【ジャニーズ年表】佐藤アツヒロ、光GENJI時代の思い出語る
- サエグササエル
- 2022年12月29日
- 読了時間: 2分
佐藤アツヒロが、2021年6月19日放送のニッポン放送『内海光司と佐藤アツヒロのオールナイトニッポンPremium』で、入所当時の歴史を語った。
佐藤アツヒロは、1986年8月30日に入所。
29日にジャニー喜多川氏から電話があり、両親から行く事を反対されたが、その日が誕生日だったため許可をもらい、勝手に履歴書を送った姉と東京に行き、ジャニー氏と会った。
そして特別なオーディションは無かったが、帰り際に「YOU、どうする?」と訊かれ、「ちょっと考えます」と返答し、1~2週間後からレッスンに通うようになったという。
その後、佐藤は4人組のグループ『GENJI』で活動。中学1年生の時には、大阪収録の毎日放送『サブロー・シローの歌え!ヤング大放送』(87.4~9)のオープニングで歌って踊っていた。その後5人組になり、ローラースケートを練習するようになり、『光』と合体して『光GENJI』となり、本格的にローラースケートを練習するようになったという。
ジャニーズが堀越高校に通うきっかけ
佐藤は合宿所組ではなく、通い組。土曜日に行き、合宿所に泊まって、日曜日のレッスンに参加していた。
母から、「20歳になるまでは実家から通いなさい」と言われ、母が事務所にも話を通していた。
元々母親が中学卒業と同時に佐藤を辞めさせるつもりだった。「ちゃんとした高校に通わせたい」という熱心な思いから、堀越高校に進学することになり、これがジャニーズが堀越高校に行くきっかけになっているという。
ちなみに内海は中学2年生の時に入所。内海も通い組だったが、ジャニー氏から「YOUなんで帰るの?」と責められていたと明かした。
伝説「駅出禁」!
佐藤は電車組だったため、迎えの車が来る新宿駅や四ツ谷駅、信濃町駅で待ち合わせをしていたが、人が集まりすぎてしまうので、駅側から、駅で集合することを禁止され、いろんな駅を転々とするようになったという。
かつて出演したバラエティでは、家から出て堀越高校に行くまでにファンが大勢付いて来るという話をしたが、授業が終わって、堀越高校の最寄りの中野駅から四ツ谷駅など仕事場に行く時にも、もちろん大勢のファンが集まって付いてきていた。だが当時は、それが当たり前のように感じてしまい、なんとも思わなくなっていたと振り返った。
中居・木村・坂本・城島との関係
佐藤にとって、よく遊んでいた中居正広と木村拓哉は1つ年上、坂本昌行は2つ年上だが、佐藤より後に入所したため、同い年の感覚。
だが、城島茂は年上で、先に入所しているため、「城島くん」と呼んでいる。
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