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  • 執筆者の写真サエグササエル

今田耕司、ダウンタウン漫才の出囃子を決めた人について語る

今田耕司が、2022年4月18日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。心斎橋筋2丁目劇場で活動していた新人時代を振り返った。



新人時代、今田の初任給は90円。もともと100円で、源泉徴収で10円を引かれて90円になり、明細と一緒に封筒に入れられて受け取った。出演料としては少額だが、なによりお金をもらえたことが嬉しかった。

そのギャラはダウンタウンらが出演するイベントの前座コーナーの出演料で、ダウンタウンやハイヒールらが出てくる前に新人たちが鎬を削る、正規出演者となるためのチャレンジコーナーがあった。


そのコーナーに出演する時は、なぜか舞台袖からではなく、120席の客席横の扉から登場して舞台に上がるのがしきたりで、ウケれば合格、スベれば失格のシビアなルールで、今田はリットン調査団やほんこんの前のコンビ・ホンコンマカオらと各々チャレンジしていた。

そして合格が続くと社員から、「お前、今度からこっちから出ろ」と舞台袖から出る事を許されたが、今田のような新人は楽屋には入れず、今田は鏡の前で立ってスタンバイしていたという。


また、片付けの手伝いに行ってこいと言われ、駆け付けて作業をするために手荷物を置いていると、コワモテの社員から「誰のやこの手荷物!邪魔や!」と理不尽なことも言われ、困惑していた。

だが、しばらく経って、がんばっているとその社員から「今日は何しに来たんや?」と声を掛けてもらえるようになったという。


夜間高校に通っている時から昼間はバイトをしていたが、仕事は長く続かず、長くて1年、短くて入ったその日の昼休憩で帰宅していた。教師からもどうしようもないと母に告げられ、今田自身も悩んでいたが、お笑いの世界を続けていける事で一安心したと振り返った。


ダウンタウンの出囃子の秘密



4月2日,3日に行われた吉本興業110周年記念興行『伝説の一日』。今田は両日最終公演の『さんまの駐在さん』に2日間出演。そして3日にはダウンタウンが登場し、漫才を行った。


ダウンタウンの出囃子としてEPOの『DOWN TOWN』が掛かり、後に浜田雅功からの指示で掛かったと一部で話題に。

実際、当日の舞台袖で観ていて、当時の出囃子もそうだったのか聞かれた今田は明確な記憶は無いが、聞き覚えがあったと回答。

今田によると当時の劇場には専属の音響さん(担当者)がいて、現在のように出演者自身が出囃子を指定するのではなく、出演者の雰囲気に合った出囃子を音響さんが選んで掛けていたそうで、今田もピンでコントをする時は何か出囃子を掛けてもらっていたそうだが、しかし自身でも何の曲だったかは覚えていないという。



ダウンタウンの出囃子として、EPOの『DOWN TOWN』が流れていたような記憶があるが、ダウンタウンは3~4年先輩であり、またそれについて直接ダウンタウンに伺ったことはないため、音響さんが選んだのか、浜田自身が選んだのかは定かでは無いと語った。


※ 出囃子の件に関しては、浜田雅功が指定したという事が、『ワイドナショー』で松本人志の口から語られた。


今田耕司 ダウンタウン「アドリブ漫才」の表現に疑問 「アドリブ漫才っていう表記はなんかなあって」(スポニチアネックス)

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