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  • 執筆者の写真サエグササエル

天皇のディナー・2 英国王室との絆をつないだ宮中晩餐会(後編)

2020年1月12日放送のNHK総合『天皇のディナー~歴史を動かした美食~』では、天皇陛下と関係が深い食事を特集。

大正・昭和と初代宮内庁主厨長を務めた天皇の料理番こと、秋山徳蔵(1888-1974)氏が大正時代、イギリス皇太子を歓迎するために行われた宮中晩餐会で腕を振るった、最も豪華なメニューを紹介した。



天皇の料理番こと秋山徳蔵氏が最も力を入れた食材が『スッポン』だった。


静岡県浜松市の服部中村養鼈(べつ)場。日本で初めてスッポンの養殖を行った会社。戦前から皇室にスッポンを卸し、皇室と関係が深かった。当時の宮内省御用達の通行証や、秋山徳蔵の名刺が残っている。


昭和天皇も視察に訪れ、好んで食していたという。そのため、亡くなる直前に病で伏した時も、スッポンを贈った。

上皇さまも皇太子時代に訪れ、大胆にもスッポンを手づかみしている。また、天皇陛下も7歳の時に訪れている。


スッポンを提供した理由



「スッポンのコンソメスープ(鼈清羹)」


西洋料理では定番のウミガメのスープだが、日本でウミガメは手に入らないので、皇室と関係が深く代わりになるスッポンを使用した。スッポン特有の甘味のある脂は、豚などと違って冷めても脂が浮かない。

スッポンを下処理し、ネギやショウガで3日かけてエキスを出し、コンソメスープに。カットされたスッポンの肉も入っている。


午後6時25分開宴。最初はスッポンのスープ。

秋山氏は「スープは食事の初めに薦められるもので、そのスープの印象の善し悪しによってその後に出る総ての料理の味の感じが良くも悪(あし)くもなるのでありますからスープは大いに力を入れて調うべきものである」と、『仏蘭西料理全書』に記している。


本格的なフランス料理に勝るとも劣らない味に、日英の絆は保たれた。


国交断絶、そして復活



しかし、満州事変(1931年)を機に日本は軍国主義の道へ。それにより日英は対立。それでも王室と皇室の関係は続き、イギリス国王は戦争を避けるべく親書を送ろうとし、昭和天皇も戦争回避を訴えた。だが、日本がイギリスに宣戦布告し、太平洋戦争がはじまると、その絆も潰えてしまった。


『天皇125代と日本の歴史』の著者、山本博文(東京大学史料編纂所教授)氏によると、戦前、戦中の天皇陛下と言えど、政治への介入、口出しは難しいものだったという。


そして昭和50年(1975年)5月7日、戦後30年経って、初めてエリザベス女王が来日し、宮中晩餐会が行われた。

フルコースの最初は、スッポンのコンソメスープだった。



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