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  • 執筆者の写真サエグササエル

ロッチ、とんねるず木梨憲武から受けた励ましに「?」

ロッチが2021年10月11日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。コンビ結成直後にテレビ出演し、関わった大物芸能人とのエピソードを語った。



ロッチの2人は2005年にTBSで放送された、とんねるず・木梨憲武が司会を務める、若手芸人発掘番組『ゲンセキ』(05.04~04.09)に出演。この番組からオリエンタルラジオやハリセンボンが世間に浸透していった。


この番組にロッチはコンビ結成からわずか2カ月で出演している。ネタも1本しか完成していなかったが、そのネタがまさか採用となり、数十組から5組ほど残り、それから番組スタッフとネタを作り、5組が出演するZeppTokyoでの『ゲンセキライブ』に出演した。

 だが、その5組の中で唯一ロッチだけスベり、内容は“ハンマー投げのハンマーの持つところがカンガルー”という、今思うとスベッてもおかしくないネタで、舞台を降りた2人は、落ち込みすぎて楽屋に入れなくなり、廊下に2人で三角座りしていた。

 すると、通りかかった木梨が2人を見つけ、「いいね~!その調子、その調子!」と声をかけてくれて、「どの調子やねん!」と心の中でツッコんだというエピソードを語った。

だがその時、木梨はロッチにだけ声をかけてくれたという。


元々、この番組への出演も、番組のチーフ作家である松井洋介氏が、ロッチが吉本在籍時代からネタを見てくれていた知り合いで、ある程度の信頼があって下駄を履かせてもらった事で、出演し、このような事になったという。


大物俳優・山城新伍に



また、コンビを組んで1カ月の時にもBSフジ『東京金歯』に出演し、ネタを披露。

審査員を務めていた山城新伍から、「いや、発想も良いしね、ネタも良いけど…」と褒められていたが、山城は不意に中岡を指さし、「お前が足引っ張ってんだぞ!わかってんのか!?」と指摘され、直立不動状態になったという。


実際の放送では収録現場での緊張状態はマイルドになっていたが、放送を観た中岡の母親は、「山城さんの言う通り」とうなずいていた。


初代『ロッチ』?



『ロッチ』と聞いて、パーソナリティーのナイツ塙は大学時代、学生のお笑いの集まりで、東大生のユニットに『ロッチ』という名前で活動している人たちがいた事を思い出し、最初にコカドと中岡の『ロッチ』という名前を見た時に、学生お笑いの時のユニットかと思ったが、違う事を確認した。


しかし後に、NHK『BSコンシェルジュ』に出演した際、NHKの松岡忠幸アナウンサーから、「お久しぶりです、僕ロッチだった松岡です」とあいさつされ、現在の所在を知ったという。


コンビ名の由来は



コカドと中岡のコンビ名『ロッチ』だが、2004年に千葉ロッテマリーンズがバレンタイン監督就任で強くなり、05年にはリーグ2位になった事や、ビックリマンのガチャガチャが由来という説がある。だが、コカドはすでに何度も答えていて、面倒くさくなって、今回は答えなかった。

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