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  • 執筆者の写真サエグササエル

マキタスポーツ、オトネタをやるきっかけは

俳優としても活動し、ギター漫談や作詞作曲モノマネで人気のマキタスポーツが、2021年7月12日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。芸人人生のスタート期や、作詞作曲モノマネができる理由について語った。



マキタスポーツのピン芸人としてのデビューは97~98年頃。ただし、95~96年頃に吉本興業の渋谷公園通り劇場にオーディションを経て漫才コンビとして2~3回立っていて、順調に行けば吉本興業所属だったかもしれず、もしかしたらダイノジ、ガレッジセールと同期になっていたかもしれないという。


しかし、漫才コンビは相方が突然来なくなり、事実上解散。そこから2~3年の時期を経て、その当時、運転免許証の件で不祥事を起こして謹慎していた浅草キッドが、謹慎明けの活動再開として『浅草お兄さん会』というライブを立ち上げて行う、という告知をしていたニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』を聴いて、ピン芸人として活動を始めた。


『浅草お兄さん会』は年齢不問、ネタ尺制限なし、誰でも参加OKだったため、ピン芸でやってみようかという気になり、参加した。

ライブは新宿のシアターモリエールで行われ、デビューして間もない内から、シアターモリエールやシアターサンモールといった立派な劇場に立たせてもらえたのはありがたかったという。

 また、当時は『ボキャブラ天国』(フジ)ブームで、番組に出演していたボキャブラ芸人がもてはやされ、その逆張りで『ボキャブラ芸人になれなかった男たち』、『反ボキャブラ』というくくりでライブをやっていたという。

 ライブには、東京ダイナマイトや鳥肌実などが参加。大学生時代のU字工事も栃木弁を隠して漫才をしていたが、訛りが隠しきれなかったため、水道橋博士から“訛りを隠さないでやった方が良いよ”とアドバイスを受けて直されたという。


マキタスポーツの初期のネタは音楽ネタではなく、ピン芸ネタで、音楽ネタはあるにはあったが、バンドで披露しようと考えていたため温めていた。

 ライブに出演するようになってからは、立川談志のモノマネ、というより談志になりきって「全部私が作ったんです」と言い切るネタをやっていた。

 モノマネは出来るが、やりたいという思いは無く、ただ、やるとウケやすい、受け入れられやすいという利点があるため、モノマネをやっている。

 そのため営業では、矢沢永吉の格好をして登場し、モノマネネタをひとしきりやってから、ギター漫談に入るという。


高田文夫先生とも知り合いで、高田先生とは、浅草キッドの紹介で、高田文夫プロデュースライブ『我らの高田“笑”学校』に見学をさせてもらい、打ち上げにも参加。近づいて、談志師匠のモノマネを高田先生の目の前で披露するという「地獄の時間」を過ごし、細かい動きのレクチャーを受けたという。


ナイツとは、塙がコールセンターでバイトしていた2002年頃に、バイト先の知り合いのウチノ氏がマキタスポーツとバンドを組んでドラムをやっていたことから、劇場『新宿Fu-』で一緒になった時に塙からあいさつし、顔見知りに。その頃のナイツは浅草に行かされて南京玉すだれを習う頃だった。


音楽ネタをやるきっかけ



子供の頃はツービートや紳助・竜介の影響で漫才をやりたいと思ったが、いつしか音楽がやりたくなり、音楽のお笑いをやりたいという思いからライブハウスを中心に活動していた。ちゃんとした演奏をしながら、フリップネタや映像ネタもやっていた。


ギターは中学2年生の時、モテたいから始め、楽譜は少し読める程度。作詞作曲モノマネのネタがあるが、勉強はできなかったが、モノマネは得意だったので、「モノマネ頭」で音楽を聴く内にコード進行のパターンに気付き、作れるようになったという。


子供の家庭教師は



私生活では4人の子供のパパで、下の2人は双子。長女が私立中学を受験する際は、大学講師の経歴を持つ漫才師で、『国語のスペシャリスト』である米粒写経のサンキュータツオに家庭教師を頼んだところ、勉強を見ることに加え、受験の雰囲気に慣れるために、マキタスポーツと妻も一緒に毎晩テストを受けさせられたという。

そんな長女も音楽やお笑い好きで、若手芸人の出待ちをしていると語った。



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