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  • 執筆者の写真サエグササエル

TKO木本武宏、若手時代2000人を集めた伝説のライブを語る!

TKO・木本武宏が、2022年2月25日放送のニッポン放送『中川家 ザ・ラジオショー』にゲスト出演。若手時代の奇抜な活動について語った。


以前、中川家・剛が話していた、ホテルの朝食サービスなのに、ごはんがまったく用意されていなかったにもかかわらず、怒るどころか何一つ抵抗せず受け容れた芸人の正体が木本だったことを告白。その時、言われた木本も驚いたが、無い物は無いので受け入れるしかないと判断。しかしその後、ホテルの方が近所から炒めたてのチキンライスを調達して持って来てくれたという。

剛は女性と一緒だったので声を掛けず、以前の放送で話した時も木本の名前を明かさなかったが、その女性はマネージャーだった。女性マネージャーと歩くのは困るという男性芸人あるあるだと語った。


2020年3月の相方・木下隆行の事務所退所以降、コンビとしての活動は休止中。

形式上、コンビの活動が出来ない取り決めながら、木下には松竹芸能に戻ってきてもらおうと「絶賛がんばってるところですね」と答える木本。返す言葉も「絶賛調整中」としか無いという。

一応、連絡は定期的に取っていて、この前も電話が掛かって来て、「高圧洗浄機いる?」「いや、車キレイにしてもらおうと思って…」と日常的なもので、コンビ間の関係は良好であることをアピールした。


松竹と吉本



TKOは1990年に結成し、デビュー。当時はアイドル的人気で、ラップを口ずさんでからショートコントを披露する芸をしており、振り返った木本は「キャーキャー言われようとしてましたね(笑)」と語った。そして芸人では群を抜いてオシャレだった。


制作によっては、吉本と松竹は一緒の番組に出演できないという暗黙のルールがあったが、若手芸人の登竜門的なネタ番組『爆笑BOOING』(93.04~96.03・カンテレ)では共演可能に。それでも木本と中川家は喋った事はほとんど無く、控え室も事務所別で分かれていた。

また当時は、具体的に誰と誰が、ではなく、若さと空気が対立構造を生み出し、ギスギスしていた。

しかし実は松竹側は吉本側に歩み寄ろうとしており、木本曰く、当時松竹芸能の芸人は、吉本の劇場の近くを歩くと「うわっ、松竹芸人や」みたいな卑下するような言われ方をしていたそうで、風当たりの強さを感じ、ライブをしても集客が弱いので、戦略としてまず吉本の芸人さんと面識を持つことにしたという。

なので、『爆笑BOOING』のエンディングの全体を映すための引いた画の時に、吉本の芸人の方を向いて、口を動かし、仲良く喋っている感じを演出していたと明かした。


伝説の松竹野外ライブ



中川家も、松竹の若手芸人たちが大阪の若者が集まるアメリカ村の三角公園でライブを行っているのを観に行ったと語り、木本は当時、松竹は若手の出演できる劇場が無かったので、よゐこ・オセロ・ますだおかだ達とライブをする事に決めたと振り返った。

最初は2~3人だったお客さんも、いつしか4~500人集まり、そして最後に新聞が取り上げてくれた時には、2000人と表記された。

そこから自信を持った木本ら若手は事務所に劇場新設の直談判に行ったが、事務所側は「それがどうした」という感じで、キレた若手らは示し合わせて、事務所でのネタ見せをボイコットした。

会社からは「今すぐ来い!」と呼び出され、「そんなにしたいんか、ライブ!」と当たり前のことを言われ、そこから月に1回は事務所が劇場を押さえてライブを開催してくれるようになったという。


またその頃、吉本の心斎橋筋2丁目劇場で千原ジュニアが主催するライブに松竹の芸人が出演するようになったが、本来はご法度だった。

『爆笑BOOING』がきっかけで仲良くなり、ジュニアの誕生日ライブに呼ばれたTKOが2回のキャットウォークから見ていると、「今日来てんねん、TKOとか」と呼びかけられ、手を振り返すと、会場にいたお客さん達も好意的に受け入れてくれて、さらに舞台に上がるよう言われ、舞台に上がった。

そしてその日、ジャリズムの渡辺鐘が2階から1階に飛び降りて骨折し、その事が『すんげー!Best10』(95.01~97.09・ABC)で楽屋ニュースとして取り上げられ、写真が放送に映し出されると、そこにTKOが映っていたので、松竹の偉い人に呼び出された。

だが、その偉い人は吉本興業に強い憧れを持つ人で、部屋に入ると、「2丁目劇場ってどんな作りやった?」と聞かれたと語った。

また、その時、俯瞰で中川家・剛も観に来ており、松竹芸人のペコペコとした接待感がエグかったと語り、なんで松竹がこういったライブをやらないのかと疑問を持ったという。


TKOら松竹芸能の若手芸人は、とにかく仕事がまったく無かったので、みんなで『松竹笑わし隊』と書いたたすきを巻いて、アポを取って関西中の製作会社に「たのもう!」「僕たちのネタを見てくれ!」と変なノリで突撃し、マネージャーの代わりに営業をしていた。制作会社の人も面白がって見てくれて、そしてまた次の制作会社を回っていったと振り返った。

松竹芸能からそれをする許可は貰ったが、社員は来ずに芸人だけで回り、中には優しい制作会社が仕事を回してくれて、そうなってから、「その辺から会社が、“オレたちがやってあげた”みたいな顔はしだしたよね」と語ったが、「仕方ない。そんなもんです」とまとめた。


趣味はサウナ



多趣味な木本だが、2年前からサウナにハマっている。「ととのう」という感覚を知ってしまってからは、やらずにはいられないという。

最初から時間を決めず、水風呂に入りたいなという時に上がるのと、心臓の鼓動が倍になってから1分後に出るのがポイントだそうで、木本は1セット8分、9分、10分と上げていくタイプ。水風呂は30秒から1分。

剛もサウナに行くそうで、その時は10分、7分、7分で、水風呂は1分30秒と語った。

水風呂に入ると逆に温かくなり、体中を膜が張るような感覚になるそうで、『羽衣(はごろも)』と呼んでいる。

だが、「ととのった?」と聞いて回るのが、後輩からは『ととのいハラスメント』と呼ばれてしまっているという。

以前、剛は「挨拶したら5秒おれ」と言われたそうで、木本曰く、「先輩に喋りかけてもらえるかもしれない」と繋がれるチャンスだと解説。

元々、松竹は先輩との接点が少なかったので、チャンスを逃すなという意味で伝えていたのを、イジられるようになり、剛とは既にだいぶ仲が良いのに、最近も挨拶して5秒待ち、しかも声に出して数えてイジッてくるそうで、それに対して木本は、「よし」と返している。

剛は他の先輩にもそれをやり、唯一、明石家さんまだけ「なんや!?」と声を掛けてきたという。


木本は事務所の先輩との繋がりでは、森脇健児からは「コツコツが勝つコツ」とシャドーボクシング交じりに言われ、鶴瓶からは「この世界はジャブや」と言われたそうで、なぜかボクシングに絡めてくると語った。



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