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  • 執筆者の写真サエグササエル

ダンディ坂野、『ゲッツ!』誕生秘話

ダンディ坂野が、2021年2月1日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。これまでの経歴や『ゲッツ』誕生秘話を語った。


ダンディ坂野とニッポン放送



『テリー伊藤ののってけラジオ』(98.03.30~10.06.25)にたびたび出演。テリー氏にハマり、ネタを延ばされ延ばされ、ずっとやらされた。

対談にも呼ばれたという。テリー氏の好きな芸人はダンディ坂野とせんだみつお。


芸人になるきっかけ



26歳の頃、芸人になることを目指す。それまでは地元石川県のディスコの黒服(ボーイ)や、成長期のレンタルビデオ店(当時はVHSもベータと両方あった)のバイトをしていた。温泉街のレンタルビデオ店は仕事を終えた旅館従業員で賑わうため、深夜4時まで開き、深夜シフトの時給も良かったため、60~70万円ほど貯めて上京し、スクールJCAに2期生で入学した。


元々アイドル歌手志望だったが、20歳頃に夢を諦めかけた。だが、オールナイトフジのとんねるずを見たことで、夢が叶うかもしれないと奮起した。


1993年ぐらいの入学だったそうで、スクールJCAの同期は東京03・飯塚とユリオカ超特Q。1年後輩には東京03・豊本やアンタッチャブル。アンジャッシュ渡部は後輩だが、1期生の児嶋と組んでいるため先輩扱いだという。

『爆笑オンエアバトル』を賑わせていた世代と言われるが、時代的には、1つ上の先輩が『ボキャブラ天国』でお笑いファンを増やし、東京吉本、東京NSCが出来て、スクールJCAも含め、入学者が増えていった頃だった。


サンミュージック所属だが、1年目は人力舎に所属。2期生は跳ねず、3期生のアンタッチャブルがライブシーンを沸かす中、ダンディ坂野は当時『ラヴリン』という漫才コンビを組んでいた。

お金を払って2年在籍したが、事務所からも必要とされておらず、身を引き、解散しピン芸人に。

そしてブッチャーブラザーズを頼って、週1回の新ネタのネタ見せをお願いし、見てもらうように。ゲッツだけを見てもらう日もあったが、そこで登場の仕方などを仕上げていった。

ゲッツのポーズは少しハの字に開くのがポイント。これにより正面から写真を撮られても、手の形が美しく写る。


持ちギャグ『ゲッツ』誕生秘話



元々は、お客さんをゲットしたいという思いから『ゲット』、『ゲット&ウォント』と言っていた。

それが大川興業主催ライブ『すっとこどっこい』のゴングショーでウケ、芸人の先輩・寺田体育の日さんに絶賛され、「ネタ見せなしでいいから1分のやつ毎週来て」と言われるようになった。

その後、自身の活舌の悪さから次第に『ゲッツ』になり、『ゲット』はざらにあると思い直し、オリジナル性のある『ゲッツ』で進める事にしたという。


ブレイク前夜、『うもくび』『新橋ミュージックホール』などに出演。人力舎からサンミュージックへの移籍



『爆笑オンエアバトル』に出演して出てきたイメージが大きいが、それ以前にもテレビ番組には出演していた。

埋もれている芸人をクビにしようという番組『うもくび』や、ビートたけし、トータス松本、ユースケ・サンタマリアらが出演する『新橋ミュージックホール』では、半年間準レギュラーを頂いた。


しかし、バラエティスキルが無かったため跳ねなかった。

くらべて『オンエアバトル』はネタのみだったので活躍できたが、実質OAは7回。

当時の芸歴は7~8年で、33~34歳だった。

その2年後、36歳の時、CMがきっかけでブレイクした。


サンミュージックお笑い班を4月で閉めようかという考えもあった中、1月にダンディの仕事が殺到し、ダンディ中心に事務所が回り始め、カンニング竹山からはサンミュージックの救世主と呼ばれるようになった。


黄色のスーツのイメージが強いが、実は数ある中の1色で、オンエアバトル卒業や、もっともウケた時に黄色を着ていたのでそのイメージが付いた。

アメリカンコメディのスタイルは、レンタルビデオ店に勤めていた時に観てた『サタデーナイトライブ』から着想。時事ネタは賞味期限が早いため手を引き、人の事をとやかく言うのは自分に合わないと、自分を上げて落とすネタに決めた。

だがこのスタイルは当時、人力舎の先代の社長の「ちゃんとネタをやる」という考えに合わず、許されていなかった。


楽しかったマクドナルドでのバイト生活



下積み時代の生活費を稼ぐため、ダンディはマクドナルドでバイト。シールスイングマネージャー(社員・店長の下)まで昇格し、店の鍵を預かる立場までなった。

 当初、他のバイトと掛け持ちしていたが、マックのバイトが楽しすぎてマックのみに絞り、朝10時から夜7時まで8時間(休憩1時間)、週4~5で働いていた。おかげで早朝パートのママさんや、昼夕の学生、メンテナンスなどほぼ全ての人と関われたという。

そしてオンエアバトルに出演するようになると、昼過ぎの3~4時に来店する学生が増え、ダンディのレジに列をなした。調子に乗った学生がダンディのモノマネだけをしに来ることもあったという。


現在の生活



夜は炭水化物は摂らない。スーツが入らなくなったり、広告関係の仕事でキャラが変わってしまわないようにスタイル維持を心掛けている。40歳の時、タバコをやめ、7㎏太り、ダイエットを心掛けるようにしたという。

 SNSに出すガッツリした食事写真は土日に子供のために作ったものが中心となっている。

子どもがイジられないように、人の事をとやかく言わない芸風になっている。


そして現在は若い時からの夢を叶えるため、自身のYouTubeチャンネルに自作歌謡を投稿している。





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