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  • 執筆者の写真サエグササエル

三木聡監督が語る『大怪獣のあとしまつ』制作ウラ話!

映画『大怪獣のあとしまつ』の監督・放送作家の三木聡が、2022年1月23・30日放送のTOKYOFM『空想メディア』にゲスト出演。これまでの放送作家としての活動や、『大怪獣のあとしまつ』の制作秘話を語った。


放送作家・三木聡



メインパーソナリティーの高須光聖とは『生生生生ダウンタウン』(92.04~93.03・TBS)で一緒に。収録が行われる東京メディアシティ(TMC)で会議が行われたそうで、高須から三木の印象は「くだらないこと言う人やな~」。

三木は小さいカバンの中に入れた小さいメモに思いついたことをたくさん書いていた。


三木は松本人志の『一万円ライブ』(1994)にも参加。また、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(91.12~97.11)では、『リアルポンキッキ』を手掛けた。

その他、当時はレギュラー出演者の篠原涼子は芝居がヘタという扱いだったので、篠原、東野幸治、蔵野孝洋(ほんこん)、浜田雅功で『俳優養成講座ドラマ』というコントも書いた。


高須とは、“1人で書いてると寝てしまうから”という理由で、共にコントを中野坂上のデニーズで書いていた。2人とも字が汚くて書き直しも多いので、鉛筆で書いていた。

一方、おしゃれで通っていた秋元康のグループはサインペンで書いていたという噂だった。


また、三木は時間に遅れる人間にめちゃくちゃキツく当たり、その他ちょっとしたことでも怒っていた。遅れたスタッフや、さっき名刺交換したばかりのプロデューサーにもくってかかっていた。聞くとそれは今も変わらないと語った。


高須は三木に呼ばれ、昼の帯番組『まっ昼ま王!!』(94.10~95.03・テレビ朝日)の、バカルディが担当するコーナー『ダイナミック商会』に参加。テレビ朝日の平城氏や、先輩放送作家の佐々木勝俊氏が参加していた。


生放送で物を売る企画だったため、出品物として、三木は「ギャートルズの肉」、佐々木は「松田聖子の入浴した残り湯『聖子の水』」、高須は「カズ(三浦知良)と缶蹴りできる権利」などを提案したが、上のスタッフから「出来ねえよ、こんなの!」と一旦ボツになった。

しかし後に『とんねるずのハンマープライス』(95.01~98.09)が始まり、自分たちが提案した物と同じような内容だったため、「出来んじゃん、コレ!」と騒然とし、もったいなかったと振り返った。


2000年代以降、三木は映画監督もやり出した。放送作家の仕事は減らすつもりはなかったが、減少傾向に。

元々は、高須の影響で映画用のカメラや、トレードマークとなる野球帽を買ったのがきっかけで、一方で高須はその頃、野球帽をよく被っていたので、ハゲだしていると疑われていたと振り返った。


当時の三木は先進的で、『ごっつええ感じ』の忘年会か何かでMac(apple)のノートパソコン『PowerBook 540C』(94)が松本に当たり、必要のなかった松本は当時50万円相当のそれを高須に15万円で売った。

高須も買ったもののどうしていいかわからず、三木を家に呼んで、「パソコンとは」とイチから教えてもらい、電話線にも繋いでもらった。

三木はニフティサーブ(87~06)で文字だけのものをやっていたが、逆にそこからまったくやらなくなってしまったそうで、今やっているネット系は家族のLINEのみ。携帯電話を持つのも遅かった。


PowerBook 540Cの様子(画像あり)


当時のインターネットは『パソコン通信』と呼ばれていて、ローディングも遅く、どこのホームページも大したことはなかった。

高須からは「おもろないな」という印象だった。


『寸止め海峡』『世界で一番くだらない番組』



30代で、三木はシティーボーイズの芝居も手掛け、高須は“東京の笑い”を受け売りしていた。

一方、三木は『寸止め海峡』(一万円ライブ)で、東京の“本を作り上げてから打ち合わせる”やり方や大阪のやり方でもない、松本人志独自の「発想がさらに別の発想を生む」ような作り方に衝撃を受け、そして松本に「(コントに)まとめといて!」と言われ、まとめながら「これでいいのかな?こんな作り方した事無いからな」と迷っていた。


そして本番当日、会場の客席には『オレたちひょうきん族』など過去の番組を作っていたスタッフが観に来ていて、「時代動くよな」と感じていた。


三木の手掛けた『世界で一番くだらない番組』(1990~・不定期・フジ)は伝説の番組と呼ばれるが、今では放送できないと言われ、『月曜から夜ふかし』の遠藤達也ディレクターも参加していた。

放送尺が47分なのに、32分しか撮っておらず、三木が15分、雑誌を使ってモンティパイソンのような人形劇をして繋いだ事もあった。

当時はそんなことをしても何も言われなかったそうだが、高須によると今の現場では、SNSのちょっとしたコメントでも言われるという。


『世界で一番くだらない番組』の様子


映画監督・三木聡



今回公開される『大怪獣のあとしまつ』は9本目になるそうで、元々『シティボーイズライブ』の舞台演出(89~2000,2017)や8㎜フィルムでいろいろ撮っていて、そろそろ映画監督をと思っていたら、2000年代頃に映画製作バブルが起き、予算が引っ張れた事で監督になれた。

園子温の『自殺サークル』も同様だそうで、同じ放送作家の倉本美津留つながりで園監督とは面識がある。


三木作品は特殊なギャグもあるので、糸を正しく表現するために演出を自分がするしかなく、三木自身が監督になった。

そのため、当初は音響監督に「全部やり直してくれ」と言ってケンカになったり、キャラクター面での演出で折り合いがつかず、俳優には降りてもらったりしたと振り返った。


ちなみに、2018年8月にこの番組にゲスト出演した福田雄一監督は絵コンテを描かず、カメラマン任せ。現場に行ったら雰囲気づくりと演技指導のみ。これが作品を早く撮る秘訣と高須に語っており、三木によれば旧来の映画の撮り方だと解説した。


そして2002年、映画監督として『ダメジン』を撮影したが、プロデューサーが逮捕されたり、使用許可申請を出して公道で撮影したシーンが、警察から「殺人事件の犯人が乗った車が映ってるかもしれないから見せてくれ」と言われ、大切なフィルムを一時的に提出(結果、映っていなかった)したりして、公開は2006年に延びた。


予算が集まった3年後、撮影が再開。出演者の市川実日子のアフレコからだったが、録りだした最初のセリフが奇跡的に、「3年間待ってたんだよ」だった。

この経験により三木は「映画より面白い事を現場でやるな!」と今も言っている。


『大怪獣のあとしまつ』制作秘話



『大怪獣のあとしまつ』は、映画ライターの泊貴洋氏が「三木さんを取材した本を持ってる」と2006年に出した本『映画監督になる(06-07)』を持って来て、その中で、「ガメラの死体を片付ける映画を撮りたいんだ」と言っているので、この頃から構想自体はあったという。


現実味を帯びだしたのは、2014年頃に、一人の青年がショッカーになって仮面ライダーに倒されるまで、のストーリーを描いたプロットを持って、東映の白倉伸一郎氏に話したところ、「仮面ライダーではできない」とボツにされ、「他に無いですか?」と言われた時に話したのが『大怪獣のあとしまつ』の構想だった。

また、白倉氏から東映の須藤泰司氏を紹介され、須藤氏は学生時代に劇団をやっていて、三木のシティボーイズ公演も観ていた事もあり、その縁で実現することになった。ちなみに須藤氏は吉岡里帆の先輩にあたる。


ちなみに、映画の話はかなり無くなりやすいそうで、高須も数年前、時代劇小説を書いて映画化という話になったが、その話を持ってきたテレ朝の人が映画部を離れてしまい、監督も堤幸彦氏に決まっていたのに、無くなってしまったと明かした。


長い歴史の中で、東映と松竹が合同でやるのはこれが初だそうで、三木自身でも驚いた。


一度書いては、直しが入り、書き直したり、撮影開始までの諸々のやり取りを済ませるのに7年かかった。


撮影期間は60日。30~40日で撮りきろうと考えていたのが、コロナで追加撮影になり、1年開いて、合成用素材も撮り直し、11月1日に撮影完了した。


コロナで撮影がストップしたため、土屋太鳳のとあるシーンでは、セリフは一言だが、その前のカットから1年経過していたり、西田敏行演じる総理大臣がドアを開けて次の部屋に出るまで1年かかっている。


また、コロナ禍により、ロケ場所自体が閉鎖で貸してもらえなくなり、緩和された1年後は使用時間が夜8時までとなり、天井が抜けていたので、夜のシーンのため夕方5時から夜8時までの3時間で、4~5シーン撮る羽目になったと語った。


編集は撮りながらつなげていき、それで全体の雰囲気が完成し、トータルで半年ほど掛かった。

最初はもうちょっとグダグダコメディーになる予定だったが、SF寄りにシフトチェンジ。時代の気分で見せ方も変わっていったと説明した。


映画作りで大切にしている事



三木の信条は、「自分が意識した事をあんまり信用するな」

これまでに面白いと感じてきた経験則はやっていく上では必要だが、実際におもしろいのは、それらをつないだ時に生まれる別の無意識のようなものだそうで、それが浮かび上がってきた時に、自分でもびっくりできるという。

そのため、意識と意識の間にある無意識のようなものは、そこは落とさないようにしようと心掛けている。ストーリーを作るために段取りで落としてしまいがちだそうで、それをやると作品を観た時に、計画だけ見せられてもな、となってしまうという。

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