top of page
  • 執筆者の写真サエグササエル

ライセンス、ガキ使、ダウンタウンの裏話明かす

お笑いコンビ・ライセンスが、2021年9月13日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。改名や結成秘話、そして前説を担当する人気番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の事や、井本をかわいがる浜田雅功の事を語った。



まず話題に上がったのが、一時期、『ザ・ちゃらんぽらん』に改名した事。

2007年、MBS『世界バリバリ★バリュー』の企画で、番組司会者で同じ吉本興業の先輩である島田紳助から『ザ・ちゃらんぽらん』に改名するよう言われ、改名した。


●当時の雰囲気を伝えるブログ


収録後、裏で紳助は、ボケで言い出した事であり、「別に(変えんで)ええよ」と言ってくれたが、赤坂のコインパーキングで、藤原が井本に、乗っかると言い出し、『ザ・ちゃらんぽらん』に改名した。

『M-1グランプリ2006』(ABC)の敗者復活で注目を浴び、やや仕事も増えてきて、「種火を大きくしたい」気持ちもあった。


この紳助のボケは、既に『ちゃらんぽらん』という漫才師が同じ吉本興業にいるというところにあり、改名してしまうと先輩の『ちゃらんぽらん』に迷惑が掛かってしまうのだが、当の『ちゃらんぽらん』は「便乗して上京する!」と言って、東京吉本所属にまでなった。

また、ライセンス2人の留守電には「4人で単独ライブをやろう」というメッセージが残されていた。


しかし、ライセンスを観に来て、ちゃらんぽらんが出てくるという勘違いしたお客さんも出てきたため、結局改名から半年後に藤原が戻そうと言い出した。


それを聞いたナイツ塙は、一時期、『水玉れっぷう隊』が『バイキング』に改名(08~10.02)した時、当時売れる前のバイきんぐの西村と同じコールセンターでバイトしており、西村から「なんか水玉れっぷう隊さんが俺らと同じコンビ名になっちゃって、なんか今度トークライブ呼ばれて、わけわかんないけど対決しなきゃいけなくなっちゃって」と困惑していたエピソードを明かした。


実は『ライセンス』自体も結成当初の吉本の心斎橋筋2丁目劇場のオーディションの時点で、他にも3~4組いて、“最初にギャラ500円をもらった者が正式にライセンスになる”と支配人に言われた。


ライセンス結成秘話



ライセンスは藤原が77年9月、井本が78年1月生まれでナイツ塙(78.03)とは同い年だが、高校卒業後すぐ吉本に。

スポーツ高校だったが、部活の練習がしんどすぎて、そんな時、高校の文化祭で先輩が漫才でウケる姿を見て、楽しそうと感じ漫才をするようになり、芸人になりたいというより、練習から逃げたいという感じだった。


当時、2年生の藤原はサッカー部の井本以外の他の同級生と組んで漫才をしていたが、3年生になりクラス替えで、なぜかもうできないと思ってしまい解散し、同じクラスの井本と組み、「あいつともうやれへんの?」と言われ、気を取り直し、最初は3人でやっていた。

すると比較し始め、最初に組んでいた子のセリフ覚えが悪いと感じ、井本と2人でやるように。


吉本にはオーディション組で入り、同じオーディション組の先輩にはサバンナ、シャンプーハット、テンダラー、水玉れっぷう隊などいっぱいいた。

そのため、同期という線引きが曖昧になり、最初は孤立し、誰も喋ってくれなかった。劇場の楽屋に入れずトイレの前にいたが、しばらくすると次長課長や野性爆弾などの先輩が「楽屋入ってきたら?」と呼んでくれるようになり、ようやく中に入れるようになったという。


『ガキ使』の前説はネタ禁止!



その後、東京に進出し、ガレッジセール、シャンプーハット、アップダウンら4組で深夜番組『吉本ばかな』をやっていたところ、番組プロデューサーが『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』と同じ日本テレビの菅賢治氏だったため、対決企画の賞品が『ガキ使』の前説になり、それから以後前説を担当するように。当時ダウンタウンにも存在を把握されてないくらいだった。


ガキ使の前説は、普通の番組の前説と違い、拍手の練習や注意事項の説明などはなく、「やらんといてくれ」「ただ笑かしてきて」と言われ、ネタも禁止だった。

また、ダウンタウンから「いきなり俺らは無理」と、ライセンスが前前説、ココリコが前説、その後いよいよダウンタウンだった。

そして会場はダウンタウン目当てのお笑いマニアの男が多く、全然笑わないという。


しかし、それ以来ダウンタウンと仲良くなり、特に井本は最近も浜田と5日連続で過ごし、飛行機でもよく隣の席に座る。

プライベートの浜田はよく泣くそうで、7~8時間のフライト中、それぞれ過ごすが、たまに見ると映画を観たりして泣いてるという。


一方藤原は、松本と仲が良いかというとそうではなく、コロナ前は収録終わりで松本にご飯に連れてもらっていたが、月亭方正が落語をやるようになって大阪所属になり、大阪に戻るため、それがなくなり、今では年に一度の新年会くらいでしか一緒にならないという。


ちなみに、藤原は怖がりで飛行機嫌い。井本の手を握ったりするという。


浜田から塙へ伝言



コーナーの最後に井本が浜田からの伝言で、Amazonで配信されているナイツ司会の『プロ野球 そこそこ昔ばなし』の続編の希望を伝達。

井本は浜田から、「おれはもうずっと前からむちゃくちゃオモロイから観ろ!」「もうたまらん。ずっと見てまうねん!」と薦められ、大ファンの浜田は『ジャンクSPORTS』で塙と共演した時にもその事を伝えているが、このラジオに出演する事を伝えたところ、あらためて伝えるよう言われたという。


『プロ野球 そこそこ昔ばなし』は、80年代くらいに活躍したプロ野球選手が今までどこでもしていない裏側の話をするため、野球好き(巨人ファン)の浜田にはたまらなく、『ジャンクSPORTS』では知れない話を知ることができておもしろいという。


井本は浜田と一緒にAmazonのビートルズのドキュメントやブルース・リーなどを2人で観て、特に深い感想を言うこともなく、「すごいなぁ~」と薄い感想を言い合うという。



閲覧数:12回0件のコメント

最新記事

すべて表示

トレンディエンジェル、今の芸風になったきっかけ明かす!

お笑いコンビ、トレンディエンジェルが、2022年7月26日放送のニッポン放送『トレンディエンジェル ザ・ラジオショー』で、芸風の由来について明かした。 トレンディエンジェルの斎藤司は元々、ラーメンズに憧れて芸人になり、ネタも凝ったものを目指してやっていた。 だがある時、浅草の寄席『木馬亭』でそういったネタを、スカしてしたところ、かわいがってくれていた先輩のダイノジ大谷から、「なんでハゲネタやんねえ

バッファロー吾郎・竹若元博、後輩に慕われる先輩になる方法は

バッファロー吾郎の竹若元博氏が、2021年5月27日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。コンビ決死から吉本印天然素材時代、そして大喜利イベント『ダイナマイト関西』の人気の秘訣について語った。 現在、お笑いコンビ・バッファロー吾郎としてのネタ出番はほとんどなく、別々に活動していることが多いという。というのも、バッファロー吾郎A氏が吉本興業とエージェント契約を選択したため、コン

  • alt.text.label.Twitter
  • alt.text.label.Instagram

©2022 サエグサジャーナル。Wix.com で作成されました。

bottom of page