加山雄三、音楽を語り、名言続出!田中邦衛氏との面白エピソードも
- サエグササエル
- 2023年2月5日
- 読了時間: 6分
2021年4月24日放送のニッポン放送『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』に加山雄三がゲスト出演。
【復活!若大将 加山雄三登場!青大将・田中邦衛さんを語る】と題して、様々なトークを展開した。
音楽との出逢い
まずは音楽の話題に。加山氏が最初に触れた音楽はクラシック。
その理由は、「ウチの親父(俳優の上原謙)がね、非常にクラシックが大好きな人間で、集めてたレコード、全部クラシック。それをね、「イタズラするな」って言われたらイタズラしたくなるのが子供で、掛けるなって言われたら、掛けちゃうんだよね」と説明。
また、それだけ多くのレコードを持っていた理由について、
「昔でいうね、何枚も何枚も聴かないとコンツェルトとかコンサートっていうのは、ものすごい枚数やるでしょ。78回転で回るわけだからさ。それの時代で」と、レコードの収録時間の関係でコレクションが膨大になったと説明。
「あれが本当の写真のアルバムのように重なり、何枚も入っているから“アルバム”」と、1枚のCDに多くの曲が入ったものをアルバムという理由についての豆知識も披露した。
母親の方は歌謡曲をよく聴き、そのハイブリッドが、“湘南サウンド”に繋がった。
「誰が湘南サウンドって言いだしたのかなって。湘南サウンドって言いだした人、素晴らしいと思ってね。湘南って名前大好きなんですよ。桑田(佳祐)くんだってそう。あの辺で生まれた人みんな湘南サウンドってね。平尾昌晃くんだって、ワイルドワンズもそう。湘南サウンドって言われたこと自体、非常に誇りに思ってる」。
最初に手にした楽器はピアノ。
「ピアノだけども、いわゆるキーボードでね、オルガンだったわけで。それを最初にオルガンをね、ウチの親父がね中古のを買ってくれたの。それを弾いたときに、あんたえらいそれ、指ちゃんと使えるじゃないかって。それだけ弾けるんならピアノ買ってやろうって小学校5年くらいの時にオルガンを買ってくれて、それで中学2年の時にピアノに切り替えてくれたの。中古のピアノがね」。
「嬉しいなんてもんじゃないでしょう、そりゃあ。音が出ること自体がものすごく嬉しいし、しかもピアノの音ってのは正確だからね。全然譜面が読めないのに全く勝手にダンダンダンって弾いてたら、大したもんだってウチの親父が思ってくれたと思うんだけど。そのうちの親父がね、全然俺知らないで弾いてたんだよ。そしたら、ダン!って終わったらいきなり「すごいな、お父さんはピアノのコンツェルトが大好きだからな。いずれ勉強して、ピアノコンツェルトを書いて、お父さんにプレゼントしてくれよ」って言ったんだね。それで「ああ、そうか、やってみるよって、OK!」って、その時簡単にOKって言ったけど、それから60年くらい知らん顔して(笑)。それでもう親父が70いくつになった時にね、「この前約束した曲は作ってるか?」って」「「やってないよ」って言ったら、「そうか…」ってやっぱり俳優だよね、「そうか…」ってイヤな顔、すごいがっかりした顔したんだよ(笑)」と冗談めかし、「それから俺12年かかって、完全に出来上がったんだよ三楽章とも」。
「親父が涙ながらに受け取ってくれたスコア(楽譜)。渡しちゃったんですよ。それどっかになくなっちゃった(笑)。ちゃんとコピー取っておいて良かった(笑)」
と、父・上原謙氏との音楽にまつわるエピソードを語った。
そして歌手・加山雄三になり、また作曲家として、弾厚作という名でも活躍。
弾厚作という作曲家としてのペンネームは、團伊玖磨と山田耕筰から取った。
「占いで見てもらったらね、いい名前ですね~って(言われて)。そしたらそれにしましょ、って。」
仕事は幅広く、茅ヶ崎市立東海岸小学校の校歌をも手掛けた。
加山の曲作りは、「歌は日本語で歌うもんじゃないと思ってたから。自分で作るのも英語で作ってたから」と、最初は英語をはめるという。
新曲『紅いバラの花』
最近、84歳の誕生日である2021年4月11日に『紅いバラの花』をリリース。
加山は「今になって出てきてるんですよ、まだ世に出てない盤が」と語る。
この曲は、戸棚を整理していたらオープンリール(大型テープ)の箱が落ちてきて、それをレコード会社に渡したところ、聴いたことが無い曲だったので、やってみようということになったという。
どうやら53年ほど前の曲で、Aメロは53年ほど前の加山、Bメロは現在の加山、戻ったAメロには2つの声が重なっていると説明した。
「音楽の良いところというのはね、時代を超えるなあ、時を超えるなあ、場所を越えるなあ。全部、全てをこの一点にある。それが僕の気持ちなんだけどもさ、だからそう思ったらね、ああ、だからこそ音楽を愛してるんだなあ、良かったなあと思うんですよ」と、音楽への愛を語った。
田中邦衛氏とのエピソード
亡くなられた田中邦衛氏について振り返る加山。
2人の最初の出会いは映画『若大将』シリーズ、そしてフジテレビ系時代劇『江戸の旋風(かぜ)』(1975~80)で頻繁に会うように。
『若大将シリーズ』については、
「忘れちゃった。だって内容もなんかみんな同じ内容でさ(笑)。」「それこそだってね、田中邦衛さんと2人でね、「これ、この前とおんなじセリフじゃねえか」って、やっぱ変えんのまずいよな?って、(新作ごとに)1回1回出てくるんですよ、その度に2人して変えていった記憶がありますね」。
「監督自体が大ざっぱな人でね、「いいよ、いいよ、OK!」「あの今、間違えたんですけど」「いいよ、いいよ、OK!」って本当面白かった」と、当時のエピソードを語り、
「青大将こと田中邦衛さんがいなかったらば、あの映画は今のように(語り継がれること)はならなかった」と讃えた。
そしてパーソナリティーの徳光和夫からこんなエピソードも。
徳光が日本テレビのアナウンサー時代、皇居を2周して日本テレビに戻るという特番があり、参加者を一般公募して行ったところ、2位で戻ってきたのが、田中邦衛だったという。
皇居の周りをよく走っていたという田中。それを見つけて驚いた加山だったが、それに刺激を受けて、1981年(昭和56年)公開の映画、シリーズ第18弾『帰ってきた若大将』の中でニューヨークシティマラソンに参加したと裏話を語った。
そんな田中氏の人柄についても、シャイはシャイだが、「ものすごく明るくて、ユニークな人だな、と思ってね」、「とんちんかんなこと言うんだよね、それがものすごく面白くてね」と語り、『江戸の旋風』の楽屋では、田中が「京都~大阪~三千里♪」と繰り返し歌い、「途中止まったと思ったら、「おい、京都と大阪で三千里あるか?」って。「あのね、それ京都、大原、三千院ですよ」」と説明したというエピソードを語った。
ビートルズとのエピソード
ビートルズと会った時のエピソードも。加山と言えば、ビートルズが来日した際、対面の話が来て渋ったところ、祖母に勧められてすき焼きを持って会いに行った事でも有名。
当時、ビートルズはホテルの10階を貸し切りにしており、従業員が食事を運ぶルートを案内された加山は、ビートルズと対面。リンゴ・スターに握手され、続いてポール・マッカートニーとも握手したという。
「意外とね、お話してくれたのは全部ポールですよ」とビートルズの役割を語った。
イメージと違って演歌が大好き
そんな加山だが、意外と演歌が大好き。
「カラオケもう全部演歌ですよ」と話し、BSで演歌の番組がやっていると、必ずチャンネルを合わせて口ずさむという。
1981年の年間ランキング第5位として取り上げた『奥飛騨慕情』を筆頭に全般大好きで、同い年の北島三郎の『風雪ながれ旅』や山本譲二の『みちのくひとり旅』など、そして特に前川清の曲が大好きだと明かした。
そして最後に、加山が大切にしている言葉として、
「荷が重いのではない、自分の力が足りないのだ」
を色紙に記した。
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