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  • 執筆者の写真サエグササエル

DJ KOO、ギタリスト志望だったことを明かす!

TRFのDJ KOOが2022年2月14日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。DJになり、小室哲哉氏と出会い、TRFとしてデビューするまでと、趣味の落語について語った。



生まれは東京都新宿区。その後千葉に引っ越して県内を転々とし、柏の高校に入ってラグビー部に入部。まだ強豪校になる前で、当時はラグビーとロックが好きだった。

元々はサッカー部に入るつもりだったが、勧誘に来ていた先輩に「ここに名前書いて」と書いて入部したのがラグビー部でダマされて入った。そして部室に行くと、『モール』と呼ばれる壁を先輩たちが作り、「こっちにボールあるから、殴ったりしなきゃ何してもいいからボール取ってみな」と言われ、集まった1年生全員で突っ込んだが全然歯が立たず、悔しくなってラグビーにのめり込んだ。


初めて買ったCDは沢田研二。小学生だった当時は、新御三家が全盛だったが、そこに色っぽくてかっこいい沢田が現れた。『追憶』『魅せられた夜』『危険なふたり』などを聴き、1977年(昭和52年)、『勝手にしやがれ』で第19回レコード大賞を取って聴いてみると、沢田がタイガースというグループサウンズ出身と知り、さらにタイガースのアルバムを聴くと英語の曲が多く、当時のグループサウンズは海外の曲のカバーが多かったという。

それでローリングストーンズを知ったKOOは洋楽にのめり込んでいった。


最初はレッド・ツェッペリンやディープ・パープル、リッチー・ブラックモア、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックを聴いてギタリストに憧れ、ギターを弾いた。

高校卒業後、音楽関係の仕事に就きたかったが、なり方がわからず、一旦諦めた。その後、ディスコに遊びに行ったところ、目に入ったDJが、自分のブースを持ち、様々な客を操る姿がカッコ良かったため、DJの道を志した。


当時のDJも縦社会で、見習い、セカンド、メインぐらいのランク別の立ち位置があった。最初はわかりやすいヒット曲のみをかける事が許され、また、先輩のおつかいにも行かされた。だがラグビー部出身だったので、どこの誰よりも早く美味しいラーメンを買ってこれた。

見習い中は流れる曲をノートに書いて覚え、レイ・パーカー・ジュニアの『It's time to party now』、SOSバンドの『Take Me a time』、マイケル・ジャクソンの『of the Wall』の3曲を最初に覚えた。


半年くらいは見習いで、ウェイターも兼務。

その内に、DJ HONDAとRemixチーム(THE JG's)を組み、久保田利伸、Wink、早見優らの楽曲をダンスミックスするという仕事を行うようになっていた。

当時ダンスブームが起き、なんでもダンスミックスするという現象が発生し、講談師・田辺一鶴の講談までダンスミックスする仕事をも手掛けたが、さすがにディスコシーンで掛ける場面は無かった。


小室哲哉との出会い



『RAVE』イベントをベイサイドクラブで行うにあたり、DJの募集があって、ベイサイドクラブとの横のつながりで募集を教えてもらったKOOが訪ねると、そこに小室哲哉がいて、それが最初の出会いだった。ちょうどその頃はTM NETWORKでの活動からソロ活動を始めたくらいで、小室の方はKOOの事はまったく知らなかった。

そしてご挨拶で小室のスタジオを訪ねた際、パンフレットでしか見た事の無いシンセサイザーやシンクラヴィアがいくつも置いてあり、音作りでも最初から用意されたプリセットを使わず、波形を操ってゼロから音を作り出すという、小室の音楽についての深さを思い知った。

その小室の「科学者みたい」な姿にKOOは「ショックを受けて、この人の世界に入りたいなと思って」、挨拶の次の日もスタジオを訪ね、「すいません、明日もスタジオに来ていいですか?」と尋ねると、「イイヨ、来ていいよ」と言われ、そこから半年間通い続けたという。

その内に、小室のレコーディングの音源素材をメモしたり、音源整理を手伝うようになっていった。


1992年9月、『TRF(当時はtrf)』が誕生。

TRFはTETSUYA KOMURO RAVE FACTORYの略で、元々、小室哲哉がRAVEイベントをする時の名前がTRFだった。

売れたなと感じたのは『survival dAnce ~no no cry more~ 』(94.05.25)の時。この曲で初めて1位を取った。それまではメンバーも固定しておらず、10数人いたのが、『寒い夜だから…』(93.12.16)のジャケット撮影をする時に今の5人になった。そして風向きが変わったのを感じたという。

まだネットの無い、電話だけの時代に当時ライブのチケットが15分で即完売するほどの人気だった。


演芸が好き過ぎて



実は演芸好きのDJ KOO。『M-1グランプリ』で好い結果を残しそうなコンビを予想し、的中させるなど、その審美眼も確か。

寄席によく行くそうで、新宿末廣亭や鈴本演芸場にも足繫く通い、ナイツがよく出演している浅草・東洋館にもよく観に来るのを塙に確認されている。


元々は立川談志フリークの落語好きで、生前の一人会にもよく足を運んだそうで、今でも移動中にトレードマークのヘッドホンで落語を聞いていると明かした。


そして総合プロデューサーとして『Zabu-1グランプリ』を主催。

真打ちになっていない若手が対象で、20分以上の真打ちのネタから落語として広げたい部分5分を演じて競う。その5分までの導入部は映像を使っていい事にしており、初めて落語を聞く人でも入りやすくなっている。映像も落語家本人ではなく、Zabu-1のスタッフが作ってくれるそうで、過去の優勝者として林家けい木や三遊亭わん丈といった若手の名前を挙げた。


●Zabu-1を伝えるDJKOO




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