AMEMIYA、『冷やし中華はじめました』1本にしぼったワケ
- サエグササエル
- 2022年12月9日
- 読了時間: 3分
AMEMIYAが2021年7月7日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。芸人になったきっかけから、現在の結婚式替え歌営業に行きついた理由を語った。
AMEMIYAは千葉県佐倉市出身で、幕張の高校に通い、高校卒業後、すぐNSCへ入学。当時、おもしろかった高校の同級生が芸人になろうとNSCに入学すると聞き、自分も付いていった。バンドもやりたいと考えたが、当時は自分ともう1人別の同級生の2人しかいなかったので、できないと考えていた。
ちなみに、当時はダウンタウンに憧れていた。
コンビ芸人時代
その後、『ノンストップバス』というコンビでワタナベエンターテインメント(ナベプロ)に所属。ルックスのカッコ良さからすぐに売れると言われるほど人気があった。だがお笑い芸人っぽくやろうとしていたので、性格的に無理があった。現在の喋り方がアーティスト風だと言われるが、これが地だという。
2003年頃、中学時代に尾崎豊の影響で弾き始めたギターのおかげで、ピンでテレビ東京『やるヌキッ!』という番組で下ネタの替え歌を唄う『エロシンガーZ』という仕事が入るように。
またこの時期に、ベース漫談のはなわが『佐賀県』でブレイクし、音楽系タレントの可能性を視野に入れ始めた。
コンビ解散、バンドマン時代
そして『ノンストップバス』を6年やったが解散。
元々芸人にこだわりがあったわけではなく、人を楽しませたいと思っていて、組んだお笑いコンビが相方主導だったため、自分の力を試したくなった。当時の相方は現在、脚本家として活躍中。劇団もやっているという。
また、高校時代の音楽仲間の同級生が仕事を辞め、「音楽をやりたい」と言っていたので、バンドをやろうとバンドマンに転身し、2人バンド『アメロック』を始めた。
そして人数が増えたため、『ダイナマイトオレンジ』に改名。このバンド名は当時のメンバーが付けたが、AMEMIYAは、当時『ORANGE RANGE』が流行っていたため気まずさもあり、よく思ってなかった。
しかし、自身の憧れが尾崎豊やウルフルズといった“さらけ出し系”なのに対し、当時の流行は『ORANGE RANGE』や『BUMP OF CHICKEN』だったので、違和感を感じていた。そのためバンドマンよりも芸人の方が気が合ったという。
結局、バンドマンを2009年まで6年続けた。
バンド解散後、ピンになり、ソニーへ。芸人を6年、バンドを6年やって、浮いてしまうと思っていたが、ソニーは目をキラキラさせた年上の後輩おじさん芸人ばかりでびっくりしたという。
そのため、ソニーのお笑い部門立ち上げ期にはバンドマンだったので関わっていない。
また、波田陽区が日本テレビ系『エンタの神様』でブレイクした時は、AMEMIYAの芸人時代に波田は前座を務めていたので、先に行かれて悔しかったという。
『冷やし中華はじめました』が大人気に
TBS『あらびき団』で『冷やし中華はじめました』に火が付き、ブレイク。ピン芸人1年目でブレイクしてしまったため、トークが不得手なままテレビに出るようになり、その結果、トークしてもカットされ、歌だけが残るということになった。
そしてフジテレビ系『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』で1年間、ゲストアーティストに合わせた『冷やし中華はじめました』の替え歌を作って披露。そして曲が人気になり、結婚披露宴や企業から替え歌の依頼が来るようになった。これでAMEMIYAは需要が大切と感じて、シフトチェンジ。この企画書も自身がマネージャーに提案したという。
7月7日は小暑で冷やし中華が食べたくなることから『冷やし中華の日』ということで、オープニングで代表曲『冷やし中華はじめました』を披露。
さらに、『冷やし中華はじめました ナイツver.』も披露した。
●『ナイツに捧げる歌』(ラジオショー)
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