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  • 執筆者の写真サエグササエル

ハリウッドザコシショウ、ネタのルーツを明かす!

ハリウッドザコシショウが、2022年3月23日放送のTBSラジオ『伊集院光とらじおと』にゲスト出演。自身のお笑いのルーツについて明かした。



この番組への出演について。元々は深夜番組で伊集院が、ハリウッドザコシショウが面白いから会いたいと言っていたのがきっかけで、それがなぜか午前中のラジオにゲスト出演する事になった。

だが伊集院がコロナに感染し、調整し直したところ、夜8時に録音となった。


そんな伊集院がザコシショウのギャグで一番好きなのが、自分から裸で出ておいて、「肌ざみいでございますやね~」と言うツカミ。それにみんながツッコまないのが意外だと面白がった。

ザコシによるとこのツカミは、『R-1ぐらんぷり』に参加して優勝を目指すにあたり、「出て2秒で笑いが取れる」ので、ネタに入れるようになったと説明した。


ここ2年はR-1グランプリに審査員として参加。伊集院から「実はけっこう理論派じゃん?」とツッコまれると、取材などで聞かれる分には答えているだけで、自分からは言わないようにして、イタイ先輩にならないようにしているとポリシーを語った。

伊集院はR-1を観て、おしゃれなスーツを着て理論立てて語るザコシの姿が、「100周しておもしろかった」と伝えると、ザコシは感謝した。

だが伊集院もザコシも「深夜(番組)で会いたかった」と悔やんだ。


古畑ネタの起源



最初の出会いは、伊集院が仲良くしているオテンキ(当時はSMA所属。現在は浅井企画)のネタを観にSMAの常設劇場『BeachV(びーちぶ)』へ訪ねた時。そこに出演していたザコシは、その時初めて古畑任三郎の「ハンマーカンマー」の漫談を披露した。

伊集院があの時のカツラの意味がよく分からないと質問。ザコシによると、当時田村正和のヘアスタイルのカツラなど無いので、直毛のロングのカツラの上にパンチパーマのヅラを合わせてかぶり、代用していた。

しかし、それを観た伊集院は深夜ラジオで、「すげえのいた!」とザコシの存在を報告。ザコシはラジオを聴いたゲッターズ飯田から知らされ、その音源をチェックしたそうで、また、そこからザコシは芸人として売れる調子が出てきたという。

この事で、先見の明があると伊集院の株が上がる事があるが、伊集院が「名誉のために言っておくけど」と、「絶対売れない!あれは売れないわ。ただ超おもしろい!」とあくまで売れないと思っての発言だったと注釈した。それでも、「おもしろい」と言ってくれていた事がザコシには救いだった。


伊集院はザコシを初めて観た日に、アルコ&ピース(当時所属。現在は太田プロダクション)やバイきんぐも鑑賞。この2組に関しては、売れそうだと思った。

ザコシのように売れないと感じたのは、錦鯉・長谷川が前に組んでいたマッサジルで、ザコシも「ジイさんとジイさんが組んでましたからね」と同調した。


実はウザがられていた!?



ザコシが『BeachV(びーちぶ)』に住んでいたという話題に。

元々お笑い部門のマネージャーが、他の芸人たちの指導役として、劇場に住み込みで管理人がいた方が良いと考え、ザコシも今まで会社からの話を断っていたのを考え直して承諾。その後、マネージャーは忘れていたが、ザコシはすでに部屋を引き払い、住むことになった。そしてSMAの上層部には内緒だったので、生活感を出さないようにしていた。

これがSMAのお笑い部門に功を奏したように見えるが、他の芸人の単独ライブや、ザコシとは無関係の企画ライブでも、ザコシが奥にいるため、芸人たちはザコシにも必ず挨拶をしなければならず、実は煙たがられていたと明かした。


誇張しすぎたモノマネの原型



元々は静岡出身ながら、同級生とコンビで大阪吉本NSCに入り、11期生としてスタート。だが劇場に出ると静岡弁が受け入れられず、代わりにわめき声を使ったところ、同期や千原兄弟から「お前ら、面白いな」とマニアックなコンビとして認識されるようになった。しかし賞レースには、予選にも行かせてもらえなかったという。

8~9年活動して、心斎橋筋2丁目劇場が閉館。baseよしもとに移る際、支配人が芸人が多いのでリストラしたいという方針になり、劇場メンバーでリーグ戦を行い、下位2組がクビになり、その中にザコシのG★MENSがいた。

そして『WA CHA CHA LIVE』で、1・2軍はレギュラー、3軍は新人とオーディションからという扱いになり、芸風的にオーディションに勝ち残れないと踏んだザコシは、同じ1からならと上京する事にした。

上京後は、多少のマニアック人気があり、ワタナベエンターテインメントに拾われ、フジテレビ系『本能のハイキック』(02.04~09)、『おすぎとピーコのバックアップ!』(01.04~02.08)、日本テレビ系『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の『ハイテンションベストテン』に合格。出演するも、改編でレギュラーが消滅。そして相方が10年を区切りに辞めたいと申し出て、解散してピンになった。


苦境続きにもかかわらず、ザコシは仲間がいた事で、苦しいと思わなかったという。

SMAに入ってからは、錦鯉の渡辺がザコシとは違う切り口でアイデアを出せるので、ザコシの単独ライブに作家として関わっていた。ザコシ曰く、渡辺は「人を上手く転がすのが得意」だと評価した。

ザコシは意外に、ネタを仲間からとやかく言われるのはイヤじゃなく、むしろ困ったら助けたいと思うと語った。


誇張し過ぎた五木ひろしのモノマネが「ベヘベヘ~、ミチミチ~」とわけがわからなくなっているが、元々は、「五木ひろしの周りでモスキート音が鳴っている」というネタで、「よこはま~(べへべへ~)、たそがれ~(ミチミチ~)」という形だった。それを『誇張しすぎたモノマネ』用に直したと説明。

また、福山雅治のモノマネをする時のメガネは、伊集院はデニーズのレジ横でよく見かけ、まさかプロが使うとは思ってなかったと伝えた。


ザコシのルーツ



ザコシがお笑いを好きになったきっかけは『オレたちひょうきん族』(81.05~89.10)のビートたけしからだそうだが、そこからいろいろとお笑いを観ていく内、16~17歳の頃、竹中直人が深夜にTBSでやっていた『東京イエローページ』(89.10~90.09)という番組にドハマり。

実は伊集院も大好きで、ビデオをたくさん持っており、2人ともたまに観返すほどだという。

特に印象に残っているのが、『クイズそっちの方がスゲェー!』シリーズで、毎回テーマに沿った人物を当てる、というクイズバラエティー番組風のコントで、オチは設定されたテーマ以上の体験を持った人の方がハズレ側にいて、毎回竹中が、「そっちの方がスゲェー!」となるのだが、回を増すごとに竹中のリアクションがグレードアップされていき、ザコシはこれを観て、こうなりたいと思い、今に至ると語った。

それを聞いた伊集院は、「ザコシのルーツが見えた気がした」と納得した。

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