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  • 執筆者の写真サエグササエル

ビートきよしが語るもうひとつの『浅草キッド』

ビートきよしが、2021年12月11日放送のTBSラジオ『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』にゲスト出演。Netflix映画『浅草キッド』公開に合わせ、浅草修業時代のツービートについて語った。



ツービートの漫才についてきよしは、「ウチの相方はもう喋り出したら止まんないのよ。息つく暇もないでしょ」とビートたけしの独壇場とも言えるような早口のハイテンポを挙げ、そのため、ツッコミで喋るとたけしと声が重なってお客さんに言葉が聞こえなくなってしまい、そうなるのを防ぐため、「よしなさい」「やめなさい」「いい加減にしなさい」しか言えなくなったという。


ツッコむのも実は大変だったそうで、というのも間を外さず、毒の強いキツいボケにはキツくつっこみ、またアドリブも多くてそれに瞬発的に反応するなど、かなり腕が試されたそうで、あの名ギャグ『コマネチ』も突然やったという。


中でも、やっちゃいけないことも一応やってしまうため、これには困ったそうで、それで怒った客がステージに上がり、マイクの前でたけしを襲いに来たため、たけしは「唄います!」と言って逃げ、スタッフたちが客に土下座して謝り、残されたきよしは仕方なく歌を唄ったという。


『浅草キッド』では、キャバレー営業のシーンが描かれ、客のヤジにたけしが怒るという風に描かれているが、きよしによると真相は逆だった。

キャバレーの客は売れていない漫才師の漫才を誰も聞かず、たけしはそれが嫌だったため、仕事前に酒を飲んできては、聞かない客に「うるせえ、このブス!」と絡みだしたという。そしてそれをきよしが制してマジックを披露するが、それでも誰も見ないため、またたけしが「見ろ、このブス!うちの相方がマジックやってんだろうが!」とまた絡んでいたと明かした。

そして、芸において客にも厳しいこの姿勢は、実は深見師匠譲りではないと明かした。


知られざるきよしの下積み時代



きよしは山形から上京し、浅草にあった劇場ロック座に入る。ロック座を選んだのは、佐山俊二や長門勇、渥美清、東八郎、萩本欽一と売れてる先輩がいっぱいいたからだった。

その時に座長を務めていたのが、大泉洋が演じた深見千三郎師匠で、この時はものすごく怖い人だったという。


だがロック座が斎藤社長に売られ、一座は解散。深見やきよしは現在の東洋館であるフランス座に移籍。きよし目線では、深見は人が変わったようにだいぶ丸くなり、そこにたけしが入ってきたという。


たけしは深見をよくネタにしていた。深見が戦争に行かされないように旋盤で指を1本切ろうとして誤って4本切ってしまって指が無いのを、挨拶の時に度々イジッていた。

深見の怖さを知っているきよしはたけしの度胸の強さに感じ入り、また深見もイジられて嬉しそうな顔をしていたという。

深見は指1本でもギターを弾くというエンターテインメントの技があった。


コント中心の浅草で漫才を始めた理由



フランス座の座員だったきよしの給料はたった2万円だったが、出演者には映画や舞台がタダで観られる興行パスが渡されていた。きよしはよくそれで国際劇場(現在のビューホテル)で映画ばかり見ていたが、それにも飽きた頃、寄席でフランス座の近くにあった松竹演芸場に行くと、テレビで売れていたWケンジ師匠が漫才で出演していて、ここに立てばテレビに出やすくなるだろうと漫才師転向を考えた。

フランス座ではコントのみで、個人でやるには衣装代や小道具代で金がかかったが、漫才はスーツのみで、その他司会などもできるという利点があった。


そしてきよしはフランス座を辞め、ゆーとぴあのホープの紹介でレオナルド熊の弟子を紹介され、その弟子とコンビを組み、名古屋の大須演芸場に出演。すると社長から「お前ら毎月10日ずつ1年間出ろ」と1年分の仕事が決まった。

しかしホープからの電話で「熊さん怒ってる」と、コント師の弟子が漫才をやることを不義理だとレオナルド熊が怒っていて、謝りに行った。だが当時の熊はテレビに出る熊ではなく「ポン中」で、夕方6時から夜中の2時まで正座させられ、さらに枕の下から出刃包丁を取り出して、「お前コノヤロ、漫才やるんだったら指詰めろ」とヤクザまがいの事を言い出し、相方も指を詰めようとしたので、慌てて止めたという。

ちなみに、きよしは漫才をやる前にフランス座を辞めていたので破門ではなく、そもそも深見も漫才に反対ではなかった。


結局相方がいなくなってしまい、だが大須での契約を捨てたくなかったきよしは急いで相方を探しているところに北野武が見つかり、口説いて口説いて「タケちゃん漫才やろう」となったという。


そしてコンビを結成。最初はきよしが師匠達から教わった、元々あったネタをやっていたが、たけしがネタを合わないと感じ、ある時、松竹演芸場に出演した時、漫才作家の加藤修から「このネタ使えたら使ってよ」と毒舌漫才を渡されてやったところ、ドハマりしたという。

また、漫才が早口なのは最初からのたけしの特徴で、お客さんからは「お前らの漫才見たら疲れるよ」とよく言われていた。


相方・たけしを選んだ理由



当時のたけしは酒を飲んで、寝坊して遅刻したり来なかったりとかなり不真面目だった。

だが、たけしと子供の頃の遊びの話をしても全然違い、またそれが面白かったため、たけしを舞台に上げようと惚れ込み、それからはたけしが酒を飲んできても怒らなくなった。


そしてきよしは、舞台は数をこなさないとダメだと、師匠連中に頭を下げ出番をもらい、仕事を取って来た。ギャラはほとんど出ず、全然金にはならなかったが、きよしは25歳の時に結婚し、妻が名家の出で店を3軒経営していて、毎月30万円仕送りしてもらっていて金は持っていた。

それで仕事を取ってたけしの部屋に行くが不在で、便せんに仕事の予定を書いて、交通費を置いて帰ったが、当日も来ず、後で聞くとその金で酒を飲んでいたが、怒らなかったという。


松竹演芸場では、売れてないからトップ出番で登場し、その時に玉川カルテットの着物や楽器を持ってきたりして出ていて、こいつら何やるんだと袖に仲間が集まった。

そしてたけしは突然歌を唄い出したりして、きよしも仕方なく乗っていたという。それでお客さんがしらけていると、「ヤバいヤバい、やめよう」となっていたという。


ナイツの所属する漫才協会にも入っていて、映画に名前が登場するWモアモア、そしてライバルと言われた東京丸・京平は先輩で、ツービートはNHKの大会ではウケても、ネタが毒舌で賞をもらうことは無かった。


また、深見以外に松鶴家千代若千代菊も師匠で、最初はきよしの本名『兼子二郎』にちなんで、『松鶴家二郎・次郎』を名乗っていた。たけしが師匠に選んだそうで、後で理由を訊くと、「あの師匠だったら、全然怒らないと思う」という理由だったという。


その後、コロムビア・ライトの弟子になり、空たかし・きよしをもらい、たけしは最初たかしだったが、本名のたけしに戻した。

相方のコロムビア・トップ師匠にも世話になった。


その後、太田プロダクションに所属するが、きよしによると、入った時、太田プロは傾いていた。だが太田プロはブームの時に必ず当てはまる芸人がおり、トリオブームの時にはてんぷくトリオ、漫才ブームではツービート、そしてツービートが入った時に、よく一緒に舞台をやっていた片岡鶴太郎も調子よく入ってきて、その後片岡が素人参加の演芸番組をTBSでやることになった時に、番組に素人の山田邦子が参加し、山田を取ってから事務所としてどんどん大きくなったと語った。


たけしとは現在も仲が良く、たまにゴルフに誘われると、「(プレー代を)出してくれるんだよ」と喜んで付いて行くという。

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