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  • 執筆者の写真サエグササエル

大黒摩季、歌手としての自信を付けたアメリカでの武者修行語る

シンガーソングライター・大黒摩季が2021年8月10日放送のTBSラジオ『伊集院光とらじおと』にゲスト出演。バックコーラスから歌手デビューするために自信を付けたアメリカでの武者修行について、また、正体不明だった頃に伊集院と出会った業界人御用達の料理店について語った。



大黒は1969年12月31日生まれ。北海道出身。3歳の時に母親からピアノを買い与えられ、音楽の道に。中学の時からバンド活動を開始し、高校卒業後の1988年に上京。所属事務所BeingのB'z、TUBE、ZARDなどのバックコーラスを務め、1992年に『STOP MOTION』でデビュー。

2枚目のシングル『DA・KA・RA』で日本レコード大賞新人賞を受賞。『あなただけ見つめてる』『ら・ら・ら』などでミリオンヒットを記録している。


音楽の道へ



3歳の時に母親にアップライトピアノを買い与えられ、ピアノを習うことになったが、音楽をやるきっかけは、母親がまだ若い頃に東京で仕事をしていて、その頃にデートでサントリーホールで行われたアメリカ人ピアニスト、ヴァン・クライバーンのコンサートに連れて行ってもらい、その演奏に感動し、いつか子供ができたらピアノを習わせたいと決めたという。


そしてプレゼントされた大黒も人見知りで友達と仲良くなれずピアノをやるように。それからは、小学生の頃からのハスキーボイスでピンクレディーをやる時はケイちゃん役を任され、中・高校生になると小林克也の『ベストヒットUSA』で洋楽を知るという音楽への触れ方をして成長。音大進学を目指していたが、経済的な家庭の事情であきらめ、それならと東京のオーディションを受け、合格。しかしすぐデビューとはならず、バックコーラスをやることに。

そして聴いてくれるプロデューサーに自身の音源を配りまわり、デビューにこぎつけた。


アメリカへ武者修行



バックコーラスをやる事で極貧生活から中古車が買えるぐらいに収入が増え、大黒はバックコーラスに染まりかけたが、自分の性格上このまま埋没してしまう、違うと思い直し社長に断って単身渡米。アメリカに武者修行に行き、ニューヨークのイーストヴィレッジにある唄えるセッションバーに飛び入り参加。客が増えたらボーカリストを志そうと決め、コード進行などを指示して10分間スキャットを披露。酔っ払い3人しかいなかった客席が、8割埋まるほどの100人近く増え、時間で舞台から下りようとしたら、バンドマスターから「最後までやっていけ」と言われたという。

そしてギャラとして800ドル貰ったが、その場で大盤振る舞いしてしまい、今思えば取っておけば良かったと語った。


そして、黒人のビッグママとカントリーあがりの白人のおじさんの2人でやっていたライブハウスに辿り着き、当時の事務所の社長に「バックコーラスあがりからヒットした奴なんかいないから、諦めろ」と言われ、自分の声がコンプレックスでアメリカに来たと言ったら、ビッグママから英語で「バカ言ってんじゃないわよ!私たちは好き好んでこんなに太い骨格なわけじゃないのよ!生まれ持ってこういう体でこういう声しか出ないから…」と叱られ、2人に「お前間違ってるぞ、自信持て!」、大黒のハスキーボイスは魅力だと言われて、自信を持って帰国した。


帰国後、人生が好転



大黒は帰国後、当時は「マックでバイトしているとソニーが聴きに来る時代」だったこともあり、マクドナルドでバイトするか、有線が流れるバーのバーテンダーかスーパーマーケットで働くかバックコーラスをやるか、いずれにしても音楽の勉強になるような仕事をしながらボーカリストとしてのデビューを目指そうと考えたが、一流のアーティストの仕事を感じられるスタジオのバックコーラスを選んで活動を再開。

帰国後はバックコーラスをいくらでもやっていいという誇る気持ちになって唄っていたら、TUBEのギタリスト・春畑道哉から、「摩季嬢、ソロで唄いなよ」と言われ、ツアーにボーカリストとして連れて行ってもらうことになった。


その一方、渡米前に先輩であるSILK(大森絹子)に自身が作った曲『STOP MOTION』を預け、SILKが唄ったところ彼女が評価され、そして作った大黒も評価されて会社から呼び戻され、大黒もボーカリストとしてソロで唄うよう言われた。しかし大黒は提供曲だと最初は断ったが、やっぱりSILKに相談。すると「2人で一緒にやろうよ」と言ってくれて、92年5月にデビューした。だがヒットせず再びバックコーラスに。


その後、CMプロデューサーである、ミスターミュージックの吉江氏がBeingの長戸社長にCM用の曲をもらいに来たが、当時はB'zもZARDも売れて、曲が無かった。肩を落として帰る吉江氏のその帰り際に出会い、「明日プレゼンなんだけど出来る?」と言われて作って渡したのが『DA・KA・RA』だった。

デビュー曲はバブルなのに1万枚も売れなかったのが、2曲目はこのCMで240万枚売れたという。

大黒は吉江氏に何百曲と渡しているという。


正体不明だったワケ



大黒は曲がヒットした当時、まったくと言っていいほどテレビなどに姿を見せず、「コンピュータが作った声」や「大黒は6人いる」とまで言われた。

しかし実際は、3カ月に1回曲を出すハードスケジュールの中、大黒は自分で曲を作り、歌い、ダビングもやって、コーラス、ミックスにも立ち会うため、ずっとスタジオに缶詰状態だった。

テレビの音楽番組は出演時間たった1分半のために1日拘束もあり、そんな暇が無かった。

会社としても、テレビ出なくても売れてるんだからテレビ出さなくていいという方向になり、大黒もスターになるつもりはなかったので、テレビに出たいという思いが無かったという。

そのため大黒は、「全盛期なのに東急ハンズ(とか)全部行けましたもん!」と語った。


活動休止の理由は「枯渇」



当時を「枯渇しましたね」と振り返る大黒は、1999年12月31日のテレビ朝日開局40周年特別企画『世界50億人が目撃!1999~2000大黒摩季ライブ in NARA』で、奈良の大仏の前で活動休止宣言。2000年から1年活動休止し、その後移籍や、独立をした。

当時、出し切った感があったという大黒。相談した先輩からも、「10年以上やってスランプが無いのは遅い、休んで来い」と背中を押され、休む事を決めたという。


大黒にとってはこの休養中の吸収が新たな作品制作に繋がったという。苦手だった華やかな芸能界から離れ、好きな普通の生活を送れたことが大きく、パーティーに連れて行かれても華やかな話に入れず、コーナーで一人で呑んでいたという。


その後も、2010年に結婚や病気治療で6年のボーカリスト活動休止。

戻ってきたのは、ファンクラブ『M'DRIVE』が消滅しなかったから。ボーカリストとしての活動が無いにもかかわらず、続けてくれという要望があり、応援してくれるファンに応え、復帰した。

当時の大黒は唄えなかったので、代わりに高尾山遠足イベントを開催した。


病気の治療や手術ではスタッフがチームとなって力を結集し、手術では声の先生と婦人科の先生が話し合い、歌唱に必要な腹筋を壊さないように、腹筋の表面は横に切り、内側は縦に切って歌唱に必要な腹筋の崩壊を防いだという。

そして大黒自身の回復力も凄く、半年でむしろ筋肉質になったという。


伝説の料理店『SARA』



パーソナリティーの伊集院は、大黒がまだメディア露出をほとんどしていない時期にニッポン放送で共演。大黒と会ったことがあると言うと周囲からは驚かれた。

しかし、大黒が覚えていた伊集院との出会いは、青山・外苑前にあったという料理店『SARA(サラ)』。深夜ラジオを終えた午前3~4時でも開いていて、終日営業しており、業界人たちの行きつけの店だった。

大黒はほぼ明け方までレコーディングでスタジオに籠り、作業が明け方に終わってお腹ペコペコの時に、スタッフに『SARA』を紹介してもらい、行ったら差し向かいの席に伊集院がいて、ご挨拶したという。だが伊集院はベロンベロンで覚えていなかった。しかし大黒もベロンベロンで、本来は人見知りだが、酒の力を利用して挨拶に行ったという。


伊集院はニッポン放送の人に連れて行ってもらい、1週間の仕事が終わって明日は休みという時には『SARA』を利用し、昼の1時まで吞んでいた。ここで初めて『アボカド納豆』を食べた。

大黒は下にパスタの敷かれたドリアもあったと懐かしんだ。


●伝説の料理店『SARA』情報ブログ




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