秋元康、一流の作詞家になれた2つの理由!
- サエグササエル
- 2022年11月17日
- 読了時間: 4分
作詞家・秋元康が、2022年3月2日放送のニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』にゲスト出演。自身の作詞家としての下地について語った。
パーソナリティーとしてカッコよく決める佐久間を、秋元が「食べきれない物をヘラで隠すような小っちゃい男だからね」とこき下ろすと、佐久間が以前参加した、秋元奢りの打ち上げの話を持ち出し、「大学生の柔道部しか食えない量をたまに頼むのよ」と反論。
これについて秋元は、「ケチだと思われんの嫌じゃん」「“秋元さんと行ったら、あるだけ食わしてくれたよ”って言われたいわけよ」と理由を明かした。
秋元が意外とジャンク好きなので、その打ち上げが行われた鉄板焼き屋は決して高級店では無いのだが、佐久間が注文するお好み焼きを迷っていると、「全部頼むでしょ!」と全部頼んでくれたと佐久間が話すと、「伝説になりたいんだよね。“あの人は大盤振る舞いするよ”って」と秘かな野望を明かした。
また、秋元は店に入ると、「僕らは特殊な訓練を受けているので、普通じゃないコースを出していただいても大丈夫です」と店側にかますそうで、そして店員に、「こんなに食べる奴ら、いないでしょ」とアピールするという。
食は思い出
秋元は毎食全力投球なので、過去にとある美味しい飲食店の噂を聞いて行ったが、結果美味しくなかったそうで、その事で1年ぐらい後悔し続けていた。
その他、古舘伊知郎と一緒に京都からの帰りに新幹線の中で食べた弁当や、宮根誠司と話をするために飛び込みで入った大阪の飲食店がかなりマズかったそうだが、秋元は、「人間、マズいっていうのは、スゴく強力な思い出なんだよね」と今でもその話で語り合えるという。
齋藤飛鳥、山下美月へのオファー
今回発売された歌詞集『こんなに美しい月の夜を君は知らない』の帯コメントを乃木坂46の齋藤飛鳥が担当。
秋元が依頼した当時を振り返り、「飛鳥が珍しくやってくれた。飛鳥に、“なんか、書いて”って言ったら、“いいですよ”とかつって」とその時の事を語り、齋藤飛鳥について、「うーん、飛鳥はイヤな時はイヤって言う。忖度しないヤツだから」と語りつつ、「あのコのいいところはそこだよね」と評価した。
以前、ドラマの出演オファーを持ちかけても、内容によっては「う~ん、それ、私じゃないんじゃないですか~?」と断られた事があるという。
齋藤飛鳥が書いた帯文
乃木坂46などのメンバーに対して、企画を持ちかける際、本人のやる気や好きな仕事かどうかを確認するため、マネージャー経由だと仕事として受け入れてしまうものを、あえて秋元自ら話を持ちかけているそうで、「それはほら、嫌われたくないからね(笑)」と説明した。
秋元企画のドラマ『じゃない方の彼女』(2021.10~12・テレビ東京)に出演した山下美月にもそのパターンで、不倫もので一歩間違えると嫌われてしまう可能性もあり、「そういうリスクもあるけど、どう?」と持ちかけたが、山下は「おもしろそうなんで、やります」と前向きに受けたという。
本人の意向は必ず聞くそうで、聞いてから、テレビプロデューサーなどから事務所の方へ話が行き、動き出す仕組みになっている。
作詞家としての基盤形成
佐久間から、欅坂46のデビューシングル『サイレントマジョリティー』の構想はオーディション前から考えていたのかと聞かれ、これに対し秋元は、オーディションの時のメンバーの印象からインスパイアされたと語り、「オーディションの時に、“なんでこの子たちはみんな無愛想なんだろうな。なんで笑わないんだろうな”」とアイドルオーディションらしからぬ、「笑わない、むしろ大人たちを睨みつけてるようなさ、それが面白いなと思った」というところから始まったそうで、その時にうっすらと『大人たちに支配されるな』というキーワードが浮かんでいて、高校・大学時代に読んだニクソンの「サイレントマジョリティー」という言葉と結び付けたと回想した。
忙しい時は1日でアルバム10曲分を書いた事もあるそうで、現在でも1日に2曲分は書くと語る秋元は、プロデューサーは「曲を選ぶのが大変」だと語り、乃木坂46ともなれば、およそ1000曲は聴くと明かした。
そうして曲を決めてから、ライブにおける使い方など、世界観の構成を練り上げ、歌詞を書いていくと説明し、一方で表題曲には使えないような冒険味の強い曲など「キープ曲」が増えていくそうで、そういったキープ曲はアルバムなどで誰かに唄わせようと取っておくという。
続く『上柳昌彦 あさぼらけ』では、坂道グループの曲のような、こういったメッセージ性の強い歌詞が書ける理由について、自身がフォーク世代であるため、どうしてもメッセージ性の強い歌詞を書いてしまうと明かした。
また学生ながらニッポン放送でラジオの放送作家として働いていた当時は、ニッポン放送のレコード室が自由に使え、周りの同級生らがキング・クリムゾンやピンク・フロイドといったロックに傾倒する中、自身は『タコ社長のマンモス歌謡ワイド』(77.10~79.07)という番組で曲紹介する際の前口上を書くため、歌謡曲を聴きまくっていた事も、今に繋がっていると語った。
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