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渡辺正行、ラジオでコーラ早飲みを懇願!そしてラ・ママは今

  • 執筆者の写真: サエグササエル
    サエグササエル
  • 2023年4月8日
  • 読了時間: 6分

渡辺正行が、2021年4月30日放送のニッポン放送『中川家 ザ・ラジオショー』にゲスト出演。

お笑いトリオ・コント赤信号がブレイクするまでや、今も続けている剣道、そして一世を風靡した「コーラ早飲み」が生まれたきっかけについて語った。


「リーダー」と呼ばれるきっかけ



お笑いトリオ・コント赤信号のリーダーになったきっかけは、トリオのコントの台本と演出を担当し、「背も大きいし、真ん中になるじゃん」となんとなくリーダーになったという。


それに合わせ渡辺は、「なんでも合議制で決めるけども、最終決定権は俺が決定してもいいか? それと、明日からリーダーと呼んでくれ」と自分で発案したという。


グループにおけるリーダーの必要性について、3人とも同級生だったので、誰かが引っ張らなければいけないと考えたのと、ギャグ1つ決めるにしても、テンポ良く決めて進めていきたかった、という思いがあった事を明かした。


『花王名人劇場』に出演するきっかけ



漫才ブームの時期に活躍していたイメージがあるが、漫才ブームが興った当初、コント赤信号はまだ売れていなかった。『THE MANZAI』などを出番のあるストリップ劇場の楽屋のテレビで眺めながら、ブームに乗れない自分たちは諦めかけていたという。

そんな中、同じストリップ劇場出身で先輩のゆーとぴあが売れて単独ライブを行うことになった。コント赤信号も出演を誘われたので、「解散前に1本やろうか」とネタを書いて練習してやったところ、大ウケして広まり、それがちょうど若い新人を探していた『花王名人劇場』のプロデューサーの耳に入り、テレビ出演が叶ったという。


テレビ出演が決まり、ストリップ劇場の社長から「これで衣裳でも買って来い」と3人で10万円の餞別をもらった。だが、どうせテレビに出れるのは1回だと思い、各々好きな服を買ってしまった。すると、また出演できることになり、「やっぱり揃いの衣裳がいい」と思い、仕方なく黄色いTシャツに赤文字で「赤信号」と入れ、そのTシャツにジーンズという安っぽい衣裳で出た事があると振り返った。


当時の思い出としては、フジテレビの『笑ってる場合ですよ』でドッカンドッカンウケたコントをそのまま男だらけのストリップ劇場でやったら、自分たちでも可笑しくなるくらいウケなかったことを挙げた。

また、毎日のように出演するネタ番組でやったネタは全てリーダー・渡辺正行自身が量産していたことを強調し、賢いラサール石井が書いているという世間のイメージを否定した。


しかしさすがにキツく、事務所の社長にネタ番組を月1本ペースにセーブさせてくれ、と頼んだ。だが社長の石井光三氏に「ワシの仕事はマネージャーや。仕事取ってくるのがワシの仕事や。それをこなすのがキミらタレントや。それで潰れてしまうんだったらそれまでのタレントや!」と言われ、倒れるまでやって謝らせてやろうと思ったが、若さもあって、1日2~3時間の睡眠時間でも倒れなかったという。


その代償として、『俺たちひょうきん族』や『笑っていいとも!』などの仕事をほとんど覚えておらず、当時の共演者に久しぶりに再会した際、当時の話をされてようやく思い出すほどだと明かした。

1日最高6本仕事したと言い、昼の『笑っていいとも!』から、終わって2本テレビ、最後は深夜3時までラジオというハードスケジュールを1人でこなしていたと振り返った。


コント赤信号解散の危機



トリオ仲はどうだったのかという質問に、「だいたい俺と石井がモメて、小宮が間に入る」ということが繰り返されたが、コンビと違い2対1の構図になるので、どっちかの意見に納まって解決するので、仲は悪くならなかったという。

だが一度、深夜ラジオ終わりでラサール石井が怒りだしてモメて、一晩中話し合ったが決着せず、翌朝のロケ現場までロケバスで行き、埒が明かずラサール石井が「俺は辞める!」と言い出し出て行って、渡辺も石井も小宮が止めてくれるものだと思っていたら小宮が止めず、仕方なく石井が消えてしまい、渡辺が番組プロデューサーに謝り、石井を捜し、事務所で石井光三社長と話しているところを見つけると、社長が「石井君が辞めるって言ってるんならしゃあない。でも今日の仕事は今日の仕事やから」と仕事に送り出し、ロケ現場まで戻る間に仲直りしたのが、最大の危機だったという。


ライフワーク『剣道』で六段合格



現在も剣道の鍛錬を欠かさず、YouTubeチャンネル『剣道まっしぐら! - Enjoy Kendo seriously-』をやっているが、なんとこの日の前日、4月29日に六段に合格した事を報告。

元々、60歳の時に五段に合格していたが、剣道界のルールで昇段試験は5年待たねばならず、5年経って65歳になった今年六段審査を受けたところ、合格がわかったという。


・審査結果


審査は名前がわかるものを外して受検番号だけになった防具を付け、誰かわからない状態で、わずか1分ほどの「立ち合い」という試合を2人で行い、それで審査されるという。

コロナ禍のため、関係者の付き添いも禁止で1人で行かなければならず、かなり緊張したと語った。


そして次の七段審査を受けるには、6年待たなければならないそうで、その時渡辺は71歳。そして最高位の八段は、そこから更に10年待たなければならず、その時渡辺は81歳だという遠大な計画が明かされた。





特技「コーラ早飲み」が生まれたきっかけ


元々、フジテレビの昼の生放送番組『笑っていいとも!』で、新宿のスタジオアルタに『笑っていいとも!』と『ライオンのごきげんよう』を観に来たお客さんに危機感を持たせようと、観客全員分のコーラを用意し、当たれば景品プレゼント、ハズレたら退場という【13日の月曜日】コーナーがあった。生放送で退場者を早く多く出すために、「僕やります」と渡辺が担当し、コーラを早飲みしていたら、それが面白いとなり、いつしか対決コーナーになっていったという。


その後、ある日対決で負けた時、横澤彪プロデューサーが珍しく楽屋に来て、「ナベちゃん、負けちゃったね」と言って去っていき、「ええっ!?これ負けちゃいけないんだ」と考えるようになり、勝つために自分は常温のコーラを、ガタイの良い相手には、喉が閉まるようにキンキンに冷えたコーラを渡していたという。


65歳になった現在も頼まれ、今回ラジオなので「やらないんですね?」と訊かれたが、「やらせてください」と今回も披露。4秒で飲み切った。

だが結果に納得いかず、「全盛期はコンマ何秒だったのに…」と言い訳した。


また、このコーラ早飲みによって、これをやる営業の仕事が入ってきたという。

内容は、まず子供の部、続いて女子の部、青年の部をやって、各部のチャンピオンと一緒にやって1本だけ飲むという楽な仕事だったと明かした。


「ラ・ママ」は今



時間の都合で辿りつけなかったが、主催するお笑いライブを開催するライブハウス『ラ・ママ』について。

ウンナンや爆笑問題、オードリーや吉本に入る前の華丸大吉も出演したという「ラ・ママ」もコロナで去年の2月からやっていないという。



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