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天皇のディナー・4 肉食を禁じ、『和食』を作った天武天皇

  • 執筆者の写真: サエグササエル
    サエグササエル
  • 2023年6月12日
  • 読了時間: 3分

2020年1月12日放送のNHK総合『天皇のディナー~歴史を動かした美食~』では、『和食』のベースが作られた元祖を調査。






毎年2月に行われる奈良県の奇祭、『砂かけ祭り』。

元々は五穀豊穣を願う御田植祭で、砂が降る様子が雨のように見え、「このように雨を降らせてください」とお祈りする。


祭の原型を作ったのは、飛鳥時代の天皇、天武天皇(631?-686)。673年に即位し、初めて「天皇」の称号を使ったと言われる。


肉食を禁じた天武天皇



『日本書紀』に、天武天皇が牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食べることを禁じた記述が残っている。これ以降、肉食を避けるようになった。


また、4月1日~9月30日までは食べるなと、肉食禁止は稲作の時期に限られており、米作りの奨励を行ったのでは?と国士舘大学21世紀アジア学部教授原田信男氏が提唱した。


日本人がよく食べていた肉はイノシシ・鹿・カモシカで、これらの肉食は禁止されていない。

つまり肉食禁止令ではなく、田んぼを荒らす害獣のイノシシや鹿は食べても良かったと考えられ、また、牛や馬は大切な労働力となるので食べるのを禁じた、と考えられる。


肉食を禁じた背景



倭(やまと)と呼ばれる日本は、618年に建国された巨大帝国・唐による、高句麗(668年滅亡)・百済・新羅(660年滅亡)侵攻に怯えていた。

そんな中即位した天武天皇は、兵力を養うためのコメが必要だったと考えられる。


天武天皇は史上初めて、その年収穫された作物を神に献上する『大嘗祭』を行い、天皇と米との結びつきを神格化させたという。


食は統治・支配の証



国宝に指定される物もある奈良時代の木簡が残されており、最近でも飛鳥浄御原宮跡で出土している。「ウニ」といった食材や、「出雲の国」といった国名などが記されていて、この木簡は荷札として使われたと考えられる。

その他、富山のサバ、千葉のアワビ、京都のイカ、鳥取のワカメ、愛知のサメなどが朝廷に献上された記録が残っている。


「食(お)す国」という、その国の特産品を全て食べることで、その国を支配・統治している、とする考え方が当時あり、その仕組みを確立させたのが天武天皇と言われ、天武天皇は、古代最大の乱・壬申の乱(672)に勝利して即位。各地に残る抵抗勢力の不安を断つため、中央集権制度を推し進めた。

その政策の一つとして、各地から特産品を集めることが行われた。

そして食卓が彩られ、和食のイメージが作られていった。


天武天皇のメニュー



番組では、10年以上食卓再現に取り組んできた奈良パークホテルの料理長、足立秀滋氏に料理を作ってもらった。


・奈良パークホテルによる食事再現ページ


「鯛の刺身」


生で食べないと出てこない『けい虫』が発見されていることから、生で食べていたと推察される。


「蘇」


牛乳を固めた古代のチーズ。牛乳だけを12時間かき混ぜ続ける。栄養価が高く、薬や美容食として重宝された。


「サメの干物」


「ごはん(赤米)」


「醤(ひしお)」


大豆を発酵させた調味料。醤油のルーツ。

『万葉集 巻十六』に、「醤酢に 蒜(ひる)搗き合てて 鯛願ふ われにな見えそ 水葱の羹」という歌が残っており、

醤と酢を混ぜ合わせたものに鯛をつけて食べるのが最高だという感想が書かれている。

使える調味料は官位の証明でもあり、最初は塩のみ、次に酢、そして醤となり、醤酢を使えることは権力の高さを表していた。





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