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  • 執筆者の写真サエグササエル

ナイツ塙、ホリプロコム社長の一言で急成長!

2021年5月20日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』に双子お笑いコンビ、ザ・たっちがゲスト出演。



ザ・たっちは2003年デビュー。2005年に日本テレビ『ラジかる!!(ラジかるッ)』の、日本テレビ屋上からカメラで新橋駅前SL広場の2人を映す【天カメコーナー】での人気をはじめ、以後テレビに出だすように。【天カメコーナー】は8~9年続いた。


ナイツからすると、デビューは後輩だが、先にテレビに出だしたので、「ザ・たっちさん」という感じで、またアシスタントの箕輪はるかのハリセンボンとほぼ同時期にテレビに出だしたという。


ザ・たっちは目黒笑売塾1期生!



2人は2002年に開校したホリプロお笑い養成所『目黒笑売塾』(現・ホリプロ笑売塾)の第1期生。

元々吉本芸能総合学院NSC入学を目指して資金を貯めていたが、ホリプロの養成所が開校するという新聞の広告記事が目に入った。


たっち「でもう、さまぁ~ずさんとか、アリキリ(アリtoキリギリス)さんとか、講師として来る!って」

塙「本当は来ないんでしょ?」

たっち「1回も来なかったです」「4年間来なかったです。」

塙「マセキと同じやり方。我々もなぜか講師の名前に入ってますから。一度も呼ばれたことないです」

たっち「5期生の時に、さまぁ~ずさん1回来たって、三村さんが」


ナイツ塙、ホリプロコム社長からの一言で漫才の作り方に大きな影響が



2003年に『ラ・ママ』での渡辺正行氏のお笑いライブに関わっていた、X-GUN、バナナマンらが所属するM2カンパニーと合併し、ホリプロコムが誕生した。その繋がりから、ホリプロコムが『ラ・ママ』のライブ運営に携わるようになり、ザ・たっちも手伝いに行くようになったという。


ナイツ塙は、ラ・ママに来ていたM2カンパニー社長で、現ホリプロコム社長の宮原氏に、自身が遭った事故をネタにした漫才を見せた時、全然ウケなかったが、「実体験だから良いんだよ。他みんなウソ臭いんだよ漫才みたいな…」と言われ、嘘っぽい設定はやっちゃいけないんだな、とその後のネタ作りに大きな影響を与えられたことを語った。


ちなみに、ホリプロコムの稽古場は予約制。社長も使っている事があるという。



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