イタリアの美食と学術の街「ボローニャ」
- サエグササエル
- 2023年5月9日
- 読了時間: 4分
イタリアの美食と赤い街「ボローニャ」
イタリア北東部の都市。12世紀以来、商業・工業で発展。
近くで良質な粘土が取れたため、赤レンガが多用されている。中世から続く「赤い街」として知られる。
中世期、街には塔が多かった。党は貴族の権力の象徴であり、また争いの際は武器倉庫としても使われた。当時は100以上の塔があったが、現在は20ほどしかない。
12~16世紀にかけて、街には運河が張り巡らされていた。その古い名残がある。
また、イタリア有数の美食の街であり、『肥満の街』と呼ばれることも。
ボローニャ最古の居酒屋は1465年創業。酒は出るが、食べ物は持ち込み。近所には食料店が多いため、近所の売り上げに貢献する意味合いを込めてそうしている。
伝統ソーセージ「モルタデッラ」
ボローニャ伝統の豚肉のソーセージ。ピスタチオや黒コショウが入っている。薄く切ってパンに乗せて食べる。昔ながらの製法のものはじっくりと1日かけて加熱する。
赤ワイン「ランブルスコ」
地元の微発泡の赤ワイン。
名物料理「トルテッリーニ」
ボローニャ名物のパスタ料理。薄く伸ばした生地に肉を包む。生地が薄いことで、肉の風味がわかる。具材は豚肉、生ハム、サラミ、チーズ、卵とナツメグなど。具をちぎって、正方形に切ったパスタの上に乗せていく。ねじるように(ヴィーナスのおへそのように)して生地を包み、野菜と肉で出汁を取ったブイヨンで茹でる。パスタが上に浮いてきたら完成。
「マッジョーレ広場」
街の中心。憩いの場、待ち合わせの場としても利用される。
「サンペトローニョ大聖堂」がある。
雨でも傘を差さずに街を歩ける「ポルティコ」
柱の回廊。街全体に延び、40㎞にも及ぶ。回廊はアーチ形で、上は居住空間になっている。
雨の日でも濡れずに移動できる。最も古いものは木造で1200年代に建てられたもの。
ポルティコが増えたのは、世界中から来た学生の住居が必要だったため、部屋を増やすために、道路にせり出した。
不思議な言い伝えのある「アシネッリの塔」
街のどこからでも見える街で一番高い塔。卒業前に登ると、落第するというジンクスがある。
ホテルになった「プレンディパルテの塔」
元々は個人の住居だったが、大規模な修復と改装を経て、ホテルに生まれ変わった。宿泊できるのは一組だけ。塔を全て貸し切りに。テレビなどのテクノロジー家具は無く、ゆったりとした時間を過ごせるように作られている。
お客さんは意外にも地元の人が多い。
「ザンボーニュ通り」
道の両側にはボローニャ大学の建物が並ぶ。
学生総数は8万5000人。街の4人に1人が学生。
ヨーロッパ最古の「ボローニャ大学」
ダンテ、コペルニクスもこの大学にいた。
工学部は街のはずれにある。
頭に月桂冠を乗せているのは卒業生。イタリアでは全ての試験に通ればいつでも卒業できるので、いつでもどこかで誰かが卒業の祝福をされている。
卒業生から月桂樹の葉を貰うと、無事に卒業できると言われている。
世界で初めて人体解剖が行われた「アルキジンナジオ館」
11世紀、ヨーロッパ最初の大学として始まったボローニャ大学の象徴。天井には様々な家紋が描かれているが、ヨーロッパ中から集まった学生の中で、優秀な者は、天井に家紋を描く権利が与えられた。
2階は17世紀に世界で初めて人体解剖をした医学部の教室(解剖学教室)がある。
教室の内装は主にモミの木が使われているが、モミの木の強い芳香が、解剖された遺体の不快な臭いを消臭する効果があった。
解剖台は大理石でできている。遺体の内部に血が残っていても洗い流すことができた。
教室の上部には閉ざされた小窓があり、かつては教会関係者が監視を行っていたという。
世界初の女性大学教授「ラウラ・バッシ」
物理学者。1732年、女性初のボローニャ大学卒業者。世界で初めての女性の大学教授になった人でもあり、ヨーロッパで、女性として初の大学での講義も行った。
名産品「下着(ランジェリー)」
ボローニャの下着(ランジェリー)は世界で有名。
ボローニャでは常に下着作りが盛んだった。もともとはコルセットをオーダーメイドで作ったのが始まりと言われている。戦前から手縫いの高級品として重宝された。当時は上流階級の者だけが手に入れることができた。
女性の社会進出によって産業が後押しされ、下着は女性の尊厳の象徴でもある。
このページは、2017年3月19日放送のNHK-BSプレミアム『桃源紀行』を基に製作しております。
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