福本豊、日本一の後にガッカリした事!
- サエグササエル
- 2022年11月7日
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元プロ野球選手で野球解説者、野球指導者の福本豊氏が、2022年1月23日放送のTBSラジオ『石橋貴明のGATE7』にゲスト出演。当時、阪急が日本一を手に入れるまでの想いを明かした。
福本氏は1968年から88年までの約20年間、兵庫県西宮市を拠点としたパ・リーグの阪急ブレーブスに在籍。
当時の阪急は、“パ・リーグを制するのは当然”で、“読売ジャイアンツ(巨人)を倒す”が合言葉だった。
シーズンオフのキャンプも、上田利治監督の「打倒巨人。巨人に勝つためのキャンプや!」でスタートした。
西本幸雄監督時代の内、1967~69年の日本シリーズは全部ジャイアンツの4勝2敗で日本一を逃していた。
●日本シリーズ優勝チーム一覧
当時敗北を喫した理由について福本氏は、「自分達も若かったし、経験不足で負けたかな」と回想。
また、試合への余裕が無かったそうで、まず観客の数が全然違った。観客が入っていないパ・リーグと違い、巨人軍のホームである後楽園球場は超満員で雰囲気が違った。
「普通のフライやのに、うわあーーーっと言われる。なんかその異様な雰囲気を作られる、それでオロオロするという感じ」、「なんか固くなる感じがしましたね」と一味違った緊張を経験。
そしてホームである西宮球場でも、巨人ファンのお客さんの方が多かったという。
そして1975年の上田監督時代に阪急は日本一に輝いた(相手は広島)。
福本氏は当時の想いについて、「勝ったらお客さんが西宮球場に来てくれるから、勝つんだ、勝つんだ、でやったんですけど、勝ってもやっぱ次の年からあんまお客さん入らんかったんです。本当、それがガックリやったんですね」と語った。観客はちょっとしか増えなかったという。
1976年に巨人を相手に4勝3敗。阪急3連勝、巨人3連勝と続き、第7戦で決着となった。
阪急のピッチャー足立光弘は「もっと騒げ、もっと騒げ」と観客を煽った。そしてシンカーを投げ、張本勲、王貞治、クレイジー・ライトと呼ばれたピッチャーのライトが全然打てないという光景をついに観たのだった。
●足立氏インタビュー
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