泉ピン子、日テレ出禁時代を明かす!
- サエグササエル
- 2022年12月5日
- 読了時間: 3分
泉ピン子が2021年10月23日放送のニッポン放送『ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回』にゲスト出演。日本テレビを出禁になっていた過去を明かした。
名古屋出身のリスナーから、泉ピン子がパーソナリティーを務めるラジオを聴いていた、という話が送られてくると、泉は日本テレビ系『テレビ三面記事 ウィークエンダー』(75.04~85.05)の生放送が行われる土曜日の午前中から、生放送終了後は名古屋に行き、翌日曜日の午前11時から夕方5時までの6時間生放送のラジオをやっていたと説明した。
6時間もの番組となると喋ることがなくなるので、嫌いな歌手の悪口を適当に喋っていたら、その歌手が翌週ゲストで現れ、逆に絶賛すると、更に翌週リスナーから「この前は悪口言ってたのに!」とツッコミが送られてきていた。
『ウィークエンダー』で偶然売れたので、泉自身、自分が長く売れるとは思っておらず、適当にやっていた、と語った。
日テレ2年間出禁
泉は日本テレビ系『ウィークエンダー』に出演し、泉の語り口の人気で番組視聴率は50%を越え、人気を誇っていた。
元々、それまでリポーターを務めていた水の江瀧子が降板するにあたり、代わりを探す中で泉に打診。
だが当時の泉は、「楽屋ウケする奴は舞台でウケない」という時代に楽屋でよくウケ、生放送中にお腹を壊してトイレに籠り、出演できなくなるなどかなりの札付きだった。
そのため、出演は1度きりだと思い、「イノブタのツノに刺されてケガをした」というニュースの取材に。
しかしイノブタをただ見ても面白くも無いため、途方に暮れていたところ、飼育の人から「交尾でも見ていきますか?」と誘われ、番組でイノブタの交尾を説明したところ、大反響!抗議の電話が殺到したが、圧倒的に面白かったため、一夜にしてスターとなった。
しかし2年目のある時、泉が腎盂炎で50℃近い熱を出して、取材と出演が不可能との判断で、病欠を申し入れたところ、日本テレビから「取材は他の人に任せるから、出演はしてくれ」と言われ、「それはできない」と返し、日本テレビとの間でやや攻防があった。
結局、埒が明かなかったため、それなら降板するしかないと自主的に降板を申し入れたところ、日本テレビから出入禁止を言い渡された。
この時、泉は番組出演のおかげで人気も出ており、元々キャバレーに出演して廻り、生計を立てていたので、そちらで生きていこうと切り替えていた。
そして2年後に和田アキ子が出演していた『金曜10時!うわさのチャンネル』(73.10~79.06)の1コーナーのコントで復帰した(和田とはコーナーが違うため、共演ではない)。
そこには『シャボン玉ホリデー』(61.06~72.10)を手掛けた日本テレビの名物プロデューサー、井原高忠氏が間に入って、出演がかなったという。
それまでは泉ピン子の名前を出すと、「ダメだ、ダメだ!“お出禁”だよ!」と“お出禁”という言葉が使われ、出演が封じられていた。
ちなみに、和田アキ子も『うわさのチャンネル』のレギュラーだったが、歌手活動に専念するため降板を自主的に申し入れたところ、2年間日本テレビに出禁となっていた。
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