すゑひろがりず、グループ名をダウンタウン浜田に言われて決めた事明かす!
- サエグササエル
- 2022年11月2日
- 読了時間: 3分
すゑひろがりずが、2021年9月14日放送のチバテレビ『白黒アンジャッシュ』にゲスト出演。グループ名の由来にある大物芸人が関わっている事を語った。
大阪NSCで同期の2人だが、当初は別々のコンビを組んでいた。
三島は『バルチック艦隊』というコンビで養成所在学中にM-1の準決勝まで進み、前年に同じことをしたコンビになぞらえ、“西のオリエンタルラジオ”と同期に呼ばれ、エリート扱いされていた。
しかしその後、さしたる活躍も無く、コンビ仲も険悪になり解散。ちょうどその頃、南條も組んでいたコンビ『うずまき』を解散することになり、三島と南條、そしてもう1人を加えたトリオで活動しようとしていた。
そんな折、三島は偶然NSCの講師伝いに、ダウンタウンの浜田雅功と食事をする事になり、その食事会の際に浜田から「お前、“ガンセキオープン”に似てるなあ」と、アニメ『チキチキマシン猛レース』に登場するマシン『ガンセキオープン』に例えられた。
それが嬉しかった三島はその話を相方に持ち帰り、グループ名をガンセキオープンに決め、活動を始めた。
だが、いざガンセキオープンの画像を確認しても全然似ていると感じられず、活躍もできなかったため、南條は「そのガンセキオープン時代が2人の芸歴の中で一番売れてない時期です」と語った。
その事を、後に浜田本人に会った時に伝えたが、浜田は「そうか…」ととりあえずうなずき、南條の小鼓を蹴ろうとする、という“かわいがり”を行ったという。
『みなみのしま』
その後、もう1人が辞め、トリオは解散。コンビになり、“泥をすすっても頑張ろう”という意味を込めて、『ドロスス』という名前を付けたが、先輩の三浦マイルドに、「お前ら、そんな汚い名前で売れるわけないやろ!」と叱られ、「俺が付けたるわ」と2人の名字から1字ずつ取り、『みなみのしま』に改名。個人名もそれぞれ“パイナポー南條”と“ライチ三島”に改名し、アロハシャツを着てしゃべくり漫才をやっていたという。南條は剃り込みを入れて髪を立て、パイナップルに見えるようにするという気合の入れようだったが、売れなかった。
ネタも普通のしゃべくり漫才で、登場した時に「アロハ~」とあいさつするだけで、内容と名前はリンクさせていなかった。
その頃を振り返り南條は、「一番そこが迷走期です」と結んだ。
29歳の頃、現在の狂言風スタイルに変えてからは劇場のオーディションにも受かり、大阪時代はコントのみで行っていたが、2014年に上京。これをきっかけに、漫才のスタイルも取り入れていった。
上京前後に、東京の方がテレビ、ラジオ、ネット番組などのオーディションが毎月数多くあると感じ、見た目のインパクトもあって、様々な番組に出演。ベーシックな漫才師が重宝される大阪と違い、色物を受け入れる東京の方が自分たちに合っていると感じていたが、1年ほどで飽きられ、仕事が激減。さまよう内に、大宮ラクーンよしもと劇場へと行き着いた。
本物の狂言師と勘違いされた『大宮セブン』時代
当時は“陸の孤島”だった大宮の劇場に所属。来場するお客さんや営業は大阪と違い、お笑いを見慣れていない家族層が中心だったため、本物の狂言師と勘違いされることもあった。
その為、わかりやすく、伝わりやすくするために、漫才のスタイルを取り入れる事にし、名前も着物姿とリンクするように『すゑひろがりず』に改名したと語った。
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