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  • 執筆者の写真サエグササエル

ヒロミ、伝説のショーパブ『バナナパワー』を語る!

タレントのヒロミが、2022年6月13日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。伝説のショーパブ『バナナパワー』について語った。



オープニング早々、ナイツの塙からB21スペシャルの漫才協会への加入を打診され、即座に受け入れるヒロミ。

実際、浅草の劇場には、師匠である星セント・ルイスが病気から復帰した時に一度観に行った事がある程度。また、弟弟子に当たるホンキートンクは既に解散し、別々の芸人に。その片方がヒロミの相方であるデビット伊東のラーメン屋でアルバイトをしていて、彼だけがヒロミの事を「兄さん」と呼ぶという。


伝説のショーパブ『バナナパワー』



ヒロミは芸人をやってみようと思ってから、紹介で星セントに弟子入り後、ネタを作れと言われた。その後たまたまデビット伊東がダチョウ俱楽部の寺門ジモンと知り合いになり、当時の六本木にあったショーパブ『バナナパワー』を紹介された。


『バナナパワー』ではショーやコント、ダンスがあり、最後にお客さんに1枚300円でパイを買わせ、そのパイを出演者に投げつけられるサービスがあり、ヒロミら出演者は毎回必ずグッチャグチャになっていたという。

当時出演していたのは、ヒロミら『B21スペシャル』の他、『怪物ランド』『ちびっこギャング』『ダチョウ倶楽部』等で、ナベプロが一枠持っていて石塚英彦も出演していた頃があると語った。

当時は80年代のバブルで、お客さん150人がネタよりもパイを当てる事を目的に来ていた。ちゃんと美味しく食べられるように作ってもあった。

終演後は耳の奥まで入った生クリームを落とし、それを1日3回公演でやっていたが、パイの売上げはギャラに繋がるため、結構イイお金になったという。さらにチップももらっていたので、それでバイトもせずに暮らしていけたと振り返った。


ちなみに、おぼん・こぼんやシティーボーイズ、とんねるずらが出演していた『コルトンブルー』のような店(ショーレストラン)もあり、ヒロミらはそこには出ていないが、新宿にあった普段はニューハーフがショーをやっている同じスタイルのお店に出演していたという。


その後、店に来ていたテレビ関係者の目に留まり、ダチョウ俱楽部がテレビに出るようになって、B21スペシャルもそれに続いた。その頃はまだプロダクションに入る前のフリー状態だった。

そしてB21スペシャルはテレビ朝日の『ザ・テレビ演芸』(81.04~91.03)に出演し、10週勝ち抜き、そこからなんとなくテレビに出るようになったという。

さらにフジテレビの『オールナイトフジ』(83.04~91.03)に出演し、そこから、出ていたとんねるずが先にテレビスターの道を作っていったため、そこに続いてテレビに出続けられたと語った。

また、とんねるず木梨憲武や藤井フミヤとの友人付き合いはそこから始まった。


一方で、当時のフジテレビ制作部は班別制度で、他班の番組にレギュラー出演しているタレントとの接点がまったくできなかったため、一時期レギュラー出演(92.10~98.03)していた『笑っていいとも!』で仲良くなることもなく、また、お笑い第3世代としてネタ番組に出演し、そこで共演する事はあったが、その後に他の番組での共演が無かったので、同世代の芸人と仲良くなることもなかったため、共演が増えたのは芸能界に戻って来た50歳以後からだと明かした。

『ボキャブラ天国』(92.10~98.03)で共演していた爆笑問題やBOOMERは実は同世代だが、MCと若手という立場や、自身の生意気なキャラ、そしてテレビに出たのが同世代の中でも早い方だったため、現在のポジションになったと説明した。


決別した社長の想い



テレビに出続けるようになってからは、プロダクション人力舎に所属していたが、独立。

当時の社長は営業を軸と考えていて、テレビ出演は人気を上げてギャラを上げるためのものと考えていて、とにかく営業を入れて利益を得るという方針だった。しかしヒロミは営業がイヤで、逆にテレビに出たいと思っていたため、対立。社長がテレビのやり方をわかっていない分、ヒロミも自力でテレビとのパイプを作るようになり、最後の方には社長から「お前は独立した方が良い」と勧められ、26,27で独立した。周囲はびっくりしていたという。

しかし最初の半年か1年ぐらいは、人力舎の中にヒロミの事務所を置いてくれた「良い人」だったと語った。


社長の葬儀では、社長の奥さんから「おい、わがまま息子!」と声を掛けられ、迷惑をかけていた事に気付かされたと明かす。

実は社長から独立を勧められたのには、裏方の苦労を知ってもらう意味合いもあったそうで、ヒロミ自身、独立してからは社員の給料の事なども考えるようになったため、興味が無いと断っていた仕事も受けるようになったと明かした。


YouTube、テレビの流儀



YouTubeは編集も1人で行っている。テレビでやりたい事がやれなくなってきたのもあって、好きな事を始めた。

実はテレビでやりたい事は元々無い。昔から「やりたい事無いですか?」と聞かれてきたが、「それはお前たちが考えろ」と思っていて、「俺が考えて、やりたい事やってたら、テレビ成立しないと思うんだよね。タレントがやりたい事なんかやっちゃダメだと思うんだよ」と持論を展開。プロの考えた事をやるのが一番だと語った。

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