天皇のディナー・3 後醍醐天皇を支えた庶民の味
- サエグササエル
- 2023年6月11日
- 読了時間: 2分
2020年1月12日放送のNHK総合『天皇のディナー~歴史を動かした美食~』では、不遇な天皇【後醍醐天皇】と食を特集。
『傍流の天皇』と呼ばれた後醍醐天皇がその道中、本来味わうはずの無かった庶民の食べ物に救われた事を紐解いた。
隠岐へと流される天皇に捧げたお菓子
鎌倉時代末期、後醍醐天皇(1288-1339)は鎌倉幕府に反抗した勢力『悪党』と共に幕府に反旗を翻したものの失敗。京の都を追い出され、岡山県の津山を通り、隠岐へ島流しに。後に京に戻り復権したが、また追放され、奈良県の吉野へと流され、『傍流の天皇』と呼ばれた。
1度目の追放の際、隠岐へと向かう道中、津山に宿泊することにした後醍醐天皇一行。その時、津山の人々から献上されたのが、『初雪』と呼ばれるお菓子だった。
『初雪』は津山に昔から伝わるお菓子で、火で炙ると膨らむ、砂糖入りのおかき。携帯食でもあった。番組では現在も初雪を作っている武田待喜堂の皆さんに語ってもらった。
また、津山の先の新見で休憩を取ったとされ、そこでも地元の人々により、春だったので、名物のわらびが献上された。後醍醐天皇は、茅を箸代わりにしてわらびを食べたという。その時の心情を「よそにのみ 思ひぞやりし 思ひきや 民のかまどを かくて見むとは」と詠み、他人事と思っていた庶民の暮らしをまさか自分が味わうことになるとは、という当時の心情を詠んだ句が残されている。
番組では郷土史家・山口周治氏の案内で、休憩の際、食卓代わりに使われた『ご飯石』と呼ばれる平たい石が、現在もその場に残っていると紹介された。
そして後醍醐天皇は隠岐の島の黒木御所で幽閉生活を送り、1年後、島の人々に助けられて脱出し、京へ舞い戻った。
吉野で出会った大好物
だが、わずか3年後、足利尊氏の反乱で再び追い出され、今度は奈良県の吉野へ。如意輪寺によく祈禱に訪れ、そこに伝わる後醍醐天皇の好物が、カエルの肉(赤ガエル)。吉野では「もみ」と呼ばれ、カエルの肉を焼いた「もみ焼き」をよく食べ、また「もみ」は貴重なタンパク源だった。
後醍醐天皇の食卓に赤ガエルが無いと、天皇は「もみはないのか?」とよく口にされ、そこから「美味しくない」という意味の「もみない」という方言が生まれた。
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