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  • 執筆者の写真サエグササエル

バラエティに力士が出るきっかけは横綱・白鵬!

放送作家・鈴木おさむが、2021年9月27日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』で、力士たちがバラエティー番組に出演するようになった経緯を語った。



2012年頃、鈴木はカラテカ・入江慎也によって、今田耕司らと共に鍋パーティーを行い、白鵬、琴奨菊、豊ノ島ら力士たちと仲良くなり、連絡先を交換した。

その後、当時、角界がゴタゴタしており、力士がテレビに出るという事もあまりなかった頃、白鵬から「相撲を盛り上げたい、盛り上げるために何でもするから」と申し出があった。

だが、鈴木が当時担当していた『お試しかっ!』の人気企画【帰れま10】は人気はあったが長時間拘束の収録のため、お薦めできずにいた。しかし、白鵬の方から「俺ら、みんな全然出るから」と言ってくれたため、それまでの歌を唄うぐらいの出演から、体を張る出演というのが視聴率も良く、そして角界にも遠藤が現れて人気がぶり返したため、相乗効果となり、白鵬からはいまだに感謝をもらうと語った。


鈴木が最初におもしろいと思った力士は豊ノ島で、トークが出来てノリが良く、またテレビもよく観ていて返しもプロ並みと感じたという。また、小柄でありながらちゃんと実力もあったことがバラエティー出演にうってつけだった。


また、横綱・白鵬についても、「本当に相撲のために頑張りたい、良くしたいと思ってる人なんですよ」と誤解されがちな風潮を否定。全然名前も知られてない若手芸人を連れて行っても、ちゃんと名前を覚えてくれるという。

鈴木氏によると、名前を覚えるのはスターの共通項で、スタッフをいきなり下の名前で呼ぶ、木村拓哉との共通点を感じるという。


同じ下積みを経験した人物は



 若手の頃は19歳から22,3の頃まで、ニッポン放送で笑福亭鶴光らの番組を15本ほどレギュラーで担当。元々は、師匠にあたる前田昌平にお願いしたところ、山田邦子のリクエスト番組と槇原敬之のオールナイトニッポン(火曜2部)に見習い作家として参加できるようになった。もちろんノーギャラだったという。

 ちなみに、鈴木がニッポン放送で働き出した1年後にリリー・フランキーも入ってきて、森高千里の番組に参加していたという。

 鈴木は、一時期は住んでいたと言えるぐらいニッポン放送にいて、ある期間は金曜のオールナイトニッポン2部を担当後、次に土曜日午前中の『ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回』も担当していたため、その間の睡眠時間はたった3時間だったと語った。


鈴木の中・高時代は『とんねるずのオールナイトニッポン』が全盛で、千葉の田舎でありながら、「全員聴いていた」というほどで、聴かないと次の日のクラスの話題についていけなかったという。



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