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  • 執筆者の写真サエグササエル

コウメ太夫、意外過ぎる経歴語る

コウメ太夫が2021年7月5日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。これまでの人生を語った。



出身は東京都杉並区。父は有名なプロデューサーで、母親は東映の1期生で映画にも出演していたという。

子供の頃はうるさすぎて先生の横に席を移されるような子供だった。

中学に進学すると、学校に行かないことをカッコよく思ってしまったのか、なんとなく学校に行かなくなってしまい、家で2週間くらいただテレビを観ているだけの生活に。そんな様子を見た親や教師に心配され、私立の中学に編入する事になったという。

そして学校に行くようにはなったが、弁当を持って昼頃に学校に行き、弁当を食べたらすぐ帰るような生活を送っていた。


高校に入り、水泳部に入部して活動していたら、顧問の教師から「大学受験とかやってみない?」と言われ、勉強をしてこなかったので「無理ですよ」と断ったが、「いや、僕絶対教えてあげるから!」とその先生が勉強を見てくれるようになり、その先生が時代の割に珍しくおだて上手だったため、勉強して初めて褒められたのですっかりやる気になり、1日7~8時間勉強するようになってしまった。その代わり、あんまり喋らない子になったという。


芸能活動は14歳から



14歳の頃、歌手になりたくて劇団に入り、芸能活動を始める。

きっかけは小学生の頃にマイケル・ジャクソンが大好きになり憧れ始め、それは今のネタのジャクソン太夫やムーンウォークに繋がっている。

17歳の頃にはジャニーズ事務所に履歴書を送ったが半年経っても返事が無かったため、事務所を訪ねて、体よく帰らされたこともあるという。


ナイツと出会った頃は、「外山さん」という相方と『ジャンプ2000』というコンビで漫才をやっていた。コンビ名は2000年結成なので2000と付いている。

 芸人になったのは、クラスで人を笑わせる快感を知ってしまったのと、芸能人になりたかったため、模索する中で選んだという。

 元々シアターDで他の人と漫才をやっていた外山氏をスカウトし、プロデューサーの父親と会長のコネでマセキ芸能社に入ろうとしていたが、面白くなかったため、コネでライブに出たがスベり、事務所の人に怒られて入れなかったという。

その後、解散して他の人と『タカケンダー』というコンビを組んでソニーに応募してネタ見せに参加できるように。タカは自身の本名・赤井貴から取り、ケンも当時の相方の名前から取ったのが由来。

 しかしネタ見せに参加するようになってほどなく、ネタ作りの方向性で解散。困って元相方の外山氏に連絡し、再結成を頼んだが、外山氏はしっかり引退を決めており、その後ピンネタも作家にボツにされる状態だったが、悩んでソニーに電話すると、SMAお笑い部門の平井マネージャーが電話に出て、励まされ、おだてられて次第に評価が上がり、日本テレビ系『エンタの神様』のネタ見せオーディションに参加するよう言われて、出演するようになったという。


コウメ太夫芸誕生のきっかけは



現在のスタイルは、梅沢富美男劇団にいた縁で着物などの着方を身に付けており、当時ブレイクしていた波田陽区の和装スタイルを見て、女形を誰もやっていないなと思い、音楽を付けて何か言ったら出られるんじゃないかと思い、やり始めたという。

 また、ネタの出だしの「チャンチャカチャンチャン…」は、中村美律子の『島田のブンブン』のイントロの部分で、母親がよく聴いていたという。

着替えには最低30分は必要なため、現場には早く入る。


一番初めに作ったネタは「窓辺に寄りかかったら、窓がありませんでした~」なのだが、子供の頃、2階から隣の家の庭に腹から落ちて、隣人にいたずらっ子に間違えられて怒られ、塀をよじ登って戻ったという実話から来ているという。

 また、「露天風呂だと思ったら、池でした~」は、一瞬入りかけただけで、寸前に鯉が泳いでいる事に気付いてとどまったという。


小梅太夫からコウメ太夫に改名したが、ある番組で銀座の母に「変えないと事故って死にますよ」とまで言われたため、また別の占い師に相談して、カタカナに改名したという。


梅沢富美男劇団にいた縁で



22歳の頃、梅沢富美男劇団に入り、現在のスタイルの着物の着方や所作などを学ぶ。

歌手志望だったこともあり、梅沢劇団の中では歌が上手い方だったので、CDデビューさせようかという話もあったが、最後まで世話になるつもりはなかったので、辞めづらくなることを危惧して辞退したという。ちなみに十八番は『夏の終わりのハーモニー』。


2~3年前に梅沢富美男氏と再会するという共演があったが、それ以前は「コウメ(太夫)はあいさつに来ない!」と怒っている感じでテレビに出ており、だがコウメとしても、そもそも距離がかなりあり、劇団を辞めてもいるし、番組共演も無いのにあいさつに行くのも違うと思っていたので、行かずにいたという。

そこに共演の話が舞い込み、チャンスと思ったので受け、再会したところすぐ思い出してくれたという。

コウメは梅沢氏の印象を「芸には厳しいけど、優しい方です」と語った。



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