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  • 執筆者の写真サエグササエル

斎藤誠、桑田佳祐と植木等にBIGLOVE!

シンガーソングライターの斎藤誠が、2022年2月11日放送のニッポン放送『斎藤誠 BIG LOVEラジオ』で、オリジナルアルバム『BIG LOVE』の制作秘話や、実は親交がある植木等との思い出を語った。



斎藤誠が1月26日に13枚目のオリジナルアルバム『BIG LOVE』をリリース。

レコーディングは斎藤が参加している桑田佳祐のビッグマウスツアー(「BIG MOUTH, NO GUTS‼」)中で、ライブの無い平日にスタジオに入ったり、自宅で直したりしていた。

今回は他の楽器も初めて担当しているが、桑田佳祐は前に斎藤がキーボードを弾いているのを観た事があるという。


9月のレコーディング時はタイトル未定で、当初の仮タイトルは『LOVE』だった。

だが出来上がった曲目を眺め、聴く内に感謝の気持ちが湧き上がり、「“BIG”付けよう」と至った。


学生時代



収録曲『涙のMidnight Soul』の作詞は、青山学院大学の先輩で、サークル時代から現在も親交がある、サザンオールスターズの桑田佳祐に依頼。桑田に作詞を依頼したいという気持ちが以前からあったが、それが今回とうとう爆発した形に。


1月29日放送のTOKYOFM『桑田佳祐のやさしい夜遊び』に出演した際は、大学生時代の思い出を語る。

桑田の方が年齢は2歳上だが、斎藤が一浪しているため3学年上の関係。

3年後に入ってきた斎藤はある時、桑田の同級生である部長のイノカワ氏に自身のがま口財布を開けられ、「飲み行くぞ」と誘われたが、「オレ金無いんですよ」と丁重に断ると、イノカワ氏から「俺たちも無いんだよ」と財布の中には400円くらいしかないにもかかわらず、西門のすぐそばの飲食店に連れて行かれたという思い出を語った。

また、大学時代に斎藤はナカムラ君と、『スーパーセーラー服』というバンドを組み、ファンクな感じだった。


桑田を変えた斎藤の力



斎藤は高校時代は楽器をやって、恋の方は3回フラれて終わり。だがモテ期で、バレンタインにはロッカーから贈り物がこぼれるほどだった。

この頃、詩はまだ書いておらず、この頃の想いが蓄積されて作詞の力になっている。


そして1977年に青学に入学し、音楽サークル『better days』に加入。『better days』は部室が無く、学生食堂の、それもコンセントのある場所の近くにいつも陣取り、アンプを繋いで演奏していた。

そして学食のおばちゃんに「うるさいよ、君たち」といつも注意されていたという。


77年、志賀高原に合宿。斎藤は桑田ら先輩たちが面白い出し物をして盛り上げた後、ナカムラくんらとグリースかポマードで髪を固めたリーゼントスタイルにして、ミュージカル調にして何かをやったという。

放送で、それを観た桑田は「エンタメだ!」と感じ、それまでのどこか理想とは程遠い「沈みがちな」大学生活がパアッと変わったと告白し、「ハッピーにしてもらった」と遅ればせながら当時の感想を明かし、伝えた。


アミューズの黒歴史?



80年代、桑田と同じアミューズに所属していた斎藤はニューヨークへ渡米。当時はアメリカかインドへ旅に出るのが流行っていて、斎藤はアミューズの社長から「インドとニューヨークとどっちがいい?」と聞かれ、インドは怖かったので「ニューヨークが良い」と答え、半年間ほど行っていたという。

事務所では当時、インド帰りの社員たちが「人生観変わりました」と言いながら、ヨロヨロになって帰ってきたのをよく見ていた。


『涙のMidnight Soul』



桑田は作詞以外に、コーラスなどレコーディングにも参加。コーラス部分の「ア~ア!」は桑田のアイディア。

またイントロも最初は無く、「これイントロ無いのもったいな過ぎないか」とアイディアを頂いたという。


さらに曲中の手拍子も、ホール&オーツ(ダリル・ホール&ジョン・オーツ)の「プライベート・アイズ」の手拍子を参考に、「アレやろうぜ」と加えた。

斎藤は桑田がパーカッションをやると上手く、クラップ(ハンド)は普通の人と違い、「太い」と表現した。


また、パーカッションの成田明彦氏に送った曲『Ice Cream Blues』は桑田に好きだと言ってもらえた曲だという。


植木等さんとの思い出



2022年に出版された高田雅彦著の『今だから!植木等』。

高田氏は定年退職した成城大学の元職員だが、斎藤の旧友。成城大学を選んだ理由は、近所の東映撮影所で敬愛する植木等が撮影していたからだという。そして定年して、この本を書き、先頃出版されたことを祝して、斎藤は植木とツアーをやった事を語り始めた。


高田は植木と自主映画『刑事あいうえ音頭』(85)を制作。植木は最後の方に出演しており、デビュー間もない斎藤が音楽監督を務めた。

映画撮影後、植木の自宅に呼ばれて打ち上げがあった。そこで植木から、「2階も行ってみる?」と誘われ、行くとタンスしかない「スーツ部屋」があり、「みんな1着ずつ持って行っていいよ」とプレゼントをくれたという。


また、当時の斎藤は小林克也と名ラジオディレクター・佐藤輝夫氏の『小林克也&ザ・ナンバーワンバンド』に参加。


小林克也と植木は石井聰亙(石井岳龍)監督の『逆噴射家族』(84)で共演。植木は小林の父を演じ、その後ツアーを行った。

斎藤も呼ばれ、『スーダラ節』や『ハイ、それまでヨ』などの名曲を演奏。名ギタリスト渡辺香津美氏の耳にも届いた。


そのツアーに際して、「僕は絶対ツアーでギター弾かないからね、誠くん」と植木は言っていたが、渋谷公会堂で行われた最終日、植木はギブソンを持ってみせ、「本番は弾かないよ、誠くん。誠くんが今押さえてるのは、ナントカの13thのコードだねえ」と難しいコードも把握し、本番ではジャズギタリストの一面も見せてくれたのだった。


上柳との共通点



今回、相手役を務めた上柳昌彦アナウンサーとは転校が多かった、という共通点が。斎藤は父親が銀行員だったので、幼稚園2つ、小学校3つ、中学校2つと転校を繰り返し、上柳は中学の時は3回転校したと語った。


※ 記事作成に当たり、斎藤氏が出演された1月29日放送のTOKYOFM『桑田佳祐のやさしい夜遊び』での情報も一部複合させました。



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