ホリプロ社長・堀義貴氏が語るホリプロタレントスカウトキャラバンからスターが生まれる理由・第1回の衝撃の光景とは!?
- サエグササエル
- 2022年12月19日
- 読了時間: 2分
老舗芸能プロダクション、ホリプロの社長・堀義貴氏が2021年4月11日放送のTOKYOFM『空想メディア』にゲスト出演。名物となっている『ホリプロタレントスカウトキャラバン』を始めた当初について語った。
『ホリプロタレントスカウトキャラバン』の第1回は1976年。予選会はニッポン放送で行われ、参加者の行列がラジオ局から有楽町の駅まで続いていたという。また、夏に行われたため、炎天下で倒れる人も続出したと振り返った。
そういったハプニングは会場内でも発生。当時は歌の審査があったが、カラオケなどは無い時代だったため、参加者自ら『明星』『ヤンソン』と書かれた楽譜の袋を持って来て、それをピアニストに渡し、ピアニストの伴奏で歌うのが当たり前だった。
しかし参加者の人数があまりにも多いため、さすがにピアニストは2人交代制でスタンバイ。審査が終わった後は2人とも、手がパンパンに腫れ上がってしまったという。
また参加者も、当時は人前で歌う経験がほとんどないため、音痴の人が結構多かったと語った。
参加者が減少してもやり続ける理由
スカウトキャラバン開催当初、芸能事務所主催で毎年同じ時期にやるオーディションというのが珍しく、多くの人が参加してくれた。だが、そういったオーディションも増え、現在の参加者は減少傾向だという。
事務所主催のオーディション、『ホリプロタレントスカウトキャラバン』からスターが生まれる理由について堀社長は「やり続けること。」だと回答。「(スターが登場するヒットの)打率が低いので、何度もやめようかという話があった」そうだが、代わりの企画があるかと言えば無いので、やり続けてきたと語った。
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