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  • 執筆者の写真サエグササエル

X-GUN、爆笑問題、BOOMER、ボキャブラ時代の熱狂を語る!

『ナイツ ザ・ラジオショー』5月の第3週はボキャブラウィーク。フジテレビで放送されていた『ボキャブラ天国』(92.10~99.09)に出演していた人気芸人が毎週入れ替わり出演した。



2022年5月16日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にはX-GUNがゲスト出演。

やたらとボキャブラのイメージが強いX-GUN。

実は1回の収録で3本録りが行われる事も多く、出演する芸人も時間の都合で1~2本は抜けるのが数組いて、それが当たり前だったが、X-GUNとBOOMERだけは皆勤だと言われているという(しかし18日の放送でBOOMERは皆勤を否定)。

そして実際、ランキングでは上位の成績で、1位も数回獲得した。


当時共演し、後日出演する爆笑問題、BOOMERは芸歴では先輩だが、喋る時は「タメ口まじりの敬語」。2組が若手たちの中に下りて来てくれたので接しやすく、また過ごした時間も長いので、現在では緊張することもないという。


同期ぐらいに当たるのはネプチューン、くりぃむしちゅー、東MAXあたりで、歳もほぼ同じ。

当時は事務所主催ライブが無い代わりに、『ラママ新人コント大会』を軸としてお笑いライブが多かった。X-GUNは1か月に12~13本の新ネタを作って、入れ替えてやっていたそうで、そしてその数々のライブの集約が『GAHAHAキング』(93.10~94.03)や『ボキャブラ天国』に通じているという。


『GAHAHAキング』出演時は芸歴4年目で、出られる若手に当てはまりラッキーだった。だが収録が毎週あるので、毎週テレビ朝日の稽古場でネタ作りに追われ大変だった。また各組に担当ディレクターがいて、一緒にネタを作り、作って見せては「違うね~」と言われ直す作業に追われていた。

5週目まで勝ち進んだ時に、西尾が「僕ら、(番組を盛り上げるための)落とし要員だったでしょ?」と担当D聞いてみたところ、「はい」と返されたが、「だから今嬉しいよ」と衣裳を買ってくれたと振り返った。


ボキャブラ時代の人気



ボキャブラブームの時は毎週末地方営業があって、しかもほとんどがお泊りで楽しく、さがねはくりぃむ有田や東MAXと「弾けまくり」だった。


また、当時はネプチューンがアイドル的人気で、ネプチューンが出演するとなったら会場となる会館の2000~3000席がすぐ埋まり、登場すると客席の嬌声が凄まじかった。

太田プロライブ終わりに、西尾が原田と堀内と出ようとしたところ、大勢の出待ちに遭い、逃げるように走り、観念した西尾が相手をしようと止まったが、みんな西尾を通り過ぎていったという。

当時はネプチューン、東MAX、土田晃之の人気が凄かったと語った。


西尾が一番仲の良いのは木曜にゲスト出演する古坂大魔王。昔からの付き合いで、誰かをイジるチキンレース的な笑いが好きになってしまったのは古坂の影響だそうで、古坂が笑いのためにギリギリ以上の事をやってしまいそうで怖いという。


漫才協会入会のきっかけ


パーソナリティーのナイツ塙が98~99年頃に友達に誘われて観に行った『赤坂お笑い道場』で、X-GUN対ラーメンズのお笑い対決が行われ、ウケは圧倒的にX-GUNだったが、客席の投票はなぜかラーメンズ圧勝だった。


そして数年前、漫才協会が拠点とする東洋館の道場破りコーナーに、ホリプロコムの後輩オキシジェンの紹介で参加。

その後に青空球児・好児に飲みに誘われ、事務所ライブを卒業してからネタをやってないと喋ると、「芸人はネタをやった方が良い」と漫才協会に誘われることになって、入会した。


その後、『ボキャブラ』で共演していたBOOMERや金谷ヒデユキに会った時、同じようにネタをやっていないと言うので誘い、所属のきっかけを作った。


爆笑問題の貴重な営業



17日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』に爆笑問題が出演。

『ボキャブラ』の中でも、爆笑問題とBOOMERはみんなより5歳ほど年上。ちなみに岸谷五朗・寺脇康文らのSET隊とも同期。ネプチューンやくりぃむしちゅーらと仲が良いが、それ以前自分達と同じ第3世代にあたる人たちとは仲が悪かった。

それが『ボキャブラ』に入ると、後輩なのでみんな丁寧に接してくれたので、仲良くなりやすかったが、太田がボケ続けるので煙たがられ、最終的にくりぃむしちゅー上田とネプチューン名倉だけがツッコんでくれたという。


ナイツとは最近早坂営業でたまに共演するようになったが、営業は基本的には行かない漫才師。

ボキャブラブームの頃までは営業に行っていたそうで、だが爆笑問題はこだわりとして、「ボキャブラのネタは一切やんない」と断っていた。長尺の漫才で沸かせるというプライドを持っていた。

一方で、他の芸人たちは営業でボキャブラのネタをやっていて、テレビのテロップがあって成立するネタを、お客さんにあらかじめ「ここがこう変わります」と説明してネタをやっていたという。


ボキャブラ以前の若手の頃は営業ネタがあって、営業先も学校に行くことが多く、英語の教科書をイジるネタなどがあった。

また、北関東の方に予餞会と呼ばれる営業があり、青空球児・好児など先輩と混ざってネタをやっていたという。


一度、富士急ハイランドで『ボキャブラ芸人大集合』というイベントを開いた時は、数千人が集まった。芸人たちも空いた時間にはジェットコースターなどアトラクションに行って遊んだという。だが太田だけは「調子に飲んな」とずっと楽屋にいたという。

太田も最初は人気はあったが、出待ちの女性ファンなどをラジオでボロクソに言い、しまいには誰も来なくなったという。若手ならではの尖りや、既に結婚していたというのもあったと語った。


アイドル活動をしていたBOOMER



18日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にBOOMERが出演。

「伊勢」のイントネーションにこだわる伊勢。本名は木村で、伊勢は芸名だが、18才の頃に付けられているので、もう「伊勢」が自分自身だという。


2人は子役で有名な『劇団ひまわり』の、大人が所属する青年部(高等部)に入団し、知り合う。半年先輩にはホンジャマカの石塚英彦がいた。

伊勢は高校を卒業してすぐ東京に出たかったが、進学もできず就職もせしたくなく、親の許可を取るため劇団ひまわりという大きい名前が必要だったと語った。


そして青年部で仲間が出来た後、有名になりたいと思っていたところ、歩行者天国での路上パフォーマンスで注目を集める『劇男 一世風靡』を知り、真似し始めて、13人組のパフォーマンスグループ『時代錯誤』を結成。

活動していたところ関係者の目に留まり、デビューすることになり、ジャッキー・チェンの映画『大福星』(85)の主題歌『幸運序曲~大福星のテーマ~』を唄うことに。キャニオンレコードからデビューし、シングル2枚、LP1枚を出して、中には伊勢がソロで唄う曲もあり、雑誌『明星』にはポスターも作られた。


その中からあつしと3人組で『AKIKO』を結成。3年弱で、1991年の『第6回NHK新人演芸大賞』優秀賞を受賞した。しかし解散し、25~26歳の時、2人で『BOOMER』になったという。

『時代錯誤』のメンバーの中には芝居をやり続けたメンバーもいたが、現在は会社員などになっている。当時のメンバーとはもう会う事は無いという。

ちなみに、お笑いでは爆笑問題は先輩。


タイタンライブなどで共演するプリンプリンが、AKIKOに憧れて芸人になったという情報が。

うな加藤とはBOOMERが主に活動していたショーパブで活動していたというつながりで顔見知りになり、AKIKOからBOOMERになった際、3人組の1人が抜けたので、代わりが必要だろうと勘違いして、「BOOMERに入れてくれ」と申し込んできたという。

だが伊勢はその時のうなの風体が気持ち悪かったと語った。

加藤の相方の田中章は六本木のショーパブの後輩で、その流れでプリンプリンを組んだと明かした。


ボキャブラでは最初から順調では無かった!


『ボキャブラ』時代、番組側はオーディションというより、「ネタが出来たらテープに撮って送れ」という姿勢だった。

BOOMERはボキャブラ用のネタがなかなか作れず、爆笑問題やフォークダンスDE成子坂が出演しているのを観ていたそうで皆勤ではなく、番組にはなかなか出れず、出ても8~9位ぐらいだった。

その後なんとなく作り方がわかり、伊勢のキャラもハマり出し、2代目チャンピオンに輝いたという。


また、番組では出演芸人たちは交替制で前説も担当。毎回数組が順番で回ってくるようになっていたが、「BOOMERはショーパブでバイトしてるし、喋りも達者だろ」といつも最後の組で前説をさせられていたそうで、1位の時でも、他の芸人たちに乗せられ前説をさせられ、軽んじられていた。


若手から言われたショックな言葉



『ボキャブラ天国』では、出演者の下に事務所名も表示されていた。BOOMERは当時サワズカンパニー所属。だが、今はフリー。河田がスタッフと直接やりとりをしているそうで、出来るだけ早く返すよう心掛けている。それで充分賄えているそうで、また所属する漫才協会も窓口になってくれているので助かっていると語った。


当時からよく着ていた、『BOOMER』と筆記体で刺繍された野球ユニフォーム風の衣裳は、元々お金がかからないように気回せるものをと考えオリジナルで作ったという。

それらもプレゼントしたり、汚れたり、サイズも変わって着れなくなったりして捨てたため、現在は20着ぐらいになったので、新たに4~5着作ろうとなっている。

今は伊勢が古い衣裳を着て草野球に参加しているが、20代の若手に『これなんてチームですか?』と言われ、ショックを受けたという。

ちなみに、伊勢は野球は好きだが、中学野球までしかやっていない。


金谷ヒデユキ



『ボキャブラ天国』に出演し、現在は漫才協会に所属している金谷ヒデユキについて。

16日の放送では、現在は師匠達と仲の良い金谷が、ボキャブラ時代は誰とも話さず、友達はBOOMERの伊勢しかいなかったとX-GUNが暴露。「ネタもやりたくない」と営業に行っても、持ち時間の後半はオリジナルの曲を唄っていたと明かした。

17日の放送では、当時の金谷はミュージシャンになろうとしていて、一時期は伊勢やフォークダンスDE成子坂の桶田、アニマル梯団のコアラとバンドを組んでいたと爆笑問題は振り返った。


そして18日、ボキャブラ時代、金谷と仲の良かった伊勢だが、現在は不仲だそうで、当時は伊勢も金谷も人見知りで仲の良いのはお互いだけだった。ところが金谷が漫才協会に入ってから明るくなり、他の人達と仲良くなったからか、伊勢はぞんざいに扱われるようになって、今は仲が悪いと語ったが、それを聞いたナイツ塙は、第2のおぼん・こぼんとして推薦するには「弱い」と返した。

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