top of page
  • 執筆者の写真サエグササエル

インパルス板倉俊之、はねるのトびらのウラ側と葛藤を語る

インパルス板倉俊之が、2021年12月15日放送のニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』にゲスト出演。自身の出世作の一つであるフジテレビ系バラエティ番組『はねるのトびら』について語った。



はねるのトびらの初期のコント時代、板倉は出番が無かった。

ある時、「ナレーションのコント」というコント1本だけ、それもオチだけを任され、演出からは「このコント外したら、お前のコント一生やらないからな」と言われ、板倉はそれにキレて、コントを台本から強引に伸ばしてやりきった。すると伸ばしたその部分が使われ、そのコントシリーズが隔週で行われる事になり、出番が増えていったという。


2005年のスペシャルで、ソフトボールのピッチャーだった北陽・虻川美穂子率いるアブチャンズが、スペシャルゲストのとんねるず石橋貴明との野球対決を行い、板倉は罰ゲームで丸坊主にされた(厳密には、放送では額の上を少しだけ刈られただけだったが、出演する生放送があったので、放送前にバレてはいけないと自分で丸坊主にして取り繕った)。


実際、当時は短髪だったのでダメージは少なかったものの、そしてバリカンを使うなどとんねるずのノリを観てきてはいたが、いざやられる時はさすがにブルっとしたという。

そしていざやられる時に、“これどうするの?”と演出の顔をチラッと見たら、演出に目をそらされ、“マジかよ”と思ったと振り返った。


その演出家は「いろんな番組で攻撃されてるヤバイ奴、Kさん」だったが、実はその後、オンエア後の収録でK氏が坊主にしてきたという。そして、「お前を坊主にさせて、目標の数字に届かなかったから、俺は責任取ってこうした」と言ってのけ、カッコイイ、男気があるなと思ったという。だが数年経っても坊主のままで、「えっ?気に入っちゃってない?」と感じ、ただ坊主にしたかったのでいいきっかけだったのではと怪しんだ。


また、2006年2月8日放送回の企画『ハッピーバレバレタインデー』では、二重から一重になるプチ整形をさせられるハメに。その時はかなり抵抗したが、実は、プチ整形は剥がして放置すれば自然に戻るもので、それを聞かされたのは手術後だった。


コント→ゲーム→終了…



その後、『はねるのトびら』はゴールデンに昇格してからお茶の間の家族向け番組になるためゲーム番組に。

板倉はこの時、純然たるコント番組だったのに子供向けのゲーム番組になり、「この姿、(お笑いファンの)あの人たちにどう顔向けすればいいんだ?」とかなり苦しんだという。

そしてスタジオで大掛かりなゲームをやりながら秋山と「コントやりてえよな~」と漏らしていた事はオードリーや佐久間氏の番組でも語られている。


ただ、前週の12月8日放送回でゲストに来た、『はねるのトびら』を担当した放送作家の1人であるオークラ氏は、『はねるのトびら』は『めちゃ×2イケてるッ!!』の弟的番組として見られるため、お笑い番組として敗北したという印象が強いが、実際はゲーム番組として一定の成功を収めたとして評価されるべきと語っている。


そして『はねるのトびら』は2012年9月に終了を迎えるが、板倉によると番組終了寸前、メンバーやスタッフ達は精神的にバラバラだった。


終了が決まって、板倉は自身を責めた。それは、自身がコーナーの進行役を務める事もあったのに、他局のスタッフから、“板倉で何かやりたい”と思わせられず、ひいては自分の魅力を発揮できなかった事。「僕に人気があれば続いてたかもしれない」と反省し、また、視聴者の事を考えてなかったと当時を振り返った。


ただ最近、仲が良く、実力あるディレクターから、「今求められてるのって楽しいお兄さんなんですよね」と言われ、なれないと痛感した。


『はねるのトびら』と言えば、キングコングの梶原が忙しすぎのストレスで失踪した事も現在では有名だが、板倉によると、梶原とは友達になってすぐ、実家に泊まりに来たこともあるほど打ち解けていた。 失踪中、あまり直接的に励ますのも良くないだろうと、「スロットを打って、2000枚出したよ~」と敢えてハズしたメール送ったら、後に「あれも辛かった」と言われてしまったと明かした。


趣味のサバゲーは実は



板倉の趣味と言えばサバイバルゲームだが、サバゲーは1試合の間隔が短いので時間がかからず、また自然を感じられるのでいいリフレッシュ効果もあるという。逆に家でのゲームだと、1日ただゲームをやってせっかくの休みを潰し、なんだか損した気分になってしまうと語った。

閲覧数:12回0件のコメント

最新記事

すべて表示

トレンディエンジェル、今の芸風になったきっかけ明かす!

お笑いコンビ、トレンディエンジェルが、2022年7月26日放送のニッポン放送『トレンディエンジェル ザ・ラジオショー』で、芸風の由来について明かした。 トレンディエンジェルの斎藤司は元々、ラーメンズに憧れて芸人になり、ネタも凝ったものを目指してやっていた。 だがある時、浅草の寄席『木馬亭』でそういったネタを、スカしてしたところ、かわいがってくれていた先輩のダイノジ大谷から、「なんでハゲネタやんねえ

バッファロー吾郎・竹若元博、後輩に慕われる先輩になる方法は

バッファロー吾郎の竹若元博氏が、2021年5月27日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。コンビ決死から吉本印天然素材時代、そして大喜利イベント『ダイナマイト関西』の人気の秘訣について語った。 現在、お笑いコンビ・バッファロー吾郎としてのネタ出番はほとんどなく、別々に活動していることが多いという。というのも、バッファロー吾郎A氏が吉本興業とエージェント契約を選択したため、コン

  • alt.text.label.Twitter
  • alt.text.label.Instagram

©2022 サエグサジャーナル。Wix.com で作成されました。

bottom of page