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  • 執筆者の写真サエグササエル

ぺこぱブレイクまでの道のり

ぺこぱが、2021年4月21日のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。最初の話題は、4月20日、ぺこぱが参加したZOZOマリンスタジアムで行われたロッテVS日本ハム戦の始球式の話に。


野球少年だった松陰寺太勇



ぺこぱの松陰寺太勇は、約28年千葉ロッテマリーンズのファン。

子供の頃、最初は巨人ファンで、パ・リーグも知らなかった松陰寺だが、弱いチームを応援したくなり、野球ゲームをやっていた時にロッテを選択していた縁で、ファンになったという。

松陰寺「『(ロッテの)ロ』っていう文字が脳に入って来ちゃって、ユニフォームを選択したら、当時ピンクだったんですよ。」


初芝選手も、「ゲームにしかいない人」だと思っていたという。

元・千葉ロッテマリーンズの選手、初芝清氏とは、2020年11月5日放送の日本テレビ『THE突破ファイル』で共演。ロケバスで会話するなど親交を深め、サイン入りユニフォームや、当時使ってたリストバンドをもらったが、ヘルメットは頭が入らなかったという。


松陰寺の出身地は山口県。祖母の家の近くには広島カープの2軍球場があった。母の実家は福岡県で、夏休みには福岡ドームにもよく行っていたという。

松陰寺「その時もレフトの一角に居ましたね」(註:ホームグラウンドではないチームの応援席)。


サッカー少年からギャル男になったシュウペイ



一方、シュウペイはスポーツ全般が好き。元々サッカーをやっていたが、地元横浜の友達は高校球児が多く、野球をして遊ぶことも多かった。高校野球の強豪、東海大相模や横浜高校に行った友達もいるという。


シュウペイ本人はサッカーでの全国大会出場経験あり。現在も現役Jリーガーとして活躍する友人とサッカーをやっていたが、途中でメンバーを外れ、ギャル男の道へ。

松陰寺によると、「冬でも日サロ通いで色黒」だったという。


ギャル男になったきっかけ



シュウペイの通っていたのは共学の高校だったが、クラスはサッカー部とバスケ部の男子しかいないクラスだった。

ちょっとHなページコーナーがある『Men's egg』というギャル男雑誌を読み、「ギャルカワイイね~」と思っていたが、いつしか「ギャル男カッコイイな!」と思い始め、「気付いたら自分の机の中に入ってるのが教科書じゃなくて、MEN'S EGGの1月号から12月号ビッシリ入ってた」というくらい、気付いたらハマっていたという。


当時はモデルのJOY、梅しゃん(梅田直樹)、今井諒、澤本幸秀が、渋谷四天王のような感じでカッコ良く映り、憧れだった。


また、街の一般人を撮る【ストリートスナップ】のコーナーが人気で、「ギャル男の格好をすれば雑誌に載れる」と考えてギャル男になり、その後『Men's egg』ではない他の雑誌のストリートスナップに載れたので、それでギャル男にハマった。

背も高くカッコ良いので、芸能関係のスカウトもあったという。


その後、ピン芸人時代の松陰寺のアルバイト先に、新人としてギャル男時代のシュウペイがやってきた。

その時のシュウペイは襟足・毛先を一本ずつ作り、「どこを向いてもその襟足の先が渋谷のセンター街を向く」がキャッチフレーズ。

バイト先は渋谷だったが、その理由も「バイトが終わったらクラブに行きやすい」から。というのも、「金・土のイベント(出演するDJ)が熱かった」という。


松陰寺はそこで、雑誌でしか見たことのなかったギャル男が目の前に現れて一目惚れ。


バイト先は飲食店で、デシャップ(厨房からホールに料理を出すところ)を通ってみんな退勤していくのだが、シュウペイがクラブに行く前は、営業中にそこで香水を振っていくことをしてしまうが、カッコ良すぎて何も言えなかったという。


当時から今の芸風のように自由にやって、あまり怒られない感じだったという。


コンビ結成



そして松陰寺からの熱烈なオファーで2008年、コンビ『先輩×後輩』を結成。

メイプル超合金・安藤なつによると、「(中野の)TWLで先輩×後輩っていうコンビが面白い」っていう噂にはなったという。


それまでの松陰寺はピン芸人時代、『松井祭』を名乗っていたが、「地下の地下のライブしか出てなかった」くらいだった。

芸風は、髪の毛をいっぱい結んで、チェックのカワイイ服を着て、1人コントや歌ネタをやったり、「自分でボケて自分でツッコむ、松井祭だよ!」みたいなことをやっていたりしたそうであまりにスベり過ぎて、思い出したくない過去だと語った。


誘われたシュウペイはそんな松陰寺に「1回俺のお笑い観に来い」と言われて、(新宿)プーク人形劇場で松井祭のネタを観たところ、激スベリしていて怖くなり、「やっぱ僕お笑いできないです!」と半年間ずっと断り続けていたと付け加えた。


松陰寺は、この人面白い、と思われるように『レスキューレンジャー』というゴリゴリの鉄板ネタをやったのに、スベったという。


・松井の『レスキューレンジャー』【動画】


※鉄板:鉄板は「カタい」という事から、確実性の高さを表す業界用語。主にギャンブル面で使われる。


結局シュウペイは、「テレビの世界が大好きだったので」、『めちゃイケ』でナインティナインの岡村隆史がEXILEやSMAPとコラボするのを観て、ああいう風になりたいと思い、お笑いを始めることにしたという。


コンビを組んだ当初、シュウペイが漫才を知らないので、松陰寺が「オンエアバトル観たことある?」と訊くと、「ああ、バケツ運ぶ番組でしょ?」と返されたという。


最初の所属事務所『ナイスデイ』



サンミュージック、オスカーの前に、『ナイスデイ』という事務所に所属。

ナイスデイは、演歌歌手が多く所属する長良プロダクションのマネージャーさんが、お笑い部署を作りたいと始まったが、在籍芸人はぺこぱ含めたった3組。

毎週ネタ見せがあったが、ライブのオーディションではなく、そもそも事務所ライブが無いため、ネタ見せのためのネタ見せで、2週間に一度、マネージャーと作家にネタを見せては、直すところを指摘されて、また2週間後に見せるという、意味の分からないものだった。


シュウペイが作家に初めてダメ出しされたのが、「声が小さい」だった。

というのも、 六本木のビルの地下のボイラー室の横でネタ見せをしていたが、ボイラーの音がすごくて、より声を張らないと聞き取れなかった。


やがてナイスデイは自然消滅。演歌歌手の前説みたいなこともなかったという。


オスカー所属、TAIGAとの出会い



ナイスデイ消滅後、フリーになり、オーディション情報などとにかく事務所に所属しないとと、マセキ芸能社やホリプロ、ケイダッシュステージにも履歴書を送ったという。(ケイダッシュステージの稽古(オーディション組のネタ見せ)にも行っていたという。)


そしてちょうど若手お笑いライブ『笑品開発』を始めて1~2年くらいだったオスカーから最初に反応があり、参加するようになった。当時オスカーは20組以上預かりで、モデル事務所のオスカーがお笑いをやるということで話題になっていた。


師匠と仰ぐTAIGAさんとの出会いは、オスカーお笑いライブ『笑品開発』が行われていた野方区民ホールで。「1人だけオーラが違った」という。


・当時の雰囲気がわかるブログ


当時、オスカーお笑い部のトップが3組いて、チェリーボーイ(現・かんちゃま)派か、TAIGA派か、勝又(2018年解散)派か、という感じだった。


その時のTAIGAは松陰寺によると、「先の尖った靴にダメージジーンズ、ドクロの絵の入ったニット帽、ガムを噛みながら入って来て「おざーす」と挨拶し、「すげえ雰囲気の人入ってきたな」と思いながら場当たりを観ていたら、ラジコンと一緒にツイストを踊るネタをしていた」。

それを見た2人はそれぞれ、「とんでもねえ人いる!この人はヤバい。この人に付いていこう」(松陰寺)、「この人は押さえておこう」(シュウペイ)と思ったという。


一方、チェリーボーイさんには、一緒になった楽屋に入って来て、ピンクの服着ていて、20分後にはもうちょっとナメていたという。


熱い男TAIGA


最近のTAIGAさんとのエピソードは、ぺこぱが売れてテレビに出られるようになってから一緒に行く移動中、

「いいか。これからお前らどんどん売れてって、お前らのことなかなか注意できる人いなくなってくると思うけど、俺だけはお前らなんか間違ったことあったら全部言いに行くからな」と言われたという。


こぼれ話『松井前夜祭』



先輩後輩結成後、ブレイクしようとR-1ぐらんぷりにも参加。落ちても本気出してない「あれ前夜祭なんで」と言い訳できるように、『松井祭』ではなく『松井前夜祭』と名乗って参加したが、予選敗退。

当時、直後の出番だったペナルティのワッキーさんに、「いい前説ありがとうね」とイジられたという。



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