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  • 執筆者の写真サエグササエル

TOKYO COOL、ブレイクを後押しする売れっ子芸人たちの存在明かす!

お笑いコンビ、TOKYO COOLのカンカンと前すすむが、2022年3月17日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。現在までの紆余曲折についてかいつまんで説明した。



登場早々、パーソナリティーのナイツからはかつてのコンビ名『赤いタンバリン』の方が馴染みがあると言われるカンカン。現在はSMAに所属しているが、昔はマセキ芸能社所属でナイツより先輩だった。

また、芸歴ではカンカンの方が半年~1年先輩。


前すすむは千鳥と旧知の仲


前すすむ(上林)は、元々大阪で北口氏と『こんらんチョップ』としてコンビ活動。大阪NSC15期に入学し、笑い飯西田やランディーズ、東京NSC1期生の品川庄司と同期。しかし吉本のNSCを中途退学し、笑い飯や千鳥と自主ライブ『魚群』を開催。成績は上位に位置し、調子に乗っていたのもあってコンビで上京。当初は浅井企画に所属した。

また、『ヤムヤムインナーチョップ』というコンビで活動していた。


だがその後に、笑い飯や千鳥、Wエンジンのチャンカワイと言った知り合いたちが徐々に活躍しだしていき、『にちようチャップリン』で千鳥と共演。大悟を呼び捨てにし、大悟からは「上林さんこんな人じゃなかった」、シュールで先輩として引っ張っていくタイプだったとなにかと周囲を驚かせている。


その後、マセキ芸能社へ移籍。ナイツとはマセキ芸能社の所属時期が同期だった。当時ナイツ土屋とはよく飲みに行っていた。


マセキ芸能社での『こんらんチョップ』時代はすでに全力コントだが、それ以前はシュールな芸風だった。

マセキライブではこんらんチョップは常に1位を獲得。「絶対売れる」と言われていたが、オンエアバトルでは0勝。9連敗という記録を持つが、マセキの最高記録は先輩『着ぐるみピエロ』の11連敗だという。

オンエアバトルにハマらなかった理由は「緊張していた」そうで、周囲からの賞賛が、テレビで絶対に成功しなければならないというプレッシャーに変わり、押し潰され、上林は常に赤面していたと振り返った。

そしてこんらんチョップは解散となった。


カンカンも元吉本


一方、カンカンは高校時代に野球部内の「ネタやれ」のノリで即興コンビを組み、そこからお笑いの活動に少し参加。すると活動場所に来ていた吉本興業の関係者の目に留まり、素人オーディションから吉本興業に所属した。

出演に至っては、うめだ花月の非常階段でネタ見せをした。当時は野球部の監督のモノマネという、今で言う『細かすぎて伝わらないモノマネ』をやっていて、手応えは無かったが、「型が出来てるから出ていいよ」と、「じゃあ来月からライブ出ていいよ」と月1ライブに出演が決まった。

所属と言っても月に1度、1分間のみの出演なので所属というほどではないという。


しかし学生卒業後、一時期活動休止。その時に新聞で見つけた福岡県での、福岡吉本の劇場立ち上げ記念お笑い大会にピンでエントリー。大会のMCは極楽とんぼだった。そして大会で優勝し、福岡吉本から誘われたが断り、東京吉本に入ろうと上京。

しかし、東京吉本からは、“NSC以外の所属は認めないのでNSCから”と言われ、大阪で入らなくて済んでいたNSCに東京で入り直すのは嫌だと思い、東京で他事務所を探す内、最初に声を掛けられたのがマセキ芸能社だった。


そのきっかけとなったのが、鎌倉で行われたマセキや浅井企画ら事務所共催の大会で、カンカンは決勝に進出。7位ぐらいになり、声を掛けてもらったという。

MCはホーム・チーム、優勝したのは『冷血サンデー』(後のメカドッグ)というコンビで、その内の1人が後の『スギちゃん。』だった。太田プロにいたJJポリマーもトリオの頃だった。


その後、カンカンは浅井企画に所属。その頃に現相方の前すすむと知り合った。


コンビ結成前に照れ


そしてカンカンと前すすむは、北口氏ら芸人仲間と東京で5人組を結成。その後、北口氏の大阪時代の相方・ヨシウチ(悟空)氏とカンカンがコンビを組んで『赤いタンバリン』として活動。

だが解散し、2人以外は大阪に帰っていったという。

何度も結成や解散を繰り返したが、不思議な事にみんな仲が良かった。


託されるようにコンビを組むものだと考えたが、お互い照れてしまい、なかなかコンビを組まず、ピン芸人同士に。

カンカンと前すすむがコンビを組まなかったのは、2人とも大声で前に出るなど芸風が被っていた。そのため、どちらかがツッコミになるというのも考えづらかった。


しかし2014年から2人でのトークライブをスタートし、その内に、2人の笑いの取り方が実は全然違い、カブってなかったという事に気付き、芸歴や歳を重ねて引く事も覚えた頃の2015年にM-1グランプリが復活。コンビネタを作り始め、その年の7月11日に初単独ライブを行い、9本ほどネタをやり、一番ウケたのが現在の形だった。


仲間達からの応援


衣裳は動きやすさを重視しているが、元々カンカンがスーツは似合わないと嫌がり、当初は色が薄くてダサいデニムの上下で、「ダサい2人が一生懸命ネタをやっている」というコンセプトでやっていた。

だがテレビに出演すると、マシンガンズやキャプテン渡辺ら仲の良い芸人から「ちょっとテレビに出るには小汚いんじゃないか」、「綺麗にしたら?」とアドバイスされ、そういった意見を素直に受け入れ、デニム上下の形は残したいと現在の形に。ピンクの蝶ネクタイもキャプテン渡辺にアドバイスされたという。

これによりかわいらしくなり、女性ウケが良くなったと語った。衣裳は夏用の半袖と2着ずつあるが、下は1枚しかないそう。


バカリズム、サンドウィッチマン、スピードワゴン、アンタッチャブルといった昔遊ばせてもらった仲の良い芸人たちとの繋がりが今花開いて、呼ばれるようになっている。

上林は人づきあいが良く、今でも千鳥、バカリズム、サンドウィッチマンといった旧知の仲や先輩からは『全力じじいの上林』と扱われている。

また、事務所の先輩であるドロンズ石本やファンキーモンキークリニックにかわいがってもらい、そこから東貴博の東会に参加し、ボキャブラの人達と知り合った。

それによって、古坂大魔王が『にちようチャップリン』でネタを観て、『有田ジェネレーション』で【古坂大魔王オススメ芸人】として推薦し、テレビ出演が叶った。


改名の真実


2019年12月2日に放送されたTBS『有田ジェネレーション』で、『全力じじい』というコンビ名から『TOKYO COOL』に改名することに。MCであるくりぃむしちゅーの有田が改名させたことにしているが、実際は後輩のネルソンズに負け、彼らに決められた。

そして、「そろそろ戻させて」と申し出ようとした頃に、『TOKYO COOL』で認知され始めてきたので、そのままにしていると明かした。


千鳥・大悟との縁



2022年1月1日放送のフジテレビ『クセがスゴいネタGP 新春SP』に、TOKYO COOLが初登場。そのVTRを見守る大悟に、前すすむがコメントを寄せた。


「約25年前、大悟が1人で大阪に出てきた時の、初めて会った芸人の先輩が私、前すすむです。当時はセンス系のネタをやっていましたが、25年経った今、こんなネタをやっている姿を大悟にバレてしまうのが怖かったです。」


という文章が読まれ、大悟は「だから、ずっと逃げてたらしい」と再会時のエピソードを披露。

見つけて大悟から声をかけた瞬間に前すすむは、「あ、ああ、覚えててくれた?」と、「別人格として東京でやって行こうとしてた」と明かした。



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