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  • 執筆者の写真サエグササエル

純烈・酒井一圭、純烈を生んだ大御所歌手明かす!

純烈の酒井一圭と後上翔太が、2022年2月15日放送のニッポン放送『ナイツ ザ・ラジオショー』にゲスト出演。純烈誕生のきっかけとさまざまな縁について語った。



酒井は子役出身。そのため芸歴は40年を越える。1985年、『あばれはっちゃく』シリーズ5代目のあばれはっちゃくを演じ、トリを務めた(『逆転あばれはっちゃく』(85.03.02~09.21))。あばれはっちゃくは小学6年生の役だったが、酒井自身は小学3年生で演じていた。

パーソナリティーのナイツ塙の記憶を裏付けるように、父母役、教師役はずっと一緒の俳優で通していたと酒井が説明。

そして、あばれはっちゃくにはいろんなポーズがあったが、初代から3人が逆立ちで、4代目がブリッジをして、5代目の酒井は腕を組んであぐらをかき、頭に豆電球の吹き出しが出た。

塙が当時よく真似していた腕組みするのは酒井だけで、記憶と酒井が一致し、塙に鳥肌を立たせていた。


後上のミラクル



メンバー最年少の後上は東京理科大学3~4年生の時に酒井に誘われ純烈に。当時は芸能界に特に興味もなく、「日焼けサロンにコツコツと通って、ギャル男みたいな感じで」という風貌だったそうで、だが東京理科大にギャル男がいなかったため、友達ができず、卒業のための単位が取れなかったので参加したと語った。


後上を選んだ理由として酒井は、芸能界には運が大事だと考え、「運の良い人いないか?」と聞いて回っていた頃、後上を推薦され、理由を聞くと、後上は時速60~70㎞の車に轢かれたのに、3日で退院し、車は大破したというエピソードを持っていた。

後上が後で警察に聞いたところ、頭をフロントガラスにぶつけ、あと数㎝の差でフレームを避けていたそうで、フレームに当たってたら危なかったという。


そして酒井は加入した後上に、週4回通っていた日サロを禁止し、ギャル男をやめさせ、おばちゃんが喜ぶようなキャラにシフトチェンジさせたと語った。


純烈誕生のきっかけ



2007年、俳優として活動していた酒井が映画の撮影中に複雑骨折。歩けなくなるかもしれないと医師に言われ、手術などのために入院。

酒井は「たぶん背中のモルヒネが聞いたんだと思うんですけど」とジョークを交えながら、40日の入院期間中、その半分は夢に前川清が出て来たという。おそらく歩けなくなるかもしれない事と、一歩も動かないで唄う前川の姿がリンクしたためだろうと考え、そこから歌謡グループ結成を構想。

だが酒井自身は歌手にはなれないので、前川清が活動していた『内山田洋とクールファイブ』のコーラスの方になろうと、リードボーカルに白川裕二郎を誘い、メンバーを集めていった。

この時は現在のようにスーパー銭湯で活動するのは予定外。だが食べられない時代に、「まかない付きでお風呂入り放題」は魅力だったそうで、パーソナリティーのナイツも昔は、安いギャラながら勿来温泉に住み込み&食事付きで世話になったと振り返った。


最初は有名キャバレー『ハリウッド』から活動をスタート。酒井が、“芸能界が好きすぎる”ため、スターの足跡を辿ることにしたという。

1日3~4回ステージに立ち、客席を回って手売りも行うなどして、活動場所を広げていった。

客が3人、ショッピングモールでやっても人が止まってくれないこともざらだった。

この時、後上は酒井から「紅白はすぐにでも出れるんだけど、ストーリー作りのためにあえて2~3年はかける」と言われていたそうで、実際デビューするまでに3年かかった。

酒井は芸能界歴が長いため、プロの歌手でもない自分たちが食えるようになるまで5~10年かかることはわかっていたが、それをメンバーには言えないので、嘘をついていたと明かした。

だが、嘘をついていた事を言われると、「俺の中では決まってた」と必ずトボけるという。

そして紅白出場まで8年かかった。


テレビ出演に至るブレイクのきっかけとして、ワイドショーでスーパー銭湯アイドルとして取り上げられたが、それ以前に、スーパー銭湯の客やファンの支えが大きかったと酒井は語り、「60~80代の日本の女性のパワーは世界最強だと思います」と謳った。


作家に言われた事



酒井が今聴いてもカッコいいと思う演歌・歌謡曲は、内山田洋とクールファイブの『この愛に生きて』。

「相当ロックです」「ものスゴい熱いんですよ」と感想を述べた。

後上はちあきなおみの『喝采』を挙げたが、ギャル男の時はEXILEの『Choo Choo TRAIN』をカラオケでよく唄い、また、酒井の調べでは女性と2人の時、勝負曲はKinkiKidsの『愛のかたまり』をよく唄っていたという。


『純烈のハッピーバースデー』や『君がそばにいるから』の振付をDA PUMPが担当。第2期のDA PUMPがショッピングセンターからスタートした事もあり、通じ合うものがあった。

その他、作家の先生たちとも縁あって知り合い、楽曲を依頼しているそうだが、ある作曲家の先生に聞くと、「純烈って楽しそうで自由だから」と言われ、プロとして歌手に演歌を書き続けるために細かく様々な注文に応えている、その一方で、純烈は「楽しく、純烈らしいの作ってください」と丸投げの形になるため、純烈にはこういうのが合うだろうと提案しながらできるのが、作家として自由で楽しいと返答をもらったという。


酒井は元UMAP



酒井は競馬番組に出演するほど競馬好き。純烈を組む前から、ナイツ土屋とは競馬の仕事で面識があった。競馬について書くターフライターの平松さとし氏の飲み会で一緒に飲んだ事もあるそうで、この時の酒井は役者業より競馬優先の時期だった。


●純烈、東洋館初出演記念写真


そして2022年3月11日には、ナイツが所属する漫才協会の拠点でもある、浅草の漫才劇場『東洋館』に出演。

きっかけは競馬繋がりで仲良くなったお笑いコンビ・BOOMERの河田キイチ。

河田、酒井、デンジャラス安田、競馬評論家の太組不二雄の4人で競馬コント集団『UMAP』として活動していた事もあり、久しぶりに会った際、河田が浅草の漫才協会に所属していて、それで酒井から浅草でのステージの打診をしたところ、河田が口を利くことになり、実現した。

以前、爆笑問題のタイタンライブにもその繋がりで出演したそうで、紅白歌合戦も「紅白ってどうやったら出られるんですか?」と行く先々の人に聞いて回っていたという。


●2020年2月、タイタンライブに出演する純烈(ORICON NEWS)




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