片岡鶴太郎、近藤真彦のものまねをやるきっかけ明かす
- サエグササエル
- 2023年5月25日
- 読了時間: 4分
片岡鶴太郎が2021年10月13日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。『マッチ』こと、近藤真彦のものまねをする事になったきっかけを語った。
『片岡鶴太郎、おぼん・こぼんとの衝撃の出会い』(スポニチアネックス)
『オレたちひょうきん族』誕生秘話
鶴太郎はフジテレビ系で放送された『オレたちひょうきん族』(81.05~89.10)にレギュラー出演していた。
この番組は元々、裏番組として土曜夜8時に放送されていたTBS『8時だヨ!全員集合』(69.10~85.09)が高視聴率で、フジが全然視聴率が取れずにいたところ、名プロデューサーと言われる横澤彪氏が手掛ける『THE MANZAI』が当たって、この番組に出演していたメンバーで新番組をやる事になり、「ドリフと真逆の事をやろう」と、向こうがチームワークなのに対して、漫才師をバラバラにしてピンにした。それにより、鶴太郎、明石家さんま、山田邦子らが番組に参加することとなった。
次に収録もの、密室(スタジオ)、大人向け、アドリブと完全真逆で、「3カ月、ゲリラで、爪ひっかいて終わろう、ということだったんです」と番組が始まった経緯を語った。
マッチのものまね誕生のきっかけ
『オレたちひょうきん族』の人気コーナー『ひょうきんベストテン』という、TBS系で放送されていた人気音楽番組『ザ・ベストテン』(78.01~89.09)のパロディーコーナーがあった。
ちょうどたのきんトリオの人気が上がってきた頃で、“マッチ”こと近藤真彦が『ギンギラギンにさりげなく』で1位になることがわかったため、このコーナーに出演する鶴太郎はスタッフから、「鶴ちゃん、マッチやって、マッチやって!」とやったこともないのに依頼され、それも収録する水曜日の3日前の日曜日に頼まれたため、3日間で仕上げる事になった。
元々、鶴太郎のやるものまねはキャラまねで、声まねが似ていて上手いというわけではなかったので、マッチが若くて元気が良かったため、とにかく元気良くやろう!と決めてスタジオに入ったところ、スタッフから「小屋に入ってくれ」と言われて入るとニワトリ小屋で、さらに爆竹を焚かれてニワトリも飛び上がり、「で、マッチ死ぬ、っていうのが1回目だったんですよ」と1回限りの予定だったと語った。
だが、それが好評だったので、次の回から復活し、持ちネタとしてずっと続くことになったという。
ちなみに、登場の際の第一声「マッチで~す」だが、鶴太郎によると、「マッチで~す!なんて、本人あんまり言いませんよ!」「とりあえず、マッチで~す!って言わないと、誰もわかんないから(笑)」という理由で言い出したと明かした。
ビートたけしと絶縁状態!?
その他、女優・浦辺粂子のものまねは、鶴太郎が太田プロに入る前に所属していた『矢崎芸能』という上野にあった、ものまね芸人の桜井長一郎も所属していた小さな芸能事務所に、浦辺が“預かり”という形で半所属していた縁でものまねするようになった。
その他、今もやっている「ぴ、ぴ、ぴよこちゃん…」も実は漫才師『瀬戸てんや・わんや』の漫才ネタで、『オレたちひょうきん族』のコーナー『ひょうきん演芸』でビートたけしと瀬戸てんや・わんやのものまねをする際、軽くやったところウケたため、ビートたけしから「“ぴ、ぴ、ぴよこちゃん”の(ネタ)やろう」と、主に浅草の演芸場でのみ行われていた、実際に行ったお客さんしか知らないネタをものまねしたところ、ウケてやるようになったそうで、あれは瀬戸わんやのものまねだと明かした。
そんな戦友のビートたけしからある時、ゴルフに誘われたが、やった事も興味も無かったため、芸人仲間でのゴルフという事もあって、おもちゃ屋でビニール製のゴルフクラブを買って、当日にシャレで持って行ったところ、たけしから真剣に怒られてしまった。
そしてそのまま参加することになり、「ちゃんと(打数を)数えろよ」と言われ、おもちゃのクラブで打って転がし、いちいち大声で数を数えていたら、「うるさいよ、バカヤロー!」と怒られたという。
鶴太郎は「それからたけしさん、口きいてくれなくなっちゃった」と語った。
ビートたけしとは、浅草時代からの知り合いで、鶴太郎が23~24の頃に、浅草にあった色物専用の劇場『松竹演芸場』にトップバッターとして出演するようになった際、2番手で登場するのがツービートだった。
当時のツービートは、まだ日本テレビ系の演芸番組『やじうま寄席』(71.04~80.03)や『笑点』(66~)に1~2回出演した程度で、お客さんの人気もまだ無かったが、ツービートの出番になると舞台袖に芸人仲間がこぞって見学に来るほどで、仲間内での人気は既に高かった。
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