ダチョウ倶楽部肥後克広&寺門ジモン、上島竜兵との出会いを振り返る
- サエグササエル
- 2022年11月4日
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ダチョウ倶楽部の肥後克広と寺門ジモンが、2022年6月17日放送のニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』にゲスト出演。5月11日に亡くなった上島竜兵との出会いを語った。
上島と出会ったのは寺門が先で、42~43年前、18~19歳の時に劇団テアトル・エコーの養成所で出会った。寺門は昼の部で、上島は夜間だった。
その後、寺門から上島に「お笑いやらないか?」と誘い、演劇からお笑いの世界に引っ張った。最初上島は「俺は喋れない、人と。俺はもう全然そんなんじゃないんだよ」とお笑いに対しては後ろ向きで、演劇青年の考えだった。
そして養成所の先輩であるコント赤信号を頼り、『ダイナマイトボーン』というコンビを結成した。
その頃、肥後はコント赤信号も出演していたストリップ劇場『渋谷道頓堀劇場』で、ダチョウ俱楽部の初期のリーダーである南部虎弾らとお笑いグループ『キムチクラブ』を組んで活動。そこに後から上島と寺門が入って来た。
そこでコントの書ける肥後を誘い、南部と4人でダチョウ俱楽部を結成。ショーパブ『バナナパワー』でコントを作り、会場を盛り上げた。
そして渡辺正行が主催する渋谷のライブハウス『ラママ』のコント大会に1回だけと出演したところ、かなりウケたため、「来月どうする?」と聞かれ、「じゃあ出ます」と返し、また出るとウケ、それを繰り返していく内に今のダチョウ倶楽部になっていったといい。
元々の役割は上島が小オチ、南部が大オチだった。だが上島はボケられないため、その内コントのボケは肥後と寺門が担当する事になり、上島がツッコミになったと語った。
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