコンセプトは、まず、おぎやはぎと劇団ひとりに“ロケが得意じゃない”というイメージがあり、また劇団ひとりに「追い込んで、出口が無い方が爆発して面白い」という算段があり、劇団ひとりが活躍しそうな『キス我慢選手権』や『マジ歌選手権』をやり、人気が出ると時折挟むことにした。

その一方、当時売れる前のバナナマンがとにかく面白かったので準レギュラーにして、収録中の企画の軸作りを日村に任せ、当時、仕切れる能力があると見抜かれていなかった矢作と設楽に転がしてもらい、劇団ひとりでオトすというフォーマットでいろんな企画をやっていこうと考えていた。


人気企画『マジ歌選手権』で劇団ひとりが使用する特殊メイクチームは元々、佐久間氏が関わった『TVチャンピオン』のチャンピオンで、その繋がりで紹介して今もやってくれているが、現在では映画『進撃の巨人』などを手掛ける日本最高峰のチームであり、高須氏も『笑ってはいけない』シリーズで起用していた。


佐久間氏によると、劇団ひとりには「映画を撮って、スゴいと評価された翌年には、ヒドい事されたい」という気持ちがあるという。

また、『マジ歌』には様々なアイディアが飛び交い、打ち合わせが全然終わらないので、今年は既に8月から始めている。


テレビ局に必要な存在



プロデューサーという肩書ながら、現場ではカンペで指示を出したり、編集を行ったりするなど演出家・ディレクターの側面も持つ佐久間氏。

高須氏によると、テレビ局には各局に「重しになる演出家」がいて、“この演出家の番組なら”と芸人も力を入れ、エンジンになる存在が1人はいて、「演者が顔変えてくる」そうで、これは作家ではなれないと語る。

佐久間氏も芸人サイドが考えとして、「ここまでやっても、(放送で)使ってくれる」という意気を演出家に感じており、それにより芸人の力の入れ方が変わってくると語った。

高須氏は片岡飛鳥(『めちゃ×2イケてるっ!!』)氏の「ケンカの強い番組」という表現を紹介。名前を聞けばオファーされた出演者が力を入れる番組というのがあり、特に勝ち気な芸人なら、今まで出していない違った一面を見せようとして来るという。


佐久間宣行の半生


テレビ東京はここ十数年でイメージが大幅にアップ。佐久間氏の『ゴッドタン』(05~)や伊藤プロデューサーの『やりすぎコージー』(前身『やりにげコージー』(04~)11)『モヤモヤさまぁ~ず2』(07~)などの深夜バラエティや『モテキ』(10)や『孤独のグルメ』(12~)といった深夜ドラマの影響が強い。


佐久間氏が入社した頃(1999年)は、局制作の番組が少なく、人気番組『ASAYAN』(95~02)も制作会社が作り、バラエティは『TVチャンピオン』(92~06)と『愛の貧乏脱出大作戦』(98~02)ぐらいで、自社制作のお笑い番組が無かった。


お笑いやお芝居が好きな佐久間氏。

少年の頃からマンガや演劇が好きだったが、当時の福島県いわき市は水産高校を中心としてヤンキー文化がビンビンだったので、「バレたらいじめられるのかな」と感じ、BOOWYが好きなフリや、身長が高くバスケ部にも入っていた。そのおかげか、ぞんざいに扱われることも無く、ただ本来の趣味は隠して生きてきたという。『アニメージュ』を買う際も、エロ本を買った時のように隠して持ち運んだと語った。

伊集院光の深夜ラジオもずっと聞いていたが、その話ができる仲間もおらず、ずっと東京に行きたかった。


早稲田大学に進学した佐久間氏は最初に勧誘を受けた広告研究会に入部。そこでは、同級生に日曜劇場『TOKYO MER』のプロデューサーであり大映テレビ社長でもある渡邉良介氏、日本テレビ事業部社員でありながら、ドラクエの映画やラルクのコンサートのプロデュース、久石譲氏のマネージャーも務める依田謙一氏、また映画監督の西川美和氏もおり、まだ何もしていないただの学生ながら話すと面白い彼らに「東京スゲえな」と感じた佐久間氏は、力の差を感じて1年ちょっとで退部。エンタメを趣味として、飲食店バイトの経験から人と話すことが好きだと感じ、商社の営業マンを目指して就活した。

ただ当時、フジテレビの入社試験が一番早く、記念受験するのが恒例だった。それに佐久間氏も参加し、2次面接で当時部長クラスの亀山千広氏(元フジテレビ社長)に質問されて答えると、「君、事業で受けてるけど、制作の方が向いてんじゃない?」「面白いと思ったことを結構ちゃんと喋れる人は、作れると思うよ。自分が見てきたものとかをここが面白かったんですって言えるってことは、わかってるってことだから、自分なりの面白いがあるから、出来んじゃない?」と言われ、そこから制作で受けて間に合ったのが、テレビ東京だった。

佐久間氏自身、結局、本当は制作がやりたかったのを蓋をして、自信を付けてもらったことで制作を受ける事ができたという。


ちなみにフジテレビの入社試験は役員面接まで行ったそうで、結局、早稲田大学のクラスで一番モテた奴がフジテレビに受かり、現在『めざましテレビ』のチーフプロデューサーを務めているという。


現在45歳。ディレクターを続けたいという思いがあった中、42,3歳頃から管理職の話が来ていて、それを先延ばしにしていたが、上司の伊藤氏の部署のナンバー2になり、伊藤氏が異動になると自分が部長になって、現場を離れざるを得ないため、昨夏からテレビ東京と相談し始め、退職する形を選んだ。

また、同じ会社に勤める妻の理解も大きく、テレビ東京所属ということで来た興味ある仕事を断らざるを得なかった場面を見て、考えてくれていたという。そして娘が中学3年生でなんとかなるということも背中を後押しした。


佐久間氏は現在手掛ける番組から離れることなく退社。テレビ東京とは“全ての番組をやってこの金額”という固定金額の包括契約になっていて、会社員時代より給料は低く、フリーのディレクターが番組ごとに契約した場合はもっと貰えるという。

ただ、佐久間氏としても番組から離れずに済み、テレビ東京もお互いに譲るところは譲ってくれており、WIN-WINとなっている。


オールナイトニッポン0



2019年4月3日から放送されている『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』(ニッポン放送)。

制作者でラジオをやるのはテリー伊藤氏以来ではないかというほど衝撃だったが、元々ラジオ好きで、AKBグループのラジオ(『AKB48のオールナイトニッポン』2018年5月9日放送など)に出演し、NGT48の中井りかと何度かトークしたのを秋元康氏が聴き、「絶対、向いてるよ」と言われ、テレビ東京の社長と会長からも「おもしろいんじゃない?」と言われ、実現。


●AKB48のオールナイトニッポン2018年5月10日当時のブログ


佐久間氏によると、ラジオのスタートや、テレビ東京退社後も仕事を円滑に続けられている事で、学生からテレビ東京の会社としてのイメージが大幅にアップ。

高須氏は「演出家は顔を晒した方が良い」と加地氏にもアドバイスしており、その方が出演者が番組にハマろうと、より目指してくれると効果を説明。

佐久間氏もラジオで番組の話をするようになってから、演出の意図を感じてくれて、見逃し配信の視聴回数が1.5倍~2倍に増えたという。



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