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  • 執筆者の写真サエグササエル

ポーランドの素敵な観光地「ワルシャワ」「クラクフ」「ザコパネ」「ザリピエ村」「ヴロツワフ」

ポーランド



かつて「ポーランド=リトアニア連合王国」であり、ヨーロッパ最大の領土だった。

ポーランドは外国表記では、「Polska」と書き、平原という意味の「Pole」(ポレ)から、『平原の国』という意味である。


「北のパリ」と呼ばれる美しき首都「ワルシャワ」


ポーランドの首都。学術と芸術の文化都市。13世紀末、イソワ川の港町として発展。美しい街並みは「北のパリ」と呼ばれるほど。しかし第2次世界大戦で徹底的に破壊された。


世界遺産「ワルシャワ歴史地区」


1980年、ユネスコ世界遺産に登録。


奇跡の復興を遂げた「旧市街広場」


17世紀に前の首都「クラクフ」から遷都された。ワルシャワ市街戦で徹底的に破壊されたが、18世紀に描かれた風景画を基に、レンガや割れ目まで完全に再現された。


ワルシャワの守護人魚「シレンカ」


剣と盾を持つ人魚の像。ワルシャワの守護神。


「バルバカン」


レンガ造りの砦。15世紀に建てられた当時は、牢獄や火薬庫もあった。


●王宮


「旧王宮広場」


ジグムント三世が遷都を行った。十字架を持ったジグムント三世の像がある。

旧王宮はバロック様式の建物で、14世紀はバゾビア公国の王宮であり、17世紀にポーランド王国の王宮として使われた。


「大演舞場」


毎夜のごとく舞踏会が行われた。置いてある大理石の彫刻は、ギリシャ神話を基に作られた。


「騎士の間」


上院議員の控室として使われた。クロノスの像が見守る。


「キュリー夫人博物館」(MUZEUM MARII SKLODOWSKĪE CURIE)



マリア・スクウォドフスカ=キュリー(1867-1934)

1967年10月、生誕100周年記念で、生家を改築して作られた。研究資料や所持品が展示されている。

生家はキュリーの母、ヴロニスラバ・スクウォドフスカが学長を務めた学校でもある。


「ショパンの生家」



ワルシャワ郊外にある。白い外観。ショパンは生後7カ月まで住んでいた。その後一家はワルシャワへ引っ越し。

ワルシャワのガジミエシュ宮殿の別棟に7年間住んでいた。


・フレデリック・ショパン(1810-1849)

1810年3月、ワルシャワ郊外ジェラゾヴァヴォラに、父ミコワイと母コスティナの間に生まれる。

1830年11月2日、ショパン、ウィーンへ旅立つ。


「ヴィジトキ教会」


ショパンがワルシャワ高等学校学生時代の15歳の時、全校生徒参加のミサでオルガンを弾いた。


「クラシンスキ宮殿3階『ショパン家のサロン』」


3階に一家で1827~30年までの3年間暮らした。

ショパンはここに住んでいた時、初めて自分の部屋を持つことができ、『ポロネーズ』などを作曲した。


ショパン行きつけの「レストラン ホノラトカ」(HONORATKA)


1826年創業。ポーランド料理の専門店。

ショパンがよく通った店で、メニューの「鴨のローストとリンゴのフリッター」が好物だった。


ショパンの心臓がある「聖十字架教会」


ショパンは39歳の時、パリで亡くなった。ショパンの心臓はポーランドに帰還し、ここに安置されている。



「ワルシャワ中央駅」(WARSZAWA CENTRALNA)


1975年建造。ポーランドを代表する近代建築の一つ。ターミナル駅。「PKP」とは、ポーランド国鉄の意。


ポーランド一美しい都市「クラクフ」



中世の街並みが残るポーランド一美しい古の都。17世紀初頭まで首都だった。


「クラクフ中央駅」(KRAKÓW GLÓWNY)


1847年建造。ネオゴシック様式。シレジア鉄道の東の玄関口として利用される。


世界遺産「クラクフ歴史地区」



1978年、ユネスコ世界遺産に登録。

交易の要衝として栄え、中央広場にはカフェやレストラン、民芸品売場が多く並ぶ。


「聖マリア教会」


1222年建造のゴシック様式。264代ローマ教皇ヨハネ=パウロ2世が大司教を務めた。


「ティニエツ・ベネディクト会修道院」


ヴィソリ川のそばに立つロマネスク様式の建物。11世紀に建てられたが、修道会は6世紀から作られている。修道院の地下では、ハチミツ酒(ワイン)が作られている。


名産品「ハチミツのワイン」


別名「祝福された黄金の酒」。この地は寒くてワイン造りに適さず、ハチミツのワインが作られるようになった。作り方はハチミツを発酵させるだけ。


世界遺産「ヴィエリチカ」(SZYB DANILOWICZA)



クラクフの郊外約15㎞のところにある岩塩坑。1978年、2008年にユネスコ世界遺産に登録された。

18世紀から公開され、ゲーテやショパンも訪れた。


すべてが岩塩でできた「聖キンガ礼拝堂」


キンガ女王を祀る礼拝堂。足元のタイルからシャンデリアまですべて岩塩で出来ている。1963年に完成し、毎週日曜日朝8時にミサが行われ、ミサには世界中から人々が集まる。


独特で牧歌的な村「ザコパネ」


牧歌的な村。尖った屋根が特徴の木造建築や、フェルト製で色鮮やかな民族衣装などの特徴は、ザコパネスタイルと呼ばれる。


名産「オスツィペク」


羊のミルクで作った燻製チーズ。塩水に1週間さらし、成形後、3カ月燻製する。オスツィペク作りは男の仕事とされてきた。


花柄に彩られた「ザリピエ村」


村の家々には、「ザリピエ模様」と呼ばれる花柄が壁にペイントされている。


「フェリツィア・ツリウォ博物館」(ZAGRODA Felicji Curylowej MUSEUM)


1930年代、ザリピエ刺繍を有名にした女性、フェリツィア・ツリウォ(1904-1974)の家。

ザリピエ模様は壁や天井、陶器に描かれる。元々は、煤けた壁や天井を隠すために始まった。

1948年にペイントアートコンクールが行われ、世界的に有名になった。


水の都「ヴロツワフ」


オドラ川のそばにあるポーランド南部の中心都市。12の島と100以上の橋が架かる水の都。

オドラ川の北には、多くの聖職者が住む。


「ヴロツワフ本駅」(WROCŁAW GŁÓWNY)


1857年建造。シデチア地方の中心駅。


妖精に会える「中央広場」


妖精のいる広場。旧刑務所には囚人の妖精像、広場の入口には友好の紋章を持った妖精像、聖エルジュビエタ教会には消防士の妖精像など、様々な妖精の像が置かれている。


「聖エルジュビエタ教会」


1522年に建てられたプロテスタントの教会。教会の前には、「ヤシとマウゴー舎」という小さな建物がある。


「市庁舎」


13~16世紀にかけて建造された。繊細な装飾が施されている。


「洗礼者ヨハネ大聖堂」


13世紀から建て始め、16世紀に完成した。2つの塔が目印。ポーランド初のゴシック様式の建造物。


ヨーロッパ一古いビール酒場「ピヴニツァ シフィドニカ」(PIWNICA `SWIDNICRA)


市庁舎の地下にある、ヨーロッパ一長い歴史を持つビアセラー。1273年創業で、ゲーテやショパンも訪れた。

「鴨のロースト リンゴとクランベリー添え」がいただける。


世界遺産「ヤヴォルとシフィドニツァの平和教会群」


2001年、ユネスコ世界遺産に登録。


約370年の歴史を持つ「ヤヴォルの平和教会」


1655年建造。バロック建築。内部は3つの足廊を持つバジリカ風。2階には新約聖書の絵が、4階には旧約聖書の絵が描かれている。

パイプオルガンは1855年製。


「シフィドニツァの平和教会」


ティンバーフレームは1855年製。

天井には宗教画が描かれている(三位一体)。絢爛豪華な内装で、約7000名を収容できる。


カトリック派であるハプスブルク家に支配されていたプロテスタントは、ボヘミアで反乱を起こし、ヨーロッパ全土に及んだ。

1618年から30年戦争となり、終結後、この地に木造建築が許可された。


幽霊に会えるホテル「リズィナ城」~配偶者と一生添い遂げられる部屋~


古城を利用したホテル。15世紀には貴族のため、17世紀にはリズィンスキ王のためにバロック風に改築された。

年に一度、礼拝堂に「白い貴婦人」という幽霊が出ると噂になっている。

「狩猟の間」には、多くのはく製が飾られ、「議会の間」は17世紀、開戦を記念して作られた。「舞踏の間」には、王の結婚式を祝って描かれたフレスコ画が天井に飾られ、「国王の間」は、結婚式の後、この部屋に泊まったカップルは、一生添い遂げると言われている。


「ポズナン~ヴォルシティン線」


珍しく、蒸気機関車が定期運行している路線。

ポズナン本駅、ヴォルシティン駅(WOLSZTYN)には転車台がある。


※ このページの情報は、2012年7月2日放送のBS-TBS『世界 夢列車に乗って』の情報を基に製作しております。



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