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  • 執筆者の写真サエグササエル

ドランクドラゴン・塚地武雅、養成所で付けられたヒドイあだ名!

ドランクドラゴンの塚地武雅が、2021年1月12日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。これまでの軌跡を語った。


ブレイクのきっかけ(芸人・俳優として)



塚地は2004~05年頃にTBSで放送されていたバラエティー番組『学校へ行こう!』に出演したのが、テレビに出られるようになったきっかけ。


そして28、29歳でドラマに出演するようになり、30歳で連ドラが決まる。


フジテレビ系『はねるのトびら』内のコント【ムガさまオータムさま】というヲタクコントがヒットし、そのキャラで月9ドラマに出演することになったのが、ドラマ出演の始まり。


塚地「はねるのトびら始まって、ロバートの秋山と一緒にやってた【ムガさまオータムさま】っていうヲタクのコントがちょっとヒットして、そのキャラクターのまま月9出てほしいってなったのが、連ドラの始まりかも。」


どきどきキャンプの岸学に憧れられていた。


ギャグの作り方



塙「ギャグ、僕全然無いんすよ。ギャグってどうやって作るんですか?マジでわかんないんですよね。」

塚地「でもね、俺が最初にギャグ作ったのも、その事務所のライブで正規軍とヒール軍みたいなんに分かれてライブみたいなんしてて、それのなんかトータルで負けた方が罰ゲームするみたいな、次の月。みたいなやってて、俺らが負けて、罰ゲームが一発ギャグやったの。で、コンビで50連発。と、そこで初めて取り組むんやけど、なんかこう今までそのあった荒唐無稽な、マイクビヨーン!みたいなんはなんか今まであったけど、50発もやろうと思ったらそれだけじゃ通用せえへん。無いからなんかネタっぽくしようっていうところから、パッとこの短い期間でオチできる奴何やろと思って、在りものの歌とか童謡とかの結末だけ変えるみたいな。それをやったら次々とウケるだろうなって思って、そっからやりだしてん。」

土屋「そういうギャグを今まであんまやって無かったですよね、人がね。」

塚地「そう。で、みんなあんまり、一発ギャグって形だけとかってことやったから。連発せなあかんから、ちょっとメロディーに乗せたりとか、在りものの結末変えるみたいなとかして、ライブでやるんやけど、俺と鈴木が交互にやるんやけど、俺がやってそれやってウケて、鈴木がやってスベるっていうのを25回。」


土屋「そういえばちゃんとネタになってますもんね。」

塚地「それを観て、はねるのトびらが、一発ギャグのコーナー作ろうか、ってなって、そっから結構隔週ぐらいのペースで10本ずつぐらい作るみたいな。」


ナイツもギャグをやっていた



塙「替え歌とかなんすかね?」

塚地「基本そうしたね。だからそれまで無かったからそんな替え歌とか、あんましてる人」

塙「塚地さんが割と先駆け」

塚地「自分で考えたから…」

塙「なんかやってなかった?オーディションの時に、土屋さんやってましたわ。今日もいい返事、ハイみたいな、塚地さんの影響で」

土屋「塚地さんっぽい奴ね」

塙「ちょっとやってみてくださいよ。」

土屋「え~と、(サザエさんの歌で)ル~ルルルルル~、今日もいい返事~、ハイ!!!」

塙「こんな時期あったんですよ」


塚地「最初なんかやらなあかんかったよね?」

土屋「事務所のライブとかでね。」

塚地「企画とかさ、エンディングでじゃあ一発ギャグ~!とか。いうぐらいのこともあったもんね。」


00年代、お笑い界の空気



塙「五角形だったら一発ギャグ強いじゃないですか。苦手な奴あるんですか?」

塚地「え~なんやろ?でもさ、今さ、それこそなんかこう素のまんまで天然っぽい人とか、“人”みたいなところで、重宝されるやんテレビとか。でも俺らの頃って、なんか全部出来やな、出られへんみたいな空気やったから、大喜利も…」

塙「オールマイティーじゃないといけない、みたいな」

塚地「トークもみたいなんでいろいろ」


塚地「ウチなんて特に鈴木が当時とかトークとかできないみたいな感じやったから、こっちができないと振り幅にもならへんから、結構必死やった気するわ。」

土屋「拓さんのできない感じをいじるようになったのってまたちょっと後ですもんね」

塚地「後、後」

土屋「そういう空気になるまでかかりましたよね」


スクールJCA~若手時代



塙「遅かったですもんね、塚地さんて始めるの?」

塚地「始めたのはそう24歳やから養成所。それまでは仏壇屋さんで営業みたいな、でもそれも半年くらいだけやけど。俺は言ったらアンジャッシュよりも年上やし。5期生でアンジャッシュが1期生みたいな感じやったから、年上の後輩みたいな。あと関西からやってきたってのが人力舎的に全然いなかったから、あだ名が“西”とか言われてた。」

土屋「雑!」

塙「東京の事務所ですからね」

塚地「関西弁って!みたいな感じやったよ、最初。」


塙「人力舎自体がみんななんか、すごい仲の良い…」

塚地「そう。だって『(爆笑)オンエアバトル』始まるまでは、だ~れも売れてなかったから。オアシズさんとかテレビ出てたけど。養成所生は誰も売れてないから本当にみんな、『爆笑ヒットパレード』とかに毎年みんな、自分たちの世代の人らが出てるときとかも、普通に1日からライブで全員揃って、今年もダメだったなあって言いながら、毎年だったから。なんか横並びでもう仲良く…」

塚地「ライブの時とかは、プレッシャーあったよ。養成所生、それこそアンジャッシュとか当時Dバーンって言って、アンタッチャブルとか北陽とかウチらより先輩、ライブで言ったらもう全部優勝している人たちやから、入った時とかは、これ呼ばれたってなったらそこで優勝しないと、人力舎の看板に泥塗るとか思って、ネタとかしっかり作って、みたいな感じにしてたから…。」

塙「ソニー(SMA)はもうみんなでネタやるみたいですね。」

塚地「聞いた聞いた。」

塙「ダメ出しとかも全員でみんなで…」

塚地「一組(舞台に)乗せて、全員がもっとこうした方が良いって」

塙「そこに無いんだって、壁が。みんな仲が良いっていうか壁が無いから、錦鯉とかも全員、小峠さんワーッとやって。」




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