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  • 執筆者の写真サエグササエル

離脱者続出!?スタッフが明かすめちゃイケの壮絶な制作現場

極楽とんぼ・加藤浩次が、2021年10月31日放送のTOKYOFM『空想メディア』にゲスト出演。放送作家・御影屋聖として参加していた高須光聖が、『めちゃ×2イケてるっ!!』の壮絶な制作現場について語った。



2人は『めちゃイケ』で繋がりがあるが、ゲストの加藤浩次は、「ダウンタウンさんのことめちゃめちゃ怖かった世代」で、そのダウンタウンと同級生で座付き(専属)の高須と喋るのはかなり覚悟が必要だった。


一方、高須から見ると加藤、ひいては極楽とんぼは東京吉本のかわいい若手で、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』にも幾度か起用。というのも、レギュラー出演者の月亭方正(当時は山崎邦正)が東京吉本所属になってからは、東京の劇場のトップは山崎邦正の漫才コンビ『チーム0(ゼロ)』であり、その直後の後輩が極楽とんぼだったため仲が良く、方正はよく「極楽とんぼ、使ったってください」と高須やスタッフに進言していたと高須は振り返った。


めちゃイケの会議の長さ



加藤は27~49歳頃まで『めちゃイケ』に出演。会わなくて良いと考えていた、母親の再婚相手の義父に会いに行ったり、結婚、出産などに密着したり、岡村に次ぐ第2の主役だった。

出産への密着取材は母体への影響もあり、推奨されるべきものでもないが、加藤は妻に、「これがめちゃイケだから」と説き伏せ、総監督の片岡飛鳥には二つ返事で従ってきた。

片岡とは、加藤が22~23歳の頃に『とぶくすり』(93.04~93.09)で出会い、片岡の判断の正しさを感じていた。


高須は『めちゃイケ』について、「あんな(長く)会議やる番組無いからね」と制作のハードさを語り、何度か辞めようとしたと告白。

スタッフ陣が行う会議は“月曜会”と呼ばれ、毎週月曜日に朝から10時間が当たり前。最長20時間に渡ることもあった。


売れっ子放送作家の高須は他の番組とも関わりながら、ある時はドラマ『明日があるさ』(01.04~01.06・日本テレビ)の脚本執筆に追われ、ハードスケジュールから血管が詰まり狭心症と診断され、『めちゃイケ』を降板しようと、片岡と三宿のデニーズで食事の席を設け、1時間ほど雑談しながら頃合いを見て降板を切り出した。だが、片岡から「嫌です」と跳ね返され、そこから片岡は、めちゃイケにとって高須がいかに重要な存在か、そしてめちゃイケをどうしたいかという“ストーリー”を語られ、朝5時まで説得された。

だが高須も健康上の理由があるので譲らず、そこから片岡は「わかりました」と、“木曜会”という木曜日の会議が設けられた。


“木曜会”には高須の他、伊藤正宏、渡辺真也らベテラン作家陣が出席。こちらは終わりの時間も決められていた。

内容は、月曜会で細かいところまで全部詰め、鈴木工務店ら若手作家が台本に仕上げたものを高須達が木曜に審査。それこそ月曜会で朝までかかったものを木曜会でひっくり返し、次の月曜にまた一からやり直しということもざらにあった。

高須は、「あんな番組…、心折れるで」とその壮絶さを物語った。


最初はフジテレビのゴールデン枠で好きな事が出来る楽しさがあったが、さすがに毎回やるのが辛くなっていった。

すますま・すずきの名で参加していた鈴木おさむも体調が悪くなり、途中離脱。変な太り方をしていたと加藤も述懐した。


一方、加藤はどう思っていたかというと、若手の頃は明日の収録が楽しくて、前の日眠れない時もあったそうで、『爆裂お父さん』のコントでは、番宣で来たゲストに対して加減することもなく、「どうなろうが関係ない。どうなってもいいんだ、自分自身は。もう自分の見え方とか、全く考えてなかったですね。明日ダメになっても良いし、この瞬間だけ、行ったれ!みたいな」と本心で思っていたという。



高須から、『めちゃイケ』での役割はキツくなかったか、という問いに加藤は、それぞれの役割は仲間内でワイワイ話していく内に、よゐこ濱口優のバカさ加減や、相方・山本圭壱の「親戚の恥ずかしいおじさん(よゐこ有野命名)」というキャラクターがわかってきて、それが作られたものではなく真の姿だったので、そこを全面に出していくようになっただけだったと語る。

また、企画に対して、ナインティナイン岡村隆史が黙ってしっかりやっていく姿が、みんなにもそうさせたと加えた。


むしろ矢部浩之の方が進行役として企画内容を全て知っているので、その都度、軌道修正をする必要があったため、片岡と一番長く打ち合わせをしており、一番大変だったんじゃないかと当時から感じていたと語った。

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