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  • 執筆者の写真サエグササエル

ホリプロ社長が明かすホリプロお笑い部門創設のワケ

2021年4月11・18日放送のTOKYO FM『空想メディア』にホリプロ社長・堀義貴氏がゲスト出演。さまぁ~ず、イジリー岡田、つぶやきシローらが所属するホリプロお笑い部門を創設したきっかけを語った。



お笑い部門創設時期はまだホリプロではなくニッポン放送(4年間)の社員だった堀義貴氏。

当時は、これからはお笑いの時代だという気配があり、また、ホリプロタレントスカウトキャラバンから出た山瀬まみ、井森美幸のバラエティ番組での成功があった。

そんな中、手探りながらホリプロお笑いライブを開催した。


そこで誕生したのが、バカルディ、後のさまぁ~ずだった。


バカルディからさまぁ~ずに改名



しかし、バカルディは出だし好調だったものの、低迷期に。三村はリポーター業を行い、大竹はお笑い番組に放送作家として携わることもしていた。


そんな中、2000年にTBS『新ウンナンの気分は上々。』の企画で『さまぁ~ず』に改名(当初は期間限定で、1年後に『さまぁ~ず』の屋号を賭けて戦う企画もあった)。


さまぁ~ず改名時はマネジメント本部長だった堀氏は、当時を述懐し、「さまぁ~ずライブのチケットの売れ行きがすごかった」と語った。その現象に2人も『さまぁ~ず』を受け入れたという。


堀氏は、お笑いに興味のない人がテレビを見た時に、「バカルディは覚えづらい」と考えていた。

利き手である番組パーソナリティーで放送作家の高須光聖氏も、「改名でニュースができて扱われるようになった」と語り、どの番組に行っても、まず改名の話をとりあえず振ってもらえることで、実力のある2人を各番組が呼びやすくなった、と分析した。


ホリプロとM2カンパニーの合併・ホリプロコム誕生



さまぁ~ず以後も様々な若手を養成してきたホリプロだったが、堀氏は「ジャニーズの若手がバラエティに台頭し、お笑いの若手が出られる番組が無くなってしまった」時代になったと語る。


そんな中、東京のお笑い事務所30社が集まり、業界向けプレゼンライブを企画。当時の参加メンバーには、カンニングや、青木さやかがいた。


そういった経緯もあり、ホリプロのお笑い部門とバナナマン等が所属するM2カンパニーが合併し、ホリプロコムが誕生した。

その際、ホリプロ預かりの若手芸人がホリプロコムに所属となったが、さまぁ~ず、つぶやきシロー、イジリー岡田はそれ以前にホリプロと契約書を交わしていたので、子会社に移るカタチは気分が悪いだろうと、移籍とはならなかった。


ホリプロコム創設初期、堀氏は当時音楽製作担当も兼務しながら、ネタ見せやライブをする若手を観に行き、ダメ出しで怒鳴っていたという。


そんな堀氏だが、初めて会った時からのバナナマンの印象について、「バナナマンは変わらない」と語り、バナナマンの現在のブレイク、人気はモデルチェンジなどではないことを証明した。


用語解説


預かり:事務所に正式所属となる前の仮契約状態。メガネにはかなったが、契約金などの金銭や手続きなどの手間、本人たちのやりたい活動方向など、面倒を省くため、一旦この状態となる。テレビ局など他方からの仕事のオファーなどが発生した際に、正式所属、正式契約となる場合が多い。



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