top of page
  • 執筆者の写真サエグササエル

石倉三郎が語る高倉健、三木のり平、坂本九!

俳優・石倉三郎が2022年8月14日放送のニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』にゲスト出演。旧知の仲であるパーソナリティーの高田文夫と昭和の大スター、三木のり平、高倉健、坂本九について語った。



香川県の小豆島出身となっているが、これは疎開先。戦争で大阪の家を焼かれ、小豆島に住むおばを頼って移った時に生まれたためこうなった。なので兄弟の中でも小豆島出身なのは石倉だけだという。


「おやじ」三木のり平



元々、三木のり平の弟子になりたくて上京。四ツ谷にあった三木の自宅の前まで行ったが、呼び鈴を押す勇気が無く、話した時のシミュレーションをした。それで、もし気に入られて内弟子にされたら、母親へ仕送りするためのバイトが出来なくなってしまうと考え、弟子入りを諦めてしまったという。


後に、芸人として活躍していたある時、名古屋で飲んでいると三木のり平とばったり遭遇。呼ばれたので挨拶に行くと、三木は「俺、お前ら(コントレオナルド)のファンなんだよ」とまさかの言葉が。そして一緒に呑み、酔い潰れた三木を背負ってホテルに運ぶと、それからは「おやじ」「お前」と呼び合う関係になったという。


コンビ解散後は俳優として三木とドラマで共演。1999年4月期の朝ドラ『すずらん』では親子役になり、劇中では三木が死ぬシーンがあったが、現実でも三木が急逝。三木からは舞台俳優としての道を薦められていたのに、断ってしまい、それを見せることが出来ず、申し訳なかったと振り返った。


高倉健との出会い



三木への弟子入りを諦めた後、バイトをしながら劇団に所属しては金が無くなりバイトを転々としていた。

そんな頃、バイト先の近くにあった喫茶店が高倉健の行きつけだったため、3カ月しょっちゅう顔を合わせ、顔見知りになっていた。ある日、高倉から「サブちゃん、ちょっとこっちおいでよ」と呼ばれる。みんながサブちゃんと呼んでいたため、高倉も知ったようで、その時の石倉はいつも仕事で引っ叩かれて、顔に赤タン、青タンを作っていたので、高倉から「ケンカ好きなのか?」と言われ、即否定。しかし話は盛り上がり、1週間後、話していると身の上や将来を聞かれ、バイトをしながら役者を目指しているが、劇団に入ると金を投じてはバイトも出来ずで苦しいと愚痴をこぼしたところ、「東映来るか?」と誘われた。石倉は「ぼく、素人です」とたじろいだが、高倉は「誰でも最初は素人じゃねえか」と背中を押し、東映の大部屋俳優に入れてもらった。振り返るとよくそんなことができたなと震えるという。


石倉によると、東映の大部屋俳優は、いつ辞めてもいいように『フリー部』と呼ばれていた。最初は“仕出し”と呼ばれる通行人などのエキストラから始まるが、その時から給料がもらえた。そこで3~4年経験を積めば、“専属俳優”という東映の社員になり、月給プラス役手当、ボーナスも出たという。

しかし石倉は3年ほどで退部。その後は舞台役者となり、ある時、『雲の上段五郎一座』で共演した坂本九と仲良くなって、付き人兼専属司会になり、そして坂本九のNHKでのレギュラー番組の現場で高田文夫と交流。そして演芸の世界に入り、『コントレオナルド』というコントグループを結成。ブレイクし、活躍した。その後解散し、ドラマ・映画と活躍している。


坂本九と高倉健



坂本からは司会を頼まれ、仕事の無かった石倉は承諾し、坂本の地方回りに同伴。だが、ある時、坂本の所属するマナセプロの社長が坂本に「どこの馬の骨か…ダメだよ、あんなガラの悪い男は…」と言っているのが聞こえてきた。だが坂本は、「いやいや、彼は面白いところあるから。ちゃんと僕が教えるから、やらせますよ」と社長を説き伏せてくれて、石倉は専属司会を約2年半務め、司会の無い時は付き人として、勤勉に働いた。


そして石倉が30歳ぐらいのある時、坂本の北海道のレギュラー番組に同伴。帰りの千歳空港の階段で2人分のビールを持って歩いていたら、上から高倉健が下りてきた。石倉はあいさつしつつも、思わず「すいません、ちょっと来てくれますか?」と高倉を呼び止め、坂本の元へ連れ歩いた(この時の事を「よくそんな事言えたよね」と反省した)。

そして坂本も石倉とやって来た高倉を見つけると立ち上がり、高倉が「サブがお世話になってます」とあいさつすると、坂本も「いえ、よくやってくれてます」と返し、高倉は「…よろしくどうぞ」と言って去って行ったという。


高倉健の実像



石倉の目から見た高倉はヤンチャで明るく、“2枚目半”という感じだった。寡黙なのはイメージで、実態は「まったく普通の人」という感じだったので、黙っていれば楽とも思えたが、イメージが付いて回る大スターはきついなと感じたという。


また、石倉がコントレオナルドで売れてきた時、高倉から電話が来た。高倉は「良かったな」と讃えてくれ、石倉は気付いた時には汗びっしょりで正座していた。

高倉は石倉の事を見ていてくれた。なので石倉は色紙に「見てござる」と書くと語った。



ちなみに、石倉が組んでいた『コントレオナルド』についてだが、高田文夫から「コンプライアンス」と何度も釘を刺され、詳細を語る事を控えた。

閲覧数:7回0件のコメント

最新記事

すべて表示

トレンディエンジェル、今の芸風になったきっかけ明かす!

お笑いコンビ、トレンディエンジェルが、2022年7月26日放送のニッポン放送『トレンディエンジェル ザ・ラジオショー』で、芸風の由来について明かした。 トレンディエンジェルの斎藤司は元々、ラーメンズに憧れて芸人になり、ネタも凝ったものを目指してやっていた。 だがある時、浅草の寄席『木馬亭』でそういったネタを、スカしてしたところ、かわいがってくれていた先輩のダイノジ大谷から、「なんでハゲネタやんねえ

バッファロー吾郎・竹若元博、後輩に慕われる先輩になる方法は

バッファロー吾郎の竹若元博氏が、2021年5月27日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。コンビ決死から吉本印天然素材時代、そして大喜利イベント『ダイナマイト関西』の人気の秘訣について語った。 現在、お笑いコンビ・バッファロー吾郎としてのネタ出番はほとんどなく、別々に活動していることが多いという。というのも、バッファロー吾郎A氏が吉本興業とエージェント契約を選択したため、コン

  • alt.text.label.Twitter
  • alt.text.label.Instagram

©2022 サエグサジャーナル。Wix.com で作成されました。

bottom of page