極楽とんぼ加藤浩次、加藤の乱を振り返る
- サエグササエル
- 2022年11月11日
- 読了時間: 4分
極楽とんぼ・加藤浩次が、2021年11月7日放送のTOKYOFM『空想メディア』にゲスト出演。『スッキリ』起用の経緯、そして闇営業問題から派生した“加藤の乱”、そして現在と未来、芸能界に入るきっかけについて語った。
10月31日放送の同番組では、パーソナリティーの放送作家・高須光聖から、「狂犬と『スッキリ』の司会者の部分がリンクしない」と言われた加藤。だが加藤にとっては、狂犬の部分も社会について学びたい部分もあるから両立できたと語った。
元々は「朝起きたくなかったし」という理由で『スッキリ』もやりたくなかった。実際それまで朝5時に寝るという生活を送っていた。
だが『めちゃ×2イケてるッ!!』の総監督である片岡飛鳥から「やれ」と言われ、たとえ半年で終わったとしても、「朝に通用しなかった男、ってかま騒ぎ(めちゃイケのコーナー)でもなんでも企画にできるから、いろんな事やった方がいいんだ」と勧められ、仕事を受ける事にした。
そして2006年4月、『スッキリ』がスタートしたが、その3か月後に相方の山本が不祥事を起こし、加藤はピンに。
マネージャーと「どうする?」と話し合い、コンビの仕事はめちゃイケ以外すべて終わらせた。一部番組では加藤ピンでの続投の声もあったが、それは違うと言って降板した。
『めちゃイケ』を残したのは、「めちゃイケは個々のキャラクターだから」と、コンビでの起用ながらピンでの扱いだったことを重視。当時、働き盛りの加藤のレギュラーは『めちゃイケ』『スッキリ』『がっちりマンデー』『スーパーサッカー』とたった4本になり、「山本が戻ってくるまで、なんとかやんなきゃいけないな」という気持ちで仕事を大切にしようと、『スッキリ』に真剣に取り組むように。
そこから毎週、日本テレビの政治部で授業を受け、扱われる時事ネタを勉強しだすようになった。
止まらなかった“加藤の乱”を救ってくれたのは
11月7日放送では、2019年に自身が『スッキリ』で行った“加藤の乱”について言及。当時を振り返り、「腹立ったんですよね~」と語り出した。
宮迫博之とは、同い年だが1年先輩で、共演や付き合いも少なくてあまり知らなかったが、ロンドンブーツ1号2号・田村亮とは同じ東京の劇場で過ごした、言わば直属の先輩後輩で仲が良くかわいがっていた。
そんな亮の記者会見での表情を『スッキリ』で見て、吉本興業に対し、「守ってやってくださいよ!」という気持ちが湧き上がり、それからはもう「止まらなかった」という。
この時は、さすがに加藤の妻も普段は自身の出演番組に何も言わないのに対し、「ちょっと浩次さあ、今日観てたんだけど、あんな怖い顔してテレビ出るのヤメて」と言われ、「そんな怖い顔してた?」とびっくりして訊き返したという。
その後、騒動はなんとか鎮静化したが、吉本興業と芸人、ひいては笑いの溝は深く感じられた。
その溝を埋めるべく、2019年大晦日の『絶対に笑ってはいけない青春ハイスクール24時!』に加藤浩次は出演。加藤の乱のパロディーを演じてもらい、高須は安心できたと語った。
一連の騒動の収束にはダウンタウン松本人志も関係していた事もあり、『笑ってはいけない』の会議において、「笑いにしないと気持ち悪い」という感じが高須にも松本にもあった。
一方、オファーをされた加藤も、「ありがたかったですね」という気持ちを明かし、実際、『笑ってはいけない』の加藤の稽古を見学した高須は、ちゃんとやってくれていたのでホッとしたという。
そして2021年3月末、吉本からエージェント契約の解除をされた加藤は、吉本側の気持ちを汲んで「わかりました」と離脱。
吉本興業に所属していた頃は、60歳で辞めようと考えていた加藤。だがフリーになり、「できる限りやろう」という気持ちに変わった。
『スッキリ』『がっちりマンデー』などお笑い以外の仕事をやったり、ドラマに出た時もいろんなことが勉強になったりして、“興味のある事をやろう”という前向きな気持ちが芽生え、辞めたくなくなったという。
お笑いだけをやっていた時の「負けたくない」という気持ちなどどうでもよくなったし、いろんな分野の本を読んで興味を持ったら、違う表現方法が無いかと考えるようになった。
最初に『東京ヴォードビルショー』を選んだわけ
加藤の経歴を見ると、『東京ヴォードビルショー出身』という項目が目立つが、加藤は特に芝居が好きなわけではないそうで、元々北海道出身で、当時はまだ東京NSCもなく、お笑い番組に出る方法、どういう風に芸能界に入っていいのかがわからなかった。
それでテレビを観ていた加藤は、『週刊欽曜日』(82.10~85.09)で欽ちゃんバンドのトップだった佐藤B作の東京ヴォードビルショーをはじめ、『志村けんのバカ殿様』に出演していた柄本明の東京乾電池、三宅裕司の『スーパーエキセントリックシアター(SET)』など劇団に入ればテレビに出られると考え、東京でいろんな劇団を見たという。
それで『SET』に電話した時、「今年は研究生を募集しておりません」と言われ、『東京ヴォードビルショー』を受けたら合格し、入ったという。
だが、いざ入ったらテレビの印象と違い、真面目に稽古を行っていて、「なんじゃ!?」と驚き、それから加藤はごまかしながら稽古を受けた。その時、劇団内で『東京ヴォードビルショー』の本公演を観た事が無いのは加藤と相方の山本圭壱だけだった。
結局、4月に入団して、8月にはもう辞めていた。
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