吉田拓郎、新人時代に出会ったありえないレコード会社!
- サエグササエル
- 2022年11月13日
- 読了時間: 2分
シンガーソングライターの吉田拓郎が、2022年4月8日放送のニッポン放送『吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』で、新人時代の苦労を語った。
70年代、吉田は通信販売レコード会社エレックに所属していた。
そこでは会社にいた自称元ミュージシャンという人物の意向でレコードを作っていて、上京したばかりで音楽業界の事など何も知らない吉田を「嘲笑うが如く」のレコーディングが数回あったという。
中でもアルバム『青春の詩(うた)』(1970.11.01)は、たった1日で全曲レコーディングするという「暴挙のような」無茶な制作が行われたが、現場の事情がわからない吉田にとってはこんなものかなと渋々従ったそうで、後で考えると「人を馬鹿にしたような録音だった」と憤りを露わにした。
収録曲など全てに関して吉田の意向は通らなかったが、発売の際にはあたかも吉田拓郎プロデュースかのような宣伝文句を使い売り出され、「僕としては涙が出るほど恥ずかしい気分だった」と述懐した。
ただ、上京した身分としては、アルバムを出せて格好が付いたという思いもあったと語った。
他にもエレックは「ヤバかったなとつくづく思う」事があり、吉田はしばらくレコーディングの予定も伝えられず、「ちょっとライブをやってみないか」と促され、言われるがままにライブを行うと、そのライブの模様を家庭用テープレコーダーで録音したものを見せられ、「これ、アルバムにするからな」と売りに出された事もあったという。
などなど、エレックのやり方には疑問が多かった。
そしてなにより、吉田は作詞作曲の印税は一切もらえることがなく、月給制だった。
これにはメジャーな会社であるCBSソニーにいた同級生のディレクターからも、「拓郎がいるところ、おかしいんじゃねえか?」と疑問を呈され、自分のいるところがいかに異端であるかに気付き、辞める事を決めたという。
そして会社に辞表を出したところ、その夜に会社の幹部が吉田の家に訪れ、「これでいいマンションに住めよ」とある程度の小切手を差し出して譲歩してきたそうだが、吉田は「あのね、次に住もうと思ってるマンションが買えやしないんですよ、こんな金額じゃ!」と突っぱねたと振り返った。
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