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  • 執筆者の写真サエグササエル

ぺこぱ・髭男爵・猫ひろしを世に出した大御所放送作家・喰始とは?

ワハハ本舗主宰で、日本テレビ『欽ちゃんの仮装大賞』などを作った大御所放送作家・喰始(たべ・はじめ)氏が2021年7月24日放送のTBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』にゲスト出演。放送作家になったきっかけ、永六輔氏との関係、ワハハ本舗を作った理由、芸人への的確なアドバイスについて語った。



喰氏は1947年12月生まれの73歳。香川県出身。クレイジーキャッツの数々のギャグを作ったメンバーの谷啓に憧れ、日本大学芸術学部在学中に、放送作家の永六輔氏主宰の作家集団に参加。その後日本テレビ『ゲバゲバ90分』で放送作家デビュー。『コント55号のなんでそうなるの?』(日本テレビ)『ひるのプレゼント』(NHK)『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)『欽ちゃんの全日本仮装大賞』(日本テレビ)などを手掛ける。

1984年、佐藤正宏、柴田理恵、久本雅美らとワハハ本舗を立ち上げ、舞台の作・演出を手掛ける。


放送作家になったきっかけ



大学在学中の当時、永六輔氏が各大学に「僕と一緒にバラエティーの勉強をしませんか?」と書かれた貼り紙を掲示していた。

喰氏は、永六輔氏が作家として参加していた『夢であいましょう』(NHK)は観ていたが、『シャボン玉ホリデー』(フジ)の方が好きで、また当時の作家募集のイメージは書生という弟子のような、資料集めやかばん持ちといった雑用だったため、乗り気ではなかった。だが大学の友人に「お前に合っているから(願書を)出せ、出せ!」と薦められ、800字以内で【バラエティーについて】というテーマで文章を書き、『シャボン玉ホリデー』の出演者クレージーキャッツの植木等のギャグ『お呼びでない』の良し悪し、どういう時が面白くてどういう時がつまらないかという分析、そして考案したギャグを書いて送ったところ採用された。


そして行ってみると、永六輔氏も当初は5~6人の想定だったが、20人ほどになり、みんなで勉強(ネタ作り)していたら、永氏やテレビから仕事の依頼が来るようになったという。

当時はアパートに電報が届き、「仕事があるから電話を掛けてこい」というようなメッセージでもって仕事の依頼が来て、放送業界の仕事のやり方を何も知らない状態で始まった。


また、永氏からは非常に気に入られていた、気にされていたというのもあった。永氏に憧れていたわけではなかったので、友達のようにフランクに対応していた。

その後、永六輔氏の事務所を辞め、ワハハ本舗を作って仕事をしていたが、それでも永氏の方から接触を図ってきたという。


以前、永六輔氏がパーソナリティーを務めた、TBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界』('91~'15)にゲストで呼ばれた際、若手時代に永氏に厳しくも優しくもされ、こういった接触を図ってくる理由を知るのに、多少の皮肉を込めて「永さんにとって僕は何ですか?」と訊ねたところ、永氏は「喰君は、僕の二世だね」と答えられ、その返しは、乗せるやり方として見事だと思ったという。


ぺこぱの松陰寺に着物を着せてブレイク



お笑いライブ『喰始のショービジネスの作り方』を開催。ナイツも2005年頃に参加し、塙がネタ見せでネタを途中で忘れてしまい、わけわかんなくなってしまったところに喰氏が「そのまま続けて!」と声を掛けた。喰氏の生のライブ感を大切にするという想いあっての声だったが、ナイツのネタへの姿勢に影響を与えている。

というように若手芸人へのアドバイスにも定評があり、ぺこぱの松陰寺や、髭男爵の衣裳についてアドバイスして、ブレイクのきっかけとなっている。


元々、ぺこぱがネタ見せに来た時、ネタは面白かったが、髪型とメイクはビジュアル系なのに、服装は普通の格好だった。そこで喰氏が、「ビジュアル系を目指してるんだったら、普通のビジュアル系やってもしょうがないから、じゃあ女性用の着物を着て。派手な着物を着て、それで登場してやれば?」とアドバイスしたところ、それで日本テレビ『おもしろ荘』のオーディションに合格し、見事優勝した。


しかし喰氏は、「ところが、それでインパクトがあって、当時、話題にされたらしいんだけど、途中から別の放送作家が、“そんな異端はやめろ!”と、それで戻した…、戻して売れたっていう(苦笑)」と語った。

結果、M-1グランプリ2019ではスーツに戻り、現在のブレイクに繋がっている。


猫ひろしも最初はブリーフでやっていたのを、かつての小柄な喜劇俳優・白木みのる氏のイメージで行けば、歳が行ってても「カワイイ」と言われて当たると考え、やめさせて海パンにするようアドバイスした。


ワハハ本舗を始めた理由



放送作家としてテレビの仕事をしていたが、その内にテレビが作家の時代からタレントの時代になり、作家はタレントにくっついて番組に関わるようになった。喰氏はタレントと仲良くしていなかったため、仕事が減っていき、また、テレビ側からたまに仕事の依頼はあるが、こちらが出す企画書は通らなくなっていき、そうしたら好きな事をやろうと考え、映画だと失敗すると大赤字で次が無くなるが、舞台ならまずお金もあまりかからないと考え、劇団『ワハハ本舗』を作った。


ワハハ本舗も他の舞台や劇場同様、割制という出演者のギャラシステムを採っており、お客さんが1人入ってくれると、出演者一人のギャラが50銭だった。そして回数を重ねる度に人気が出て、ギャラが1円、5円、10円、100円と上がっていき、お客さん一人につき、ギャラが100円となった時は、久本や柴田も嬉しくて泣いたという。


ナイツはワハハ本舗が焼津で行う営業に参加したこともあり、ワハハ本舗のお芝居の前のお笑いライブに出演。塙は本公演にも出て、そして「後ろで見学してなさい」と言われ、実際にワハハ本舗の舞台を観て感動した事を伝えると、「ナメてたでしょ?本当はすごいんだよ!」と返された。


ワハハ本舗はふざけたお笑いのイメージが強いが、実際は稽古も真剣に取り組んでおり、その時の演目は外国の音楽に日舞(女性陣)と洋舞(男性陣)をミックスさせたショーだった。

喰氏は日舞と洋舞をそれぞれ練習させ、本番まで2つを合わせずに、本番までどうなるかわからないという演出方法をとっていた。


ワハハ本舗は数年前に解散するはずだったが、『ラスト』公演をやったところ評判が良く、ラスト2、ラスト3と続く事に。

それでも一回辞めたが、久本と柴田が泣きながら「やりたい、まだやりたい」、ワハハ本舗でなきゃやれないお笑いがあるからやりたいと直訴してきたため、また新たに『王と花魁』をやることになった。


喰氏は、来年も続くという予定調和や慣れが嫌になり、緊張感が欲しくなったという。実際、ラストをやったところ、お客さんからも「やめないでくれ!」というパワーを強く感じられたという。


出演しないタレントがチラシに載る理由



ワハハ本舗の公演チラシには、出演しない泉谷しげるや、以前には和田アキ子も掲載。

フィナーレには全員で登場したいため、その為に衣裳替えの時間が必要で、その間を繋ぐ歌が必要なので、協力してもらっている。


『仮装大賞』満点が20点の理由


ちなみに、『欽ちゃんの全日本仮装大賞』は、第1回の時、審査員が20名だったため、20点満点になっている。最初は1人の持ち点は1点だった。



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