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  • 執筆者の写真サエグササエル

リットン調査団、若手時代のダウンタウンの怖さとやさしさ!

リットン調査団が、2022年6月3日放送のニッポン放送『中川家 ザ・ラジオショー』にゲスト出演。これまでの歴史や現在の活動について語った。



パーソナリティーの中川家は藤原とはよく劇場で会うが、水野とはあまり会わない。藤原はルミネTHEよしもとでコーヒーを持ってウロウロしているが、東京の若手と接点がないため、話が無く、居場所が無いという。


コンビ歴は34~35年。水野は62歳になり、藤原は6月で還暦に。コントライブを数カ月に1回開いていて、始まれば1時間出ずっぱり。最近は戦争などのちょっと思うところを入れるような、本当にやりたいテーマでコントをやれるようになっていると語る。


だが、寄る年波であまり動けなくなっていて、あまり大きな声も出ないと告白。着ぐるみも被らず、本番前にトイレに行かないと本番中にもよおしてしまうようになったという。

若手の頃は、NHK新人漫才コンクールでは動き回り過ぎて画面に誰も映っていない時があったり、別の時は膝の半月板をケガした事もあったという。

まだできるなと思いながら、もの忘れがひどく、この前も水野がネタを書いているのに、水野が一言目を忘れ、「なんやった」と聞いたという。


客層は30~50代の男性が多い。劇場の出入り口には他の若手芸人目当ての若い女の子に混じって、関西弁のひげ面のおっさんが出待ちしていて、「藤原さんの下ネタ最高です。良かったらこの焼酎飲んでください」とプレゼントをもらうという。


若手の頃のダウンタウン



リットン調査団は心斎橋筋2丁目劇場のオーディション『心斎橋お笑い探検隊』で合格。当時の若手専用劇場『心斎橋筋2丁目劇場』は「アンチ吉本、アンチ花月」という新しい笑いを標榜して、探しており、東野幸治やぜんじろう、清水圭・和泉修といったメンバーが参加していた。

劇場では楽屋も無くロビーで待機。ロビーから客席のドアを開けて、舞台に上がった。

リットン調査団がネタをやっていると、ドアの隙間から明らかに悪口を言っているなという目で観ていたのが、130Rのほんこんで、「おもろないわ~」と口が動くのがわかったという。

また、『ラジオ2丁目劇場』というのもあり、優勝すれば海外旅行や電化製品などの豪華賞品がもらえたと語った。


そんなリットン調査団らド新人のネタをダウンタウンと現会長の大崎洋氏が観ていたそうで、出演者は順位を付けられ、リットン調査団は「なんかようわからんけど、第5位、リットン調査団」とよく大崎に言われていた。


ダウンタウンは当時からトップのカリスマで、影響を受けてダウンタウンっぽいネタをするオーディション参加者も多かった。

リットン調査団の2人はダウンタウンっぽいネタは、やろうと思ってもできないし、本人たちに観られる場所だったため、影響を受けていたとしても、ダウンタウンっぽい漫才は出来なかったと語り、後に来るダウンタウンに影響を受けた新人がやるのを眺めていたと振り返った。


当時の劇場の雰囲気は、「ピリピリピリピリして、本当おっかなかった」と述懐。

畏れ多くてダウンタウンの楽屋には行けなかったが、楽屋からは毎回浜田の「ウォリャー!」という叫び声が聞こえ、その後ガシャーン、パリーンと何かが割れる音、女性社員の「キャー!」という悲鳴、そして松本の「キャッキャッキャッキャッキャ!」という笑い声が毎日ワンセットになって聞こえてきたという。


そんなことばかりでダウンタウンには怖くて近寄れなかったが、水野は後輩ながらダウンタウンより4歳年上なため、それなりに気を遣ってもらっていたという。

ある時、水野は風邪気味で、浜田の使う楽屋に先に入って寝ていたところ、浜田が入ってきたので飛び起き、浜田に「どうしてん?」と聞かれ、「ちょっと、風邪ひいて、熱あるんですよ」と答えたところ、「ええ!寝ときや、寝ときや」とやさしく寝かされたという。

だがその後にどこかで「ウォリャー!」となっていたと付け加えた。


また、照明のミナミジマさんや音響のオオクボさんなどスタッフも怖く、聞いた話ではちゃんとあいさつしなかったら漫才のオチ前で暗転にさせられたり、センターマイクを下げられたりすることもあったという。


先輩、師匠との付き合い



中川家とは2回、中学校の文化祭と、札幌の営業で一緒に。

夜に中川家とすすきのに行き、剛がホステスにやたらとモテたという思い出が。

もう1回は近鉄電車で中学に。入ったばかりの中川家はリットン調査団から「帰りは(酒)飲まなあかんで」と言われ、よくわからないまま水野が「藤原が全部金出すらしいからみんな飲め飲め!」と他の芸人含めみんなで酒をガバガバ飲むことに。そして難波に帰り着いた頃には、藤原は持ち金が全部無くなってしまったところを見せられたというエピソードに。

リットン調査団に聞くと、吉本には今も昔もそんなルールは無いそうで、ただ無茶をするのが面白い時代だったという。


リットン調査団はよく後輩から「優しい」と言われるが、2人からすれば「普通」で、リットン調査団より上の世代は札付きの悪が多く、どこにも就職できない人たちが多かった。一応大卒なのはリットン調査団とまるむし商店など数えるぐらいだった。


ただ、泊まりの営業では師匠と一緒になるとメチャクチャ飲まされたそうで、吉本新喜劇の島木譲二はお開きの声が掛かってから、ビール瓶の残ったビールをグラスに集めて、「こんなんもったいないでっせ」と飲み続けた酒豪で、また、劇場近くのビアホール酒場『ミュンヘン』に連れて行ってもらうと、最初に「お姉さん、生中10杯!」とまとめて頼み、「ちまちま頼んだらあきまへんねや」と両手にジョッキを持って、3秒くらいで飲み干したという。


ちなみに『ミュンヘン』によく行くのは、ある程度ベテランになると、ミュンヘンの社長がビールの無料券をよく配っていたため、よく連れて行かれる事になったそうで、おつまみは、タコポン酢とからあげが基本だった。


その後、東京へ。藤原と水野はそれぞれ別の清掃会社でバイトし、今も続いている。水野は『ノーサイドゲーム』などドラマ映画に出る話があったが、今年に入ってから話が無くなったという。

また、水野は8分越えの曲『はつ恋』を出したが手応えが無い。反応が返ってきたのはバッファロー吾郎とチャンス大城と村越周司だけだった。


たけし軍団に弟子入り!?



リスナーからのメールで、実は水野は大学卒業後、上京し、ビートたけしに弟子入りの履歴書を渡したことが。『オールナイトニッポン』終わりで出てきたところに手渡しし、その後たけしの車をタクシーで追いかけた。すると並走になった時、強い雨が降っていたにもかかわらず、たけしが窓を開けて履歴書を振り、「帰ったら後で必ず見るからよ!」と言われ、嬉しかったという。

だが返事は何もなく、その後ホームシックになり、弟子入りが難しい事もわかり、大阪に帰ったと語った。当時はまだ軍団が無く、弟子は東国原英夫、松尾伴内、ラッシャー板前ぐらいだったという。


パートナーとはフランス風



水野には籍を入れていないパートナーがいる。

今田耕司、東野、ほんこん、板尾創路との還暦祝いの食事会でその話になり、板尾から「フランスっぽいなあ」と言われ、気になったが、板尾には何故か深く聞けないので皆そのままだった。

パートナーとは、大阪から連れて来て、一度別れ、またヨリを戻して現在に。交際歴は27年になり、結婚や子作りの話になった事もあったが、お茶を濁して今に至るという。

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