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神奈月、有吉弘行より後輩!?その理由とは?

  • 執筆者の写真: サエグササエル
    サエグササエル
  • 2023年6月23日
  • 読了時間: 4分

ものまねタレントの神奈月が、2021年12月9日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。ものまね芸人を目指し、プロデビューまでの道のり、そして神奈月という芸名の由来も語った。


満を持して登場したものの、スタッフに用意されたものまねレパートリーのほとんどがラジオ向きじゃないことがわかり、神奈月は「僕の場合はほとんどメイクと扮装が必要なんですよ」と回答。他のものまねタレントとは一線を画し、「コスプレおじさんなんですよ」「ものまね芸人じゃないんですよ。あの人になりた~い、って」と謙遜しながら、自身のものまね傾向は喋りでもなく動きで、見た目にインパクトがあると、やりたくなると語った。


ものまねの原点



最初にやり出したものまねは長州力。それもまだ長州力というリングネームが決まる前の吉田光雄時代の、張り手を食らった時の動きなどを8歳上の兄に見せて、笑わせていた。


元々ものまねに興味を持ったのは、8歳上の兄とあのねのね司会の素人ものまね番組を観ていて、兄がものまねを神奈月に見せていたところ、神奈月も感化されてものまねをやり始めて、学校で友達を笑わせるようになったという。ものまねを気に入ったのは、瞬間的に笑わせられるところだった。


中学時代はバレー部顧問で社会科担当のモリ先生のものまねをして、「先生がようかんを食べるところ」という架空ネタを作り、1年ぐらいやり続けていたところ、それを見た同級生が家で話したため、その年の暮れにモリ先生にようかんのお歳暮がやたらと届くという事態になった。


神奈月誕生



神奈月は岐阜県出身。そのため、初めてのテレビ出演は中京テレビの素人参加の一芸披露番組で、神奈月は17歳の高校2年生だった。

当時はまだ沖田浩之や御三家などテレビで誰かがやってるものまねのものまねを披露したという。

そして『オレたちひょうきん族』を見てお笑いに憧れ、ものまねでプロを目指し上京。ショーパブに出ていた22~23歳の頃、観客で来ていたゆーとぴあのホープ師匠に「お笑いライブ出た方が良いんじゃないの?」と、『ラ・ママ新人コント大会』の存在を教えてもらい、3分ネタを作ってネタ見せに行った。


そこでこのイベントをコント赤信号のリーダー・渡辺正行がやっている事を知った神奈月は、実は渡辺とは初対面ではなかった。

高校の時に出ていた中京テレビの番組が『ザ・ベストテン』形式で、神奈月は10週連続で出演。その中でコント赤信号がゲストで来てひな壇で喋った時に渡辺から「君、本当に素人?」と話し、神奈月の友人が横から「東京連れてってくださいよ」「いや、(高校)卒業してからにしたら?」と会話した時の事をネタ見せで伝えたところ、「あー!あの時のキミか!」と話が通じ、それならば新人ゴングショーの『コーラスライン』ではなく「トップで、1本ネタでやってくれよ」と信頼され、舞台に立ったという。

当時はトークもできなかったので、ただものまねを連発してステージを飾った。

ちなみにその頃の『ラ・ママ』のトリは、ウッチャンナンチャン、大川興業、松竹梅、ピンクの電話が務め、若手として笑組、浅草キッドらがいて、後に爆笑問題が入ってきたという。


『神奈月』の芸名は、それまで本名でやっていたが、コントグループ『松竹梅』の松みのる(稔)に「舞台立つなら芸名があった方が良いだろう」と名前を考えてもらう事になり、岐阜出身という事で『長良川』『飛騨高山』と提案されたが断り、11月生まれだと答えると、「神無月って暦であるよね?それでどうだ?」「それでいいです」と決めた。神無月が10月で、間違いだというのは後で知ったという。


太田プロ所属の理由



太田プロ所属のイメージが強いが、実は所属は2000年から。それまではフリーで活動していたそうで、その頃のものまね番組の台本には神奈月の連絡先として携帯電話番号が平然と載っていた。


そして2000年に太田プロの重役で片岡鶴太郎の弟である荻野氏に誘われ、所属。

それ以前は太田プロ所属の春一番がアントニオ猪木、自身が長州力というユニットコントで太田プロの事務所ライブに参加し、ネタを見てもらっていた。

そのため芸歴は上だが、事務所所属歴は土田晃之、有吉弘行、劇団ひとりよりも後輩。同じものまねタレントでも古賀シュウの方が1週間早く所属している。


そしてものまねタレントだが、意外にもそっくり館キサラには出演していない。ショーパブに出演していたのは『ラ・ママ』のようなお笑いライブに出る前の約2~3年ほどのみで、お笑いライブ出演後はショーパブへの出演はやめてしまったという。


ちなみに、パーソナリティーのナイツのショーパブ出演経験は、南越谷のなんこし劇場というところで、そこはゆーとぴあの弟子にあたるラストスパートが専属芸人で、出演した時のお客さんは2人だった。


●なんこし劇場に出演した2005年10月23日のナイツ塙ブログ


ものまねタレントではイジリー岡田、原口あきまさと仲が良く、10歳違いだが誕生日が一緒という縁があり、トークライブやゴルフコンペを一緒にやったりするという。



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